(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

西洋学問に見られる、快さ苦しさについての定義3つ

*科学するほど人間理解から遠ざかる第23回 


 快さを感じているというのは、「今どうしようとするか、かなりはっきりしている」ということであり、かたや苦しさを感じているというのは、「今どうしようとするか、あまりはっきりしていない」ということですけれども、西洋学問では、事のはじめに「絵の存在否定」と「存在の客観化」というふたつの不適切な操作を立てつづけになすことによって、快さと苦しさをそうしたものと理解する道をみずから閉ざしてしまうとのことでした。


 では、快さや苦しさを西洋学問ではいったいどういったものと誤解するのか。それを最後に見ようとしているところです。


 ちょうど先刻、西洋学問では「身体の感覚部分」を、心のなかにある、「身体機械についての情報」と解する旨、確認しました。


 みなさんにとって身体とは、おなじ場所を占めている「身体の感覚部分」と「身体の物部分」とを合わせたもののことであって、「身体の感覚部分」は身体のうちに含まれますけれども、西洋学問では身体は元素(見ることも触れることもできず、音もしなければ匂いも味もしないと西洋学問では考えらます)の集まりでしかないもの身体機械)と考えられ、「身体の感覚部分、心のなかにある、「身体機械についての情報と解されるというわけでした。


 現代科学では、「身体機械について情報、「身体機械」各所から、電気信号のかたちで、神経をへて脳に送られ、そこで感覚に様式を変換されたのが、痛いとか熱いとか冷たいとかカユイといった「身体の感覚(部分)」であるといったふうに説明されます。参考程度に脳科学者のつぎの文章をご一読ください。

「触れている」、「痛い」、「熱い」、「冷たい」、「かゆい」など、ふだん私たちが皮膚で感じているすべての感覚をまとめて、「体性感覚」と言います。アリストテレスは「触覚」と言っていましたが、将来、脳科学者を目指すみなさんは「体性感覚」という用語を使いましょう。


 皮膚の下の真皮には「マイスナー小体」や「パチーニ小体」と呼ばれる感覚器があります。圧力や振動などの機械的な刺激(いわゆる触覚刺激)はそこで受容され、感覚神経に伝えられます。皮膚の下には、そのほかにも「自由神経終末」が存在し、「熱い」「冷たい」を感じる「温度センサー」や「痛い」「かゆい」などを感じるための「化学センサー」として働く、イオンチャンネルや受容体などの分子装置が存在しています。


 また、私たちが普段はあまり意識をせずに使っている体性感覚として、深部知覚(あるいは固有感覚)があります。それは関節・筋・腱に存在する特殊な受容器が機械的刺激を受け取り、手や足など身体の各部分の位置や運動の状態、加わる抵抗や重量などを知覚する働きを担っています。(略)違ったモダリティ〔引用者注:視覚、聴覚、嗅覚、味覚はモダリティが違っていると表現されるものと思われます〕の刺激情報は、基本的に異なった神経繊維を通って、「脊髄」、「視床」を経て、大脳皮質の体性感覚野へと伝えられていきます(理化学研究所脳科学総合研究センター編『脳科学の教科書(神経編)』岩波ジュニア新書、pp.114-115、2011年、ゴシックは引用者による)。

脳科学の教科書 神経編 (岩波ジュニア新書)

脳科学の教科書 神経編 (岩波ジュニア新書)

 


 西洋学問では、現実に反して身体を「身体機械」とし、「身体の感覚部分」を、心のなかにある、「身体機械についての情報」とするこうした見方にもとづいて、快さや苦しさを定義づけます


 俺が西洋学問のうちに見かけた、快さ苦しさについての定義は計3つで、ひとつはプラトンによるもの、ひとつは広く世間に流布されたデカルト流のもの、もうひとつは現代脳科者のものですけれども、寡聞な俺のことです、定義はもっと他にもたんまりあるのに、それら3つにしか気づいていないというところではないでしょうか。ですが、みなさん、そうした定義すべてを網羅することは、俺なんかにはお求めにならず、豊富な知識と、調査を着実に遂行しきる能力とをお持ちのみなさんご自身にご依頼ください。きっと、みなさんのご期待を裏切らないご回答を手になさることがおできになるはずです。


 モチはモチ屋、俺はただのド素人。背伸びすることなく、自分にできるおおざっぱなおしゃべりに今後も邁進してゆく所存です。


 以後、順につぎのふたつの定義を見ていきます。

  1. 広く世間に流布している、デカルト流の快さ苦しさについての定義
  2. 現代科学者による、アカデミックな快さ苦しさについての定義


 前記、プラトンによる定義は各位、『ピレボス』にてお楽しみください。

ピレボス (西洋古典叢書)

ピレボス (西洋古典叢書)

 


 前記1は、自覚症状が有るとか無いとか言われるときに採用されている定義で、前記2は、快さを快情動、苦しさを不快情動と見てなす定義です。


 順に見ていきます。


第22回←) (第23回) (→第24回

 

 

このシリーズ(全32回)の記事一覧はこちら。