(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

違いを「ジャマだ、ジャマだ」と、存在から取り除いて意識内にうち捨てる

*科学は存在同士のつながりを切断してから考える第11回

 科学が自らの思うところに合うよう現実を修正するこの解釈操作では、存在が「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに終始答えて実際に呈する姿のうちから存在をただ無応答で在るだけのものとするには邪魔になるものが取り除かれ私の意識内部へ移し替えられる。したがって、こう考えられるはずである。この移し替え作業で存在の実際の姿から、何が邪魔ものとして取り除かれ、私の意識内部へ移し替えられるのかがわかれば、その作業のあとに残るとされる、科学にとってのほんとうの存在、すなわちただ無応答で在るだけのものというのがどのようなものかも明らかになるだろう、と。


 では、いまから、科学が存在と考える、ただ無応答で在るだけのものとは何なのか特定するために、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに存在が終始答えて実際に呈する姿から、存在をただ無応答で在るだけのものとするには邪魔になるものとして科学が何を取り除き、私の意識内部へ移し替えるのか、確認していく(結論を先に言うと、邪魔ものとして存在の実際の姿から取り除かれるのは、容姿匂い感触である)。


 いま部屋のなかに背の低い小さなテーブルがあるとする。そのテーブル表面は真上から見下すと、それこそ真四角な姿をとる。ところが、離れて遠くから見ると、そのテーブル表面は真四角とは異なる姿を呈する。手前から向こう側へと延びるひと組の対辺は、たがいに遠くの一点へと収束していき、手前の二角は共に鋭角、奥側の二角は両方とも鈍角のような姿を呈する。同じテーブルの表面でも、このように、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに答えて、その姿を変える。


 しかし科学はこのテーブル表面を、ただ無応答で在るだけのものと考える。私の身体がテーブルの真上にあるときであれ、テーブルから離れた場所にあるときであれ、このテーブル表面は何ひとつとして変わらないとする(このテーブルはそのあいだ不動と仮定する)。


 よって、私が真上から見下すときにテーブル表面が実際に呈する姿と、私が遠く離れた場所から見るときにこのテーブル表面が実際に呈する姿とのあいだにある違いは、このテーブル表面を、私が真上から見下ろそうが、遠く離れた場所から見ようが、何ひとつとして変わらないものとしたい科学には邪魔になる。そこで科学は、邪魔になるこの違いを、ほんとうは当のテーブル表面には属していないものとして、テーブル表面の実際の姿それぞれから取り除き、私内部(意識内)に移し替えることにする。


 こうして、テーブル表面の実際の姿から、その容姿とでも言うべきものが邪魔ものとして取り除かれ、そのあとに残るものこそが、ただ無応答で在るだけの、ほんとうのテーブル表面だと解されることになる(ちなみに最後に残るのは、特定の位置を占めているということ、である)。


 科学はこう考える。


 外界に実在しているほんとうのテーブル表面に関する情報を、光が眼まで持ってくる。その情報は眼から視神経を通じて脳まで行き、そこでその情報をもとに脳が、外界に実在しているほんとうのテーブル表面のコピー像(映像)を私の意識内部に作る。で、そのとき、脳はこのコピー像に、外界に実在しているほんとうのテーブル表面には属していない、容姿をつけ加えるのだ、と。


 以上、存在の実際の姿から邪魔ものとしてその容姿が取り除かれるのを最初に確認した*1

つづく


前回(第10回)の記事はこちら。


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*1:2018年8月29日に、内容はそのままに、表現を一部修正しました。