(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

(題)あたらしい知覚論をください

みなさん、いま目のまえに俺の顔を見ているとご想像ください。科学の知覚論はこう言います。みなさんがいま目の当たりにしている俺の顔はみなさんの前方数十cmのところにあるのではないよ。それはみなさんの心(脳)のなかにある映像にすぎないよって。みなさんの前方数十cmのところにあるほんものの俺の顔から、その顔についての情報が光に乗ってみなさんの目玉にやってきて電気信号に形を変え、以後神経をつたい、みなさんの脳に行く。そしてそこで解析されて出来たのが、いまみなさんの心のなかにある俺の顔のその映像なんだよって。このシリーズでは科学のそうした知覚論がとって代わられないといけないことをまず確認します。で、その後あたらしい知覚論を手に入れようと試みます。

あたらしい知覚論をお土産に帰宅するまでが旅の途中

*あたらしい知覚論をください第8回 あらたな嗅覚論についてはこう言える。 他人の部屋に入ると、匂いがすることがあるけれども、しばらく時間が経つと、大抵そうした匂いはしなくなる。これについては匂いが隠れるという言いかたをすることもできるが(何…

あたらしい聴覚論も記念にひっつかまえよう

*あたらしい知覚論をください第7回 俺が追い求めているあらたな、聴覚論と嗅覚論についても以下見ておく。 楽器を使って出す音(あくまで聞こえる音のことを言っている)は、楽器によってはもちろんのこと、演奏するひとの身体のありよう、場所、聞き手の…

にぎり飯のことなんてすっかり忘れ、あたらしい視覚論をとっつかまえるのに夢中になろう

*あたらしい知覚論をください第6回 俺が歩み寄るにつれ、松の木は、刻一刻と姿を大きくし、かつ木目をくっきりさせていく。太陽が雲に隠れれば薄暗い姿を呈するし、雲間から太陽が顔を出せば一転、明るい姿を呈しもする。また俺が道のくぼみに足を踏み入れ…

にぎり飯はほっぼり出して、あたらしい視覚論を追おう

*あたらしい知覚論をください第5回 松の木に歩み寄る例を用いて、あらたな視覚論から探ってみる。 俺が歩み寄ると、松の木の姿は刻一刻と大きくなり、かつその木目も一瞬ごとにくっきりしてくる。このように松の木は、「他のものと共に在るにあたってどの…

いざ、にぎり飯を口に運ぼうとするそのとき、手がとまるほどの激震が走る

*あたらしい知覚論をください第4回 科学は松の木や蟬の声を、俺が歩み寄っても「これひとつとして違いを見せることのないもの」とするために、つまり存在を、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるものから、無応答で在…

にぎり飯は「存在のすり替え」を観たあとに喰らおう

*あたらしい知覚論をください第3回 先ほど、俺が歩み寄ると、松の木の姿や蝉の鳴き声(音)が刻一刻と変化するのを確認した。松の木や蟬の声はまさに「他のもの(私の身体など)と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるものである。…

にぎり飯を喰らうまえに、松の木と蟬の声をめでよう

*あたらしい知覚論をください第2回 科学の知覚論が生まれるに至る経緯を事のはじめから見ていく。 俺が歩み寄れば、松の木は刻一刻とその姿を大きくする(話を簡単に進めるために、松の木が終始、占めている位置を変えない場合をいまは例にあげる)。実寸…

にぎり飯をぶらさげて冒険旅行に出かけよう

*あたらしい知覚論をください第1回 見る、聞く、匂う、味わう、触れる、といった知覚体験についてあたらしい論を手に入れようというのが今回の狙いである。よろしくお願い申し上げる次第だ。 ひとによって異なった色に見えるドレスの写真がたしか昨年あた…