(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

2016-01-01から1ヶ月間の記事一覧

自然淘汰はお家騒動?

*コバエぶんぶん自然淘汰(下) 以来、自然淘汰と聞くと、俺が念頭にサッ、ササッと置くのはこの鈍感なコバエである。 ひょっとすると進化論者のなかには、こうしたコバエを見て、こうお考えになるかたもおいでかもしれない。「こんなに鈍感で死ぬ確率が高…

コバエは自然淘汰されなかった

*コバエぶんぶん自然淘汰(中) とっさには、阿波踊りを舞いだすカッコウで跳びあがることしかできなかった俺ではあるが、一匹のコバエが俺の耳もとスレスレを通りすぎたのだとつぎの瞬間には理解していた。その俺の目の前には、こちらにケツを向けながらゆ…

コバエはなぜ自然淘汰されないのか

*コバエぶんぶん自然淘汰(上) 或る学者は或る魚にこんな疑問をもったと言う(なんとも曖昧な書きかたで相済まない)。 この魚はなぜこんなふうなんだろ。こんなふうだと他の魚たちと比べて、活動するのに余計なエナジーが必要になるじゃないか。余計に食…

自力でやっている姿こそが美しいのに

*自力で窓を閉めることのできる人間は存在するか第4回 みなさんは普段、自分でものごとを為しているとお感じである。しかしそれは脳にそう感じさせられて欺かれているだけであって、みなさんが何を思い、何かを為すかはすべて、脳のさじ加減ひとつだと脳科…

自然淘汰は個体の死にやすさの問題ではなくて、跡継ぎ問題なんじゃないかな

*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第10回 では、ここで、群淘汰論者やドーキンスたちによる読み替えのきっかけとなった、生物個体には、利他的行為(他に利益を与え、自らは不利益をこうむる行為)は淘汰されてすでに無く、今現在利己的行為(…

自力で窓を開けていると脳に思わされているだけ

*自力で窓を閉めることのできる人間は存在するか第3回 が、こんなことを言っていると、こう言われそうである。 「お前さん、でもね、窓を開けようと思いたち、窓辺まで歩いて行って、窓を開けるようなとき、オレは終始、自分がやっていると感じるよ。すべ…

利他を利己に読み替えてよかったのかな

*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第9回 以上、群淘汰論者とドーキンスが、生物個体による利己的行為と利他的行為とをそれぞれ、この世に唯一存在すると彼らが信じる利己的行為にどう読み替えるのか確認しました。 利己的な遺伝子 <増補新装…

みなさんの脳を疫病神が設計した可能性はいかほど?

*自力で窓を閉めることのできる人間は存在するか第2回 欧米には、脳を研究しているうちに、キリスト教に帰依するようになるひとがいると、日本の研究者が(不満げに)書いているのを昔、読んだことがある。そのようにキリスト教を心底信じられるのなら、み…

衆人環視のもと「コマネチ」を連発するかどうかは脳次第

*自力で窓を閉めることのできる人間は存在するか第1回 脳科学が台頭しはじめたころ、俺は思った。これからはコレだ、と。そして心のよりどころを求めるように脳科学にムチュウになった。 さいしょに読んだ脳科学の本は、書店では多湖輝さんの本の並びに置…

ドーキンスも換骨奪胎していたね

*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第8回 さて、ドーキンスのこの読み替えでも、「進化論的理論」が「新・進化論的理論」へと換骨奪胎されていたことにみなさんは、お気づきだったと思います。 利己的な遺伝子 <増補新装版> 作者: リチャード…

科学による2種類の切断事件

2016年もひきつづき、みずからが愚かものであることを証明せんとばかりに、愚かもののひとつ覚えぶりを思うぞんぶん発揮してまいる所存である。なにとぞヨロシクお願いもうしあげる次第である。 では、かくもうすコッケイな俺は、恥ずかしげもなく、いったい…