(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできないというのは本当?

みなさんが診察室や病室でする「訴え」と「要望」は(精神)医学には届かない(統合失調症理解#19)(7/7)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.41


◆「正常か、異常か」は「苦しくないか、苦しいか」とはまったく別のもの

 でも、ひょっとすると、こう勘違いしてしまうひともいるかもしれません。


「苦しくないか、苦しいか」を争点にすることと、「正常か、異常か」を争点にすることとは、実は同義なのではないか、って。


 けど、同義ではないのは明らかではありませんか。病院で「苦しさ」を訴えても、「異常」ではないと診断され、とり合ってもらえないことは、よくありますね? 「苦しさ」と「異常」は明らかに同義ではありませんね?


 とはいえ、もう少し突っ込んでこのことを見てから、今回はお開きとすることにしましょうか。


 そもそも、この世に異常なひとなどただのひとりも存在し得ないということを以前、論理的に確認しましたよね。ひとはみな正常だということでしたね。

 

〈参考1:そのことを確認したのは下の記事で。〉

〈参考2:それよりもっと簡単な確認方法はこちら。〉

 

 にもかかわらず、(精神)医学は一部のひとたちを不当にも異常と決めつけ、差別してきました。ではそのように差別されてきたのは誰だったのか


(精神)医学は世間の人々同様、人間をつぎの3つに分けます。

  • A.標準的なひとたち(俗に言う、普通のひとたち)
  • B.標準的なひとたち(A)より優れているひとたち(俗に言う、良い意味で普通じゃないひとたち)
  • C.標準的なひとたち(A)より劣っているひとたち(俗に言う、悪い意味で普通じゃないひとたち)


(精神)医学が不当にも異常と決めつけ、差別してきたのは、グループCの「標準的なひとたちより劣っていると医学には見えるひとたち、でした。(精神)医学は、グループAとB、すなわち「標準以上」と医学には見えるひとたち、を正常と判定してきた、ということでしたね。

 

〈参考:そのあたりのことは以下の記事に書きました。後日、それとは別の説明の仕方をする予定です〉

 

 これで答えが出ましたよ。


「正常か、異常か」を争点にするというのは、突きつめると、「標準以上か標準的なひとたちより劣っているかを争点にするということであるといま、わかりました。それは明らかに、「苦しくないか苦しいかを争点にすることとは異なりますね? 前者は単に、能力の多寡の話にすぎませんね?


 今回は、みなさんが病院の診察室や病室でする「訴え」や「要望」が、(精神)医学には届いていないことを確認しました。みなさんは苦しさを「訴え」、苦しまないで居てられるようになることを「要望」するが、みなさんのそうした「苦しくないか、苦しいか」を争点にする声を聞きながらも(精神)医学は、それとはまったく別のこと、すなわち「正常か、異常か」を争点にする、ということでしたね。


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次回は6月21日(月)21:00頃にお目にかかる予定です(もし机のまえに座ることができるようになっていたらの話ですが...)。


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みなさんが診察室や病室でする「訴え」と「要望」は(精神)医学には届かない(統合失調症理解#19)(6/7)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.41


◆先ほどの女性の「訴え」と「要望」を医学はどう解したか

 ここで、先ほどの女性に再度目を向け、いま言ったことを確認してみますよ。その女性が精神科の診察室で、苦しさを「訴え」、苦しまないで居てられるようになることを「要望」しているのを先に確認しました。そうしたことを「訴え」、「要望」するというのは、苦しくないか苦しいか、を争点にするということである、とのことでしたよね。でも、その女性のそうした「訴え」と「要望」を耳にしながらも、(精神)医学がそこで争点にするのは、それとはまったく別のこと、すなわち、正常か異常か、です。


 ほら、先の引用文のつづきを見てみますよ。

しかし考えてみれば、整形手術をしたいのであれば、精神科ではなく美容整形外科を訪れるはずである。ところが彼女は、精神科を自ら選んでやってきたのである。つまり彼女は、口に出しては言わないものの、自分に何らかの精神的なトラブルが起きていることを、それとなく自覚していたということになる。患者は病気という自覚、つまり病識はもちにくいが、病気かもしれない、何か変だという感覚(「病感」と呼ぶ)を抱いていることが多いのである(岡田尊司統合失調症』2010年、p.218)。

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

  • 作者:岡田 尊司
  • 発売日: 2010/10/15
  • メディア: 新書
 


 この女性の、苦しさを「訴え」、苦しまないで居てられるようになることを「要望」する声を、(精神)医学はいま無理矢理、精神の異常を訴え」、その異常を無くすことを要望するものと解釈しようとしていましたね? この女性が、苦しくないか苦しいか、ではなく、正常か異常か、を争点にしているということにしようとしていましたね?


 みなさんの苦しさを訴え」、苦しまないで居てられるようになることを要望する声が実は(精神)医学には届いていないということが、いま実例をもって確認できましたね。


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みなさんが診察室や病室でする「訴え」と「要望」は(精神)医学には届かない(統合失調症理解#19)(5/7)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.41


◆みなさんの「訴え」と「要望」は医学に伝わっているか

 さあ、いま、みなさんが病院の診察室や病室で、何を「訴え」、何を「要望」するのか、ふたとおりの仕方で確認しました(ひとつは女性の実例を使って、もうひとつは健康・病気という言葉の意味を考えることで)。みなさんが訴えるのは「苦しさ」であり、またそのときに要望するのは「苦しまないで居てられるようになること」であるとのことでしたね。


 では、いまから当初の目的を果たしましょうみなさんのそうした訴え要望がちゃんと医学に伝わっているか、これから見ていきますよ。


 いまさっき、こう言いましたよね。みなさんがふだん、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで争点にするのは、苦しくないか苦しいか、だ、って。


 だけど医学が、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで争点にしてきたのは、それとはまったく別のことでした。


 正常か、異常か、でした。


 実に医学は、健康を正常であること病気を異常であることとそれぞれ独自に定義づけてやってきました。


 これはどういうことか。


 病院の診察室や病室で、みなさんは、目が見えにくいとか、息がしにくいとか、気分が鬱々とするとかと言って、苦しさを「訴え」ますね。で、そのとき、目がよく見えるようになりたいとか、息がしやすくなりたいとか、気分が晴れるようになってほしいとかと言って、苦しまないで居てられるようになることを「要望」しますね。そうしてみなさん苦しくないか苦しいかを争点にしますよね。だけど、そうした「訴え」と「要望」を聞きながらも、そのとき医学が争点にするのは、まったく別のこと、すなわち、正常か異常か、であるということですよ。


 医学が為すふたつの行為  診断治療  で争点になるのは、いま言いましたように、苦しくないか苦しいか、ではなく、正常か異常か、です。「診断」にて医学がするのは、ひとが正常と異常のどちらに当たるか見極めようとすることですし、「治療」にてするのも、診断で見つかったその異常を無くすのを目的とする施術です。


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みなさんが診察室や病室でする「訴え」と「要望」は(精神)医学には届かない(統合失調症理解#19)(4/7)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.41


◆健康、病気という言葉の意味からも考える

 でもそのことを、いちおう、別の角度からも簡単に確認してみますよ。


 病院とは病気を診てもらいに行くところですね? ではみなさんにとって、健康や病気とはそもそもいったい何を意味しますか。


 健康とは「健やかに康らかに」と書きますね。ふだんのみなさんにとって、健康という言葉は、「苦しんでいない」ということを表現するものではありませんか。


 かたや病気とは「気を病む」と書きますね。「気を病む」とは苦しむということですね? ふだんのみなさんにとって、病気という言葉は、「苦しんでいる」ということを、その苦しみが手に負えないようなときに表現するものではありませんか。


 そのようにみなさんがふだん、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで争点にするのは、苦しくないか苦しいか(快いか、苦しいか)、ではありませんか。みなさんが病院の診察室や病室で争点にするのも、当然、そのことではありません? みなさんがそこで医師相手に「訴えるのも苦しさであり、また、そのときに「要望するのも苦しまないで居てられるようになること、ではありませんか。


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みなさんが診察室や病室でする「訴え」と「要望」は(精神)医学には届かない(統合失調症理解#19)(3/7)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.41


◆この女性の「要望」は何か

 いま、女性の訴えが、「苦しさ」を訴えるものであることを確認しました。では、つぎに、その女性の「要望」のほうに考察を移しますね。


 女性は、ブスと言われることが無くなるよう整形手術をしてほしいと医師に「要望」していたとのことでしたよね。


 それは何を「要望」するものと言えるか。


 それは、ひとにブスと思われているのではないかと気になって仕方がないその「苦しさから、整形手術で顔を変えることによって解放されることを「要望」するもの、つまり、「苦しまないで居てられるようになることを要望するもの、と言えるのではないでしょうか。


 以上、女性が病院の診察室で「訴え」、「要望」していたのがそれぞれ何だったのか、まず確認しました。女性が診察室で「訴え」ていたのは苦しさであり、いっぽうそのときに「要望」していたのは苦しまないで居てられるようになること(快くなること)、であるとのことでしたね。


 どうですか、それは、みなさんの場合にも言えることではありませんか。みなさんが病院の診察室や病室で、目が見えにくいとか、息がしにくいとか、気分が鬱々とするとかと言って「訴えるのも苦しさ、ではありませんか。またそのときに、目がよく見えるようになりたいとか、息がしやすくなりたいとか、気分が晴れるようになってほしいとかと言って「要望するのも苦しまないで居てられるようになること、ではありませんか。


 ちがいます? いや、ちがいはしませんね?


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みなさんが診察室や病室でする「訴え」と「要望」は(精神)医学には届かない(統合失調症理解#19)(2/7)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.41


◆この女性の「訴え」は何か

ブスブスという声が聞こえてきてうるさくて堪らないという「訴え」のほうからいきますね。


 女性は、ひとにブスと思われているのではないかと気になって仕方がなかったのかもしれませんね。ひとにブスと思われているのではないかと気にするのが止められなかったのかもしれませんね。


 だけど、自分がしきりにそんなことを気にするなんて、その女性にはまったく思いも寄らないことだった。


 いや、いっそ、その、思いも寄らないことだったということを、語弊があるかもしれませんけど、こう言い改めてみましょうか。そのときその女性には、自分がそんなことを気にしているはずはないという自信があったんだ、って。


 いま言ったことを箇条書きにするとこうなります。

  • 現実:ひとにブスと思われているのではないかと気になって仕方がない。
  • 自信:自分がそんなことを気にしているはずはない。


 このように「現実自信とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように、俺には思われます。

  • A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう、訂正する。
  • B.その背反を解消するために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう、修正する。


 では、もしそこでこの女性が前者Aの「自信のほうを、現実に合うよう、訂正する」手をとっていたら、どうなっていたか、ひとつ想像してみましょうか。


 もしとっていたら、この女性は目を丸めながら、「自信」をこう改めることになっていたかもしれませんね。


 思ってもみないことだったけど、自分には、ひとにブスと思われているのではないかと盛んに気にするところがあるんだな、って。


 でもこの女性が実際にとったのは後者Bの「現実のほうを、自信に合うよう、修正する」手だった。自分がひとにブスと思われているのではないかと気にしているはずはないとするその自信に合うよう、この女性は現実をこう解した。


「ブス、ブス」と言う声が聞こえてきて、うるさくて堪らない、って。


 いまの推測を簡単にまとめるとこうなります。

  • ①ひとにブスと思われているのではないかと気になって仕方がない(現実)。
  • ②そんなことを気にしているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
  • ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「『ブス、ブス』と言う声が聞こえてきて、うるさくて堪らない」(現実修正解釈


 さて、この女性は、「ブス、ブス」という声が聞こえてきて、うるさくて堪らないと「訴え」ていた、とのことでしたね。その「訴え」は、いまの考察から、こうしたことを「訴え」るものと言えるようになったのではないでしょうか。


 ひとにブスと思われているのではないかと気になって仕方がないその「苦しさを訴えるものである、って。


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みなさんが診察室や病室でする「訴え」と「要望」は(精神)医学には届かない(統合失調症理解#19)(1/7)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.41

目次
・女性の「訴え」と「要望」はそれぞれ何か
・この女性の「訴え」は何か
・この女性の「要望」は何か
・健康、病気という言葉の意味からも考える
・みなさんの「訴え」と「要望」は医学に伝わっているか
・先ほどの女性の「訴え」と「要望」を医学はどう解したか
・「正常か、異常か」は「苦しくないか、苦しいか」とはまったく別のもの


◆女性の「訴え」と「要望」はそれぞれ何か

 みなさんは病院の診察室や病室で、目が見えにくいとか、息がしにくいとか、気分が鬱々とするとかと「訴え」ますね? で、目がよく見えるようになりたいとか、息がしやすくなりたいとか、気分が晴れるようになってほしいとかと「要望」しますね?


 でも、みなさんのそうした訴え要望医学にはちゃんと届いてはいないのではないでしょうか。


 今回は実例を使って、そのことを考察していきますよ。


 統合失調症と診断された或る女性の事例をもちいることにしますね。


 つぎの女性がみずから精神科の門を叩き、診察室で「訴えた」のは何なのか。そしてそのときに「要望した」のは何なのか。最初にそのふたつを確認します。それから、それら「訴え」と「要望」を医学がきっちり理解できているか、確認します。


 いま言いましたように、まず「訴え」と「要望」をそれぞれ確認していきますよ。

 ある女性は、「ブス、ブス」という声が聞こえてきて、うるさくて堪らないので、整形手術をしてほしいと、精神科を受診してきた。ブスと言われないように整形手術をしてほしい、というのが彼女の「主訴」である(岡田尊司統合失調症PHP新書、2010年、p.218)。

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

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ブスブスという声が聞こえてきてうるさくて堪らない、というのがこの女性の「訴え」ですね。


 いっぽうこの女性の「要望」はというと、ブスと言われることが無くなるよう整形手術をしてもらうこと、ですね?


 では、いまから、それが何を「訴え」、何を「要望」していることになるのか、もうすこし掘り下げて見ていきます。


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