(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

出来事を一点のせいにするのは医学だけ、物理学も化学もそんなことはしないと確認する(4/4)

医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第7回

3/4からのつづき

 いまみなさんとこういうことを確認しました

  1. 科学は存在を別もの(存在もどき、と名づけましたね)にすり替える。
  2. 科学は「存在もどき」同士のあいだを、因果関係なるニセの関係でつなぎ直す。


 じゃあここから本題に入りますね
。物理学の授業で一番はじめに出てくる力学を例に考えてみましょうか、ね?


 ビリヤード台のうえで白玉に衝突された9番ボールがコーナーポケットに落ちるという出来事を力学ならどう説明するとみなさん思います


 まず9番ボールに加わる力を事細かにひとつひとつあげていくんじゃないですかね?


 9番ボールに地球から加えられる重力、ビリヤード台表面から9番ボールに加えられる垂直抗力や摩擦力、白球から9番ボールに与えられる仕事量(でしたっけ?)、衝突した他のボールや台の縁から9番ボールに加えられる反発力(これであっているのかな、怪しいな)等々(テーブルの傾きも考え合わせないといけませんね)。


 で、つぎに、地球やテーブル表面や白球や他のボールや台の縁やと、9番ボールとを、これらの力で結んで、9番ボールの行く末を考えるんじゃないですかね、力学は?


 つまり、9番ボールを因果関係で結ばれた他の複数の存在たちと共に考えようとするんじゃないですか、ね?


 このように力学は、テーブルのうえでどんな出来事が起こるかは、因果関係で結ばれた複数の存在たちと、それら複数の存在たちを結ぶ因果関係とが、それぞれどんなであるかを考慮しなければ説明できないとするんじゃないですかね? 


 いまこう言いましたよ。力学は出来事をつぎのふたつに配慮しなければ捉えられないとするんじゃないかって。

  • A.因果関係に結ばれた複数の存在たち
  • B.それら複数の存在たちを結ぶ因果関係


 出来事を一点のせいにするというのは、どんな出来事が起こるかは一点によって決まるとすることじゃないですか。どんな出来事が起こるかは一点によって決まるとなんかしていませんよね力学


 出来事を捉えるためにA(複数の存在たち)とB(それらを結ぶ因果関係)に配慮しようとして物理学や化学が腐心の結果、編み出してきたのが、数々の物理・化学法則だったんじゃないのかなって俺なんか思いますけど、ちがいますかね? もし出来事を一点のせいにすることができるなら果して法則なんかをわざわざ編み出す必要ありましたかね


 大木であれ、俺の身体であれ、ビリヤード台のうえや身体に起こる出来事であれ、何であれ、それを捉えるというのは「状況を捉える」ということなんだって最初に確認したじゃないですか。物理学や化学もまた、存在と関係をそれぞれニセものにすり替えながらも、物理学や化学なりに状況を捉えようとしてきたんじゃないですかね


 医学だけなんじゃないのかなあ出来事を一点のせいにするのは。医学は、身体に起こる出来事を一点のせいにし、その一点を原因とよびますけど、現に物理学や化学には、原因という用語は出てこないんじゃないですか、ね? おなじ科学でも、出来事を一点のせいにする医学だけなんじゃないのかなあ、原因がどうのこうのなんて言うのは?

(第8回につづく)

 

翌週はお休みをいただき、次回は6月3日(月)21:00にお目にかかります。


今回は記事を(1/4)、(2/4)、(3/4)、(4/4)の4つに分けてお送りしました。

  • ひとつまえの記事(3/4)はこちら。

  • 今回の(1/4)はこちら。


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出来事を一点のせいにするのは医学だけ、物理学も化学もそんなことはしないと確認する(3/4)

医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第7回

2/4からのつづき

 いや、存在同士を再度つなぎ直すと言っても、存在同士のあいだに(厳密にいえば「存在もどき」同士のあいだに)、ほんとうの関係を認められるようになろうとするってことじゃないですよ。


 そもそも存在同士の関係ってどんなものですかね? 存在はほんとうは、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるもの、ですよね。存在にとってその問いに答えることこそ他の存在と関係するってことですよね?


 だけど科学には、存在同士のあいだにそうしたほんものの関係を再度、認められるようになろうとする気はこれっぽっちもありません。だって、ほんものの関係を再度認められるようになるっていうのは、存在を実際どおり、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるものと認め直すってことじゃないですか。そんなこと科学がするはずありません、ね? 科学はあくまで、存在を「無応答で在るもの」と決めつけた最初の定義を貫こうとします。


 となると、科学にできることはたったひとつ、じゃないですか。


 存在同士を(厳密にいえば「存在もどき」同士を)、ほんものの関係とは別のニセの関係でつなぎ直す、コレですよ、コレ。


 こういうことでしたよね。存在は、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答える。存在にとって、そうして自らのありようを自ら律すること(自律)こそが他の存在と関係するということである、って。ですけど、いまさっき言いましたように、科学には、関係をそのようなものと認めるつもりはまったくありません。そうなればもう科学には関係をつぎのように考えるしか手はないじゃないですか。すなわち、存在にとって、他の存在と関係するというのは、ありようを他の存在に律せられる(他律)ということなんだ、って。


 そうですよ、そのニセの関係こそあの因果関係とよばれるもののことですよ


今回は記事を(1/4)、(2/4)、(3/4)、(4/4)の4つに分けてお送りしています。

  • ひとつまえの記事(2/4)はこちら。


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出来事を一点のせいにするのは医学だけ、物理学も化学もそんなことはしないと確認する(2/4)

医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第7回

1/4からのつづき

 現におなじ科学でも物理学や化学は出来事を一点のせいにしたりなんかしませんよね? 物理学や化学に出来事を一点のせいにできると教えられた記憶なんかありませんよ(といっても、大学入試用の物理学や化学に触れた程度ですけどね)。むしろ逆に、出来事は一点のせいにできるような単純なものではないと教えられた気すらしてるくらいですよ。


 いまから極めて大雑把にですけどそのことをちょっと確かめてみますね


 状況・最小単位説を最初に見ましたよね。大木であれ、俺の身体であれ、他人の脳であれ、俺の過去体験記憶像であれ、何であれ、それを捉えるというのは「状況を捉える」ということなんだって確認しましたよね?


 そのとき俺、何から話しはじめましたっけ? いまみなさんと俺が目のまえに見ている大木(大木、まだあんなところにあるな……)、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるかという問いに逐一答えるってことを確認するところからはじめたんじゃなかったでしたっけ?


(みなさんと俺が歩み寄っている大木)


 実のところ、科学が大木を現実どおりそうしたものと認めることは……ありません。科学は大木をいきなり、無応答で在るもの(客観的なもの)と決めつけます。


 ほら、いま俺の前方数百メートルのところに大木、あるじゃないですか。俺が歩みよるにつれ、その姿を刻一刻と大きく、かつ、くっきりさせていきますよね。太陽が雲間にかくれれば、その姿を黒っぽくし、太陽が雲間からまた顔を覗かせれば、姿を黄色っぽくしますよね。だけど科学は大木を俺が近寄っていっても反対に遠ざかっていっても目をつむっても開けても飛び跳ねても背を向けてもサングラスをかけてもまた太陽が雲間に隠れたり雲間からふたたび顔を出したりしても終始無応答で何ら変わることはないって、事のはじめに勝手に決めつけちゃいます。


 科学はこんなふうにいきなり存在を別もの存在もどきとよぶことにしますね)にすり替えちゃいます。存在はほんとうは、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに逐一答えるものじゃないですか。なのに存在を、「無応答で在るもの」であることにしちゃいます。


 でも、存在を「無応答で在るもの」と決めつけるってどういうことですかね? 存在同士を、互いに無応答とすることじゃないですか、ね? それって、存在同士を互いに無関係であることにしちゃうってことですよ、ね?


 存在同士を互いに無関係と考えるなんてこと、どだい無理に決まっているじゃないですか。


 そこで科学はいったん互いに無関係であることにした存在同士を再度つなぎ直すことになります


今回は記事を(1/4)、(2/4)、(3/4)、(4/4)の4つに分けてお送りしています。

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出来事を一点のせいにするのは医学だけ、物理学も化学もそんなことはしないと確認する(1/4)

医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第7回

 医学はひとの身になろうとしません、ね? じゃあその代わりに何をするのか。


 身体に起こる出来事を一点のせいにするってことでしたよね。


 出来事を一点のせいにするっていうのはこういう論理であるとのことでした。

  • 出来事が好ましい場合には、すべてをその一点のおかげとし、その一点を過大評価する。
  • 出来事が好ましくない場合には、すべてをその一点におっかぶせその一点をとり除きさえすればいいとする


 後者②はそれこそ排外主義の論理そのものであるとのことでしたね。


 でも、出来事を一点のせいにすることなんかできないって最初に確認したじゃないですか。実際出来事を一点のせいにする見方でやってきた医学の研究とか治療とかってどうですかね? うまくいっていると胸張って言えそうですかね


 ガン一点にすべてをおっかぶせ、ガンをとり除きさえすればいいとして臓器ごとごっそり摘出したり、非常な苦しみをともなう抗がん剤投与をドシドシしたりしてきたガン治療はどうですかね? かなり悲惨なことになったんじゃないですかね?

「がんと闘うな」論争集―患者・医者関係を見直すために (メディカルトリビューンブックス)

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(チュージング・ワイズリーのなかに「早期がん発見を目的にした検診はやめる」という項目があるみたいですね? 下の記事の3ページ目ですよ。)

がん検診の大罪 (新潮選書)

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 そうそうガンといえば、ガン研究、あれなんか、ガンが身体のなかにできるという出来事を遺伝子のなかの変異一点のせいにしようとしてうまくいかず、行き詰まったクチだったんじゃなかったでしたっけ?


 感染症治療なるものはどうですかね? すべてをウィルスもしくは細菌一点におっかぶせ、そうした一点をとり除きさえすればいいとして、抗ウィルス剤または抗菌剤を投与してきた治療、もしくはワクチン接種をしてきた予防に、闇は伴いませんでしたかね?


 認知症を脳のなかのアミロイドβ(老人斑)という物質一点のせいにして(当初からアミロイドβのせいにすることに反対があったはずなのに)、その一点をとり除きさえすればいいとし、そのための薬剤をひとに投与してきた結果、どうなってますかね? たしか最近読んだ記事には、フランスで使用中止が勧告されたと書いてあったような気がしますけど、実際どうなんですかね。


 記事と言えばまたぞろひとつ思い出しましたよ。AさんがBさんに惹きつけられるというのは、Aさんの身体から出たフェロモンなる物質がBさんの身体のなかに入って引き起こす出来事なんだって、科学者は長らく説明してきましたよね。そのように科学は、ひとに惹きつけられるという出来事を身体のなかの一点のせいにできるとしてきました、ね? けど、フェロモンの候補としてあがっていた物質がふたつとも、効果がなかったと明らかになったって、最近、記事になってたじゃないですか、ね?


 以上、みなさん、どう思います? 研究や治療のこうしたハカバカしくない結果って身体に起こる出来事を一点のせいにすることなんかできないってことを暗に示しているんじゃないのかなって思いません?


今回は記事を(1/4)、(2/4)、(3/4)、(4/4)の4つに分けてお送りします。


前回(第6回)の記事はこちら。


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医学の根本原理が、人種差別に用いられる論理であることを確認する〈3/3〉

医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第6回

2/3からのつづき

 だけどすべてを一点におっかぶせその一点をとり除きさえすればいいとする(前記②)ってのは排外主義の論理なんじゃないですかね


 だってそうじゃないですか。


 いま世界の富の80%は、世界人口のたった1%である富裕層のものになっているとよく言われますよね? なのにアメリカの一部のひとたちが、自分たちの生活が苦しいのを国内の移民一点のせいにし、移民さえいなくなりぁ暮らし向きがよくなると言わんばかりに、「この国から出てけ!」と声を張り上げているって聞くじゃないですか(俺の聞き違いですかね?)。


 誰かが罪を犯すと、そのひとが何々人(人種もしくは民族)であるからだとする人間もいまだにたくさんいますよね。あれも出来事を一点のせいにしていますね。その誰かが罪を犯したという出来事すべてを、そのひとの何々人であるという一点におっかぶせ、何々人を排除しさえすればいいとばかりに、国外に放り出せって口の端にツバ溜めてワメキますよね。そうすりゃ、社会が良くなるって。


 排外主義の論理って一部のひとたちにすべてをおっかぶせそのひとたちを社会からとり除きさえすればいいってする考え方じゃないですかこれって出来事を一点のせいにするってことですよね


 たとえば、免疫学ってどうですかね。排外主義の響きがするとみなさん、思いません? いや、思いますよね? みなさん、実はこれまでずっとそのことを密かに気にしていて、免疫学の知見を口にしようとするたび、内心、ためらいを覚えてきたんじゃないですか、ね?


 免疫学はかつて、苦しんでいるひとの身体のなかにウィルスもくしは細菌を見つけるやいきなり、そのひとが苦しんでいるのを、ウィルスもしくは細菌一点のせいにした。アメリカの一部のひとたちが、移民にすべてをおっかぶせ、「出てけ!」と叫ぶように、免疫学はすべてをウィルスや細菌におっかぶせ身体のなかから一掃しさえすればいいとした。そうして、外来のものは敵、内在のものは味方とする定式を作った。で、身体のなかには、外来のものを敵と認識し、撃退する免疫機構なる排外主義的自警団があるはずだと考えた。


 まさにこれこそ排外主義の論理と言わずして何と言うか、じゃないですか? 食べることひとつとったって、身体の外からやってくるものを一概に敵と決めつけるわけにはいかないってことになるんじゃないのかなと俺、思いますけど。それに最近、腸内細菌がどうのこうのって言うじゃないですか。あれなんか、身体の外から来るものを敵と決めつける免疫学の基礎があやまりであることを端的に示しているんじゃないのかなあと思ったりもしますけど、実際どうなんですかね?


 医学は、ひとの身になろうとする代わりに、身体に起こる出来事を一点のせいにするってことでしたね。で、その、身体に起こる出来事を一点のせいにするっていうのは

  • 出来事が好ましい場合には、すべてをその一点のおかげとし、その一点を過大評価すること、
  • 出来事が好ましくない場合には、すべてをその一点におっかぶせ、その一点をとり除きさえすればいいとすること(排外主義の論理)、


 であるとのことでしたね。


今回は記事を〈1/3〉〈2/3〉〈3/3〉の3つに分けてお送りしました。

  • ひとつまえの記事(2/3)はこちら。

  • 今回の〈1/3〉はこちら。


前回(第5回)の記事はこちら。


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医学の根本原理が、人種差別に用いられる論理であることを確認する〈2/3〉

医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第6回

1/3からのつづき

 現に、おなじ科学でも物理学や化学は、医学とちがって、出来事を一点のせいにしたりなんかしません、ね?


 いや、でも待ってくださいよ、物理学や化学は出来事を一点のせいにしたりなんかしないってことを確認するまえにまず、出来事を一点のせいにするっていうのがどういう論理か少し確認しておくことにしましょうか、ね?


 出来事を一点のせいにするっていうのは、人間には馴染みの論理ですよね。雨が降りますね。その雨降りをその場に居合わせた誰かひとりのせいにして雨女とか雨男とよび糾弾する。「アイツがいなければ、晴れてたのにな〜」「もうアイツよぶのよそうぜ」「だな、また雨降っちゃうからな」


 これなんか、雨降りという出来事を、ひとりのひと、つまり一点のせいにしていますよね?


 挙げた例、極端すぎますかね? なら、こんな例はどうです? 最近の若者の言動が気にくわない。そこでそのことを教育という一点のせいにし、さらに教育がそんなふうなのを今度は教師のせいにして、ダメ教師を排除せよって叫ぶ。


 ね、これも出来事を一点のせいにしていますよね? それも2回も?


 出来事を一点のせいにするというのは

  • 出来事が好ましい場合には、すべてをその一点のおかげとし、その一点を過大評価すること、
  • 出来事が好ましくない場合には、すべてをその一点におっかぶせその一点をとり除きさえすればいいとすること、


 と言えるんじゃないですかね?


 ほら、医学はよく、人間の平均寿命がここ数十年のあいだに劇的に伸びたのを、すべて医療一点のおかげとし、医療を過大評価するじゃないですか(いや、そんなことをするのは日本の科学者だけかもしれないですね)。それって前者①の論理そのものですよね? あと、感染症なるものが減ってきたのを、すべてワクチンのおかげにするとか、ね? どう考えたってものの見方が極端すぎるっていうのに、ね?


 ほかにぱっと出てくるのはガン治療かな。これなんか、後者②そのものじゃないですか。かつて医学は、複数のひとたちが苦しんで死んでいったのを、そのひとたちの身体のなかに見つかったガン一点のせいにした。そして、ガンという一点を身体のなかからとり除きさえすればいいことにし、臓器ごとごっそり摘出したり(1881年にはじめて胃がんの手術をしたビルロートなんか有名みたいですね)、非常な苦しみをこうむる抗がん剤投与をドシドシしたりしてきたじゃないですか、ね?

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今回は記事を〈1/3〉〈2/3〉〈3/3〉の3つに分けてお送りしています。

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医学の根本原理が、人種差別に用いられる論理であることを確認する〈1/3〉

医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第6回

 状況最小単位説と俺がよぶ、この世の根本原理について最初に確認しましたよね。大木であれ、俺の身体であれ、太陽であれ、音であれ、俺の過去体験記憶像であれ、何であれそれを捉えるというのは、「状況を捉えるということなんだってことでしたね(第1回から第3回)。で、いまさっき、その根本原理は当然ひとにも当てはまるってことを、統合失調症と診断された男性患者さんを例に確認したじゃないですか(第5回)。ひとを捉えるっていうのも、「状況を捉えるということなんだ、もっと正確な言い方をすれば、そのひとが渦中にいる状況(当人を状況の一部と見る。以下同様)を捉えるということなんだ、つまり、そのひとの身になることなんだ、って。


 でも医学はひとの身になろうとしないってことでしたね。じゃあその代わりに何をするのか


 ひとの身になろうとしない医学には当然、先の男性患者さんのようなひとたちのことは理解できないわけですけど、そのひとたちを例にするなら統合失調症で、理解され得ない人間なんだということにしておいてから、こうすると言えるんじゃないですかね。

  1. 統合失調症であることを、脳のなかの一点のせいにする
  2. 脳のなかにそんな一点があるのを、遺伝子変異一点もしくはウィルス一点のせいにする


 医学は、ひとの身になろうとしないで、すなわち、ひとが渦中にいる状況がどんなかを捉えようとしないで、そのひとの身体に起こる出来事をこのように、身体のなかの一点のせいにするんじゃないですかね? 身体にどんな出来事が起こるかを身体のなかの或る一点が決めるということにするんじゃないですかね?


 こんなふうに出来事を一点のせいにするというのが医学にとっての根本原理だと言えるんじゃないのかなあ。


 たとえば歩くとか話すとか食べるとかといった出来事なら、医学は脳一点のせいにするじゃないですか。脳が、歩くとか話すとか食べるとかといった企画を立案し、その企画を実現するために運動指令を、電気信号のかたちで、身体各所の筋肉に、神経を通じて送り、身体を動かすっていうふうに説明するじゃないですか、ね? ほら、「脳が運動を司る」といった言いかた、聞きますよね? で、医学はそうして脳という一点のせいにしたあと、今度は、脳がそんなふうに働くように出来ているのを、遺伝子一点のせいにするじゃないですか、ね?

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脳科学の教科書 神経編 (岩波ジュニア新書)

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 病気という出来事についても見方はおなじじゃないかな。遺伝子変異とか、脳内物質の欠乏もしくは過剰、ウィルス、細菌、ガン、アレルゲンといった一点のせいにしますよね?


 医学はこんなふうに、身体に起こる出来事を一点のせいにします、ね? だけど、身体に起こる出来事を一点のせいになんかしてイイんですかね


 身体に起こる出来事を一点のせいにするというのは、さっきも言いましたけど、身体にどんな出来事が起こるかは、身体のなかの或る一点が決めるとすることじゃないですか。身体にどんな出来事が起こるかを一点が決めるだなんてこと、みなさん、言えると思います?


 状況・最小単位説をこれまで見てきてわかったのはむしろ、大木であれ、俺の身体であれ、音であれ、他人の脳であれ、何であれ、それを捉えるというのは「状況を捉える」ということなんだってことでしたよね? 「状況を捉え」てこそはじめて(「状況把握」をしてこそはじめて)、存在ひとつひとつの動向が明らかになってくるということだったじゃないですか。大木しか見ないというのでは、その大木のことすら捉えられないし、俺の身体にしか着目しないというのであれば、俺の身体のことすら捉え損なうってことでしたよね? 一点にしか着目しなければその一点のことすら捉え損なうって確認したんじゃなかったのかなあ。


 身体にどんな出来事が起こるかは身体のなかの或る一点が決めるだなんてこと絶対に言えないんじゃないですか、ね?


今回は記事を〈1/3〉〈2/3〉〈3/3〉の3つに分けてお送りします。


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