(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

絵の存在否定

科学の出発点について最初に何やら申し上げる

*科学の出発点をナミダナミダで語り直す第1回 科学を科学たらしめるものについて、今回はキザに常体で語りたい。 科学を科学たらしめるもの、それは、科学の出発点である。いままでblog等で何度も語ろうとしてうまくいなかった、あの。 新年早々ふたたび挑…

ついに私は脳となる

*心はいかにして科学から生まれたか第6回 現代科学は、私を心なるもののこととしたこのところから、さらに一歩進める。ながらく非物質と考えてきたこの心なるものを、脳の物質的活動であることに変更し(心脳同一説)、私とは脳(の物質的活動)のことであ…

そして私は心となる

*心はいかにして科学から生まれたか第5回 「絵の存在否定」という不適切な操作をみずからの出発点に置く科学は、いまこの瞬間、私が目の当たりにしている松の木の姿を、私の前方数十メートルのところにあるのではないことにする。そこには、見ることも触れ…

そこで心を想定するという手を打ちました

*心はいかにして科学から生まれたか第4回 科学は、「ひとつの世界絵に共に参加している」もの同士を、それぞれがそのとき在る場所に在るのは認めるものの、事実に反して、「ひとつの絵に共に参加している」ことはないもの同士であることにし*1、一転、世界…

いつの日にか為した「絵の存在否定」

*心はいかにして科学から生まれたか第3回 この世界絵のうちには、定義上とうぜんであるけれども、いまこの一瞬に私が体験しているものすべてが認められる*1。その瞬間に目の当たりにしている景色、聞いている音、嗅いでいる匂い、味わっている味、感じてい…

身体にはふたつの面がありました

*心はいかにして科学から生まれたか第2回 科学が、「絵の存在否定」という不適切な操作をみずからの出発点とした結果、ありもしない心という存在を想定することになった顛末を、これから見ていく。 最初に身体について再確認し、そのあと「絵の存在否定」…

心が生まれたきっかけは遠いむかし

*心はいかにして科学から生まれたか第1回 「科学の身体研究からすっぽりぬけ落ちている大事なもの」と題した文章のchapter 1で、身体が機械ではないこと、およびそのことをみなさんどなたも実によくご存じであることを確認した。そしてそのchapter2では、…

身体を機械と考えるのは不適切である

*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第12回 「絵の存在否定」という不適切な操作を為した科学が、「身体の感覚部分」を、俺の心のなかにある、見ることも触れることもできない「ほんとうの身体の物的部分」についての情報であることにし(身体知覚論)、…

科学は存在を別ものにすり替える

*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第11回 いまこういうことを確認しました。 眼球から脳に至る神経経路に起こる電気的興奮の連鎖は、俺の眼前数十メートルの場所に実在する「ほんとうの松の木」についての情報を眼球から脳に伝達しているのではありま…

神経経路は情報伝達などしない。では何を?

*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第10回 俺が松の木の姿を目の当たりにしているとき、俺の前方数十メートルの場所に実在している、見ることも触れることもできない「ほんとうの松の木」から、「ほんとうの松の木」についての情報が、神経、脳をへて、…

身体情報伝達論

*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第9回 科学が事のはじめに「絵の存在否定」という不適切な操作を為し、俺が目の当たりにしている松の木の姿を、俺の前方数十メートルのところにあるものではなく、俺の心のなかにある、見ることも触れることもできな…

視覚情報伝達論

*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第8回 科学が「絵の存在否定」という不適切な操作の結果、俺が目の当たりにしている松の木の姿を、俺の心のなかにある、見ることも触れることもできない「ほんとうの松の木」についての情報とし(外界知覚論)、 か…

科学は身体感覚を、心のなかにある、身体についての情報とする

*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第7回 科学が事のはじめに「絵の存在否定」という不適切な操作を為して、俺が目の当たりにしている松の木の姿を、俺の前方数十メートルの場所にあるものではなく、俺の心のなかにある映像であることし、俺の前方数十…

俺が体験する一切を科学は俺の心のなかにある外界情報とする

*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第6回 さて、科学が事のはじめに「絵の存在否定」という不適切な操作を為し、その結果、いまこの瞬間に俺が目の当たりにしている松の木の姿を、俺の前方数十メートルの場所にあるものではなく、俺の心のなかにある、…

見えている姿を科学は心のなかにある映像とする(後編)

*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第5回 で、科学はつぎのような視覚論を語ります。 俺の前方数十メートルの場所に実在する、見ることも触れることもできない「ほんとうの松の木」に当たった光が、その「ほんとうの松の木」についての情報を俺の眼球…

見えている姿を科学は心のなかにある情報とする(前編)

*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第4回 いまこの瞬間、俺が松の木を目の当たりにしていることにしてください。そうしていただきますと先にも申しましたが、その瞬間に俺が目の当たりにしている松の木の姿と、その瞬間の俺の「身体の感覚部分」とは、…

事の発端は「絵の存在否定」という不適切な操作にある(後半)

*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第3回 科学が「身体の物的部分」を機械と考えるに至る事の発端は、離れた場所にあるもの同士のあいだにも認められる「ひとつの絵に共に参加している」という直接の関係を、この世界から一掃することにあると最初に申…

事の発端は「絵の存在否定」という不適切な操作にある(前半)

*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第2回 科学が「身体の物的部分」を機械と考えるに至る事の発端は、離れた場所にあるもの同士のあいだにも認められる「ひとつの絵に共に参加している」という直接の関係*1を、この世界から一掃することにあると先走っ…

科学が身体を機械とするに至る経緯を発端から確認する

*科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第1回*1 ここまで*2、主につぎの2点を確認してきました。 「身体の物的部分」で、物質的出来事が、「身体の感覚部分」の関与のもと起こること(「身体の物的部分」は機械ではないこと) そのことをみなさん実によく…

科学とは現実を大改造する営みである

*科学は存在同士のつながりを切断してから考える第17回 ここまで、科学が「絵の存在否定」と「存在の客観化」という一連の作業によって存在同士のつながりを切断し、「身体の感覚部分」を身体や世界から除外したり、存在から容姿(色を含む)、音、匂い、味…

ぬぁ、なんと、「絵の存在否定」と「存在の客観化」は切り離せない一連の作業だった???

*科学は存在同士のつながりを切断してから考える第16回 存在は実際のところ「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに終始答えるものである。部屋のとびらは、私が歩み寄れば刻一刻とその姿を大きくするし、部屋の明かりが明滅すれば、それに…

なぜ科学は存在から、容姿(色を含む)、音、匂い、味、感触をとり去っちゃう?

*科学は存在同士のつながりを切断してから考える第15回 科学は事のはじめに存在同士のつながりをふたつ切断する。そのうちのひとつである「絵の存在否定」を先に見、いまは残りのひとつである「客観化」について見ている。 存在は実際のところ、「他と共に…

数学万能、ビバ、マセマティックス、ビバビバ

*科学は存在同士のつながりを切断してから考える第14回 科学が存在を、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに終始答えるものから、ただ無応答で在るだけのものへすり替えるために、存在の実際の姿から、容姿(色を含む)、音、匂い、味、…

音から音をとり除くと、空気や液体の振動があとに残ると?!

*科学は存在同士のつながりを切断してから考える第13回 存在を、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに終始答えるものから、ただ無応答で在るだけのものにすり替えるために、科学が存在の実際の姿から、ほんとうは当の存在には属していな…

ピンク色の服のピンク色は心のなかにあるとする、すなわち科学は存在から色を取り除く

*科学は存在同士のつながりを切断してから考える第12回 先ほど、存在を、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに終始答えるものから、ただ無応答で在るだけのものにすり替えるために、科学が存在の実際の姿から、存在の容姿を、ほんとうは…

違いを「ジャマだ、ジャマだ」と、存在から取り除いて意識内にうち捨てる

*科学は存在同士のつながりを切断してから考える第11回 科学が自らの思うところに合うよう現実を修正するこの解釈操作では、存在が「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに終始答えて実際に呈する姿のうちから、存在をただ無応答で在るだけ…

理論にあうよう現実を修正するのが常套手段であることに留意しておいたほうがいいようだ

*科学は存在同士のつながりを切断してから考える第10回 では、存在を、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに終始答えるものから、ただ無応答で在るだけのものへすり替えるこの「客観化」で存在同士のつながりを切断すると、いったい何が…

科学は存在を客観的なものに読み替えることで、存在同士のつながりを切断する

*科学は存在同士のつながりを切断してから考える第9回 しかし科学は存在を、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに終始答えるものとは考えない。 先ほど、私が部屋のとびらに歩み寄る例をあげ、そのとびらが「私の身体と共に在るにあた…

存在は「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに終始答えるものである

*科学は存在同士のつながりを切断してから考える第8回 ここまで、存在同士のあいだの「ひとつの絵に共に参加している」というつながりを切断する「絵の存在否定」を見てきた。 確認したのは次の三つである。 科学はその「絵の存在否定」を身体に施し、みな…

神の存在証明にもとづくデカルトの知覚論に科学は乗って

*科学は存在同士のつながりを切断してから考える第7回 いまこの一瞬に私が目の当たりにしている空の姿と、この一瞬の私の「身体の感覚部分」とを、それぞれがその瞬間に在る場所に在るのは認めるものの、「ひとつの世界絵に共に参加している」もの同士とは…