(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

2018-07-01から1ヶ月間の記事一覧

じゃあ、快さや苦しさは何なのか

*科学するほど人間理解から遠ざかる第3回 西洋学問ではこれまで快さや苦しさは何であるか理解されてこなかった、と大胆にも申し上げました、その実、膝をガクガク言わせながら。 そう申し上げれば、どうなるか。 「じゃあ、快さや苦しさとはいったい何なの…

治療がときにひどくつらいことが示す意味

*科学するほど人間理解から遠ざかる第2回 西洋学問ではこれまで、快さ苦しさは何であるか理解されてこなかったと最初に申し上げ、そのことは、健康や病気についてすこし考えてみるだけでもすぐ明らかになると申し添えました。 本題に入るまえにもうしばら…

快さや苦しさはこれまで一度も何であるか理解されてこなかった

*科学するほど人間理解から遠ざかる第1回 快さとか苦しさというのが何であるかこの文章では確認します。以後、快さと苦しさをひとつに合わせて、快さ苦しさと表記したりすることをお許しください。 いまから例によって例のごとく、本題に入るまえに何やら…

引っ越して参りました

このたび、seesaa blogから越して参りました。フツツカ者ですが、どうぞよろしくお願いいたします。 seesaaに置いて参りました記事はそのままにしておくつもりです。ひょっとすると、後日、こちらhatena blogのほうに移管するかもしれませんけれども。 (201…

科学の奇っ怪な出発点は「部分」の否認にあり③

鐘は、科学の手にかかるとこのように、ほんとうは見えないものであるということになる。俺が目をつむっていても、開けていても、眼鏡をかけていてもいなくても、後ろを向いていても、まえを向いていても、何ら変わることのないもの(見えないまま)であるこ…

科学の奇っ怪な出発点は「部分」の否認にあり②

ではつぎに、これらふたつの不適切な操作の過程を順に詳しく見ていこう。 いまこの瞬間、俺が、教会の塔のうえにある鐘を遠望しているとすれば、その瞬間、俺が目の当たりにしている鐘の姿は、俺の前方数百メートルのところにあるということになる。このよう…

科学の奇っ怪な出発点は「部分」の否認にあり①

2018年に入ってから、「2018年一斉書き直しシリーズ」と銘打って、第1弾と第2弾をお送りしてきた。 シリーズ第1弾は「科学の出発点をナミダナミダで語り直す*1」と題して、またシリーズ第2弾は「科学が存在を別ものにすり替えるのをモノカゲから見なおす…

科学の身体説明からぬけおちる、金銭より大事なもの

*科学が存在をすり替えるのをモノカゲから見なおす第18回 さて、みなさんにお別れ申し上げる頃合いとなった。 僕は酒臭い息をはきながら、実に長々とおしゃべりしてきた。みなさん、僕の拙い表現を適宜、ご自分流に補ったりなさりながら、ここまでガマン強…