(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

自力でやっている姿こそが美しいのに

*自力で窓を閉めることのできる人間は存在するか第4回


 みなさんは普段、自分でものごとを為しているとお感じである。しかしそれは脳にそう感じさせられて欺かれているだけであって、みなさんが何を思い、何かを為すかはすべて、脳のさじ加減ひとつだと脳科学的には考えることになるのではないだろうか。


 かつて俺がハフハフと脳科学の言説をおいしく頂いていたときに、しきりと小骨がひっかかったことについては冒頭で申し上げた。脳科学の考え方を信じると、みなさんを、みなさんの脳にコントロールされた単なるあやつり人形と見、みなさんの「自力感」を幻想にすぎないとすることになるということを、漠然とながら俺は当時クンクンと嗅ぎつけていたんだと思う。


 はたして脳科学が主張するように、みなさんが何を思い、何をするかは、みなさんの脳のさじ加減ひとつなのだろうか。みなさんが普段覚えておられる、自分でやっているという感じは脳がつくりだしている単なる幻想にすぎないのだろうか。


 俺はいままで、脳科学を批判するひとをほとんどお見受けしたことがない。大森荘蔵さんや千代島雅さんといった哲学者くらいである。多くのみなさんは脳科学を信奉していらっしゃるようである。みなさんが何を思い、何を為すかは、ご自分の脳のさじ加減ひとつであって、ご自分がつねにお覚えになっておられる「自力感」は、ご自身の脳がつくりだしている幻想にすぎないとする見方に、同意なさっておいでなのかもしれない。

大森荘蔵セレクション (平凡社ライブラリー)

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ダメな日本のおかしな科学者たち

ダメな日本のおかしな科学者たち

 


 俺?


 愚かな俺は、ご覧のようにその反対である。自分でやっているという感じを否定する理論は、それが何であれ、理論として問題があると思っている(ダサ格好わるく言えば、俺のスタートラインは、「自力感」を否定する科学の理論を、自分がどうしても信じきることができないと気づいた地点である)。


 もし「自力感」が幻想だということになると、みなさんの、苦難にたえてがんばっておられる尊い姿が、単にみなさんの脳によって作りだされている動きにすぎないことになって、美しく見えなくなる。 俺は酒焼けしたダミ声を大にして言いたい。みなさんが美しくないなどというウソにはだんじて我慢ができないと。脳科学は、「自力感」を認められるように理論を修正すべきだというのが俺の考えである(そのように修正するのに大した労力はいらないのではなかろうか)。そしてじっさい、「自力感」を幻想にすぎないとする見方をうちやぶるひとたち、言ってみれば、人間研究界の大谷翔平選手や松井裕樹投手といった新しいひとたちが大勢これから出てくるのはまちがいないと俺はふんでいるのである。

行動の構造

行動の構造

 
(了)


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