(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできないというのは本当?

なぜ医学は、患者が何を「訴え」、何を「要望している」のかイマイチよく理解できないのか。また患者がこうむっている「たいしたことのある」副作用を、なぜ「たいしたことのない」ものと勝手に侮ってしまうのか(3/3)【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.1】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.47


 では、ひとつここで考えてみてくれますか。そうして、快さや苦しさが、理解しようとしても理解できない、よくわからないものとなったとき、みなさんなら、どうしますか。いまや何が何やらよくわからないものとなった「快さ」や「苦しさ」というものを用いて、健康や病気を定義づけようと思いますか?


 健康や病気の定義は非常に大事ですね? それは、治る(治療の目標)とは何かを決めるものですね? ずばりと言えば、医学の基礎を形づくるものですね!


 そんな健康、病気の定義といった重大なものを、いまや理解しようとしても理解できない、何が何やらよくわからないものとなった「快さ」や「苦しさ」を用いてするなんて大胆なこと、みなさんには、できますか?


 そんな大それたことをしようとは思わないどころか、そんなことは怖くて絶対にしたくないという強い気持ちがみなさんの胸のうちにおのずと湧いてくるのではありませんか。


 それは医学もおなじでしょう。


 ほんとうは機械ではない身体を機械と見なすと、快さや苦しさが、理解しようとしても理解できない、よくわからないものに成り下がる。そして、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことによって争点にするところを、みなさんのように素直に、「苦しくないか、苦しいか」には置けなくなる、というわけですよ。


 で、医学はその代わりに「正常か、異常か」を争点にしてきた、ということでした。その争点のすり替えの全貌を、いま根源から簡単に素描しましたけど、それを箇条書きにしてふり返るとこうなります。

  1. 身体はほんとうは機械ではない。
  2. 医学は、ほんとうは機械ではない身体を、機械と見なす。
  3. すると、快さや苦しさは、理解しようとしても理解できない、よくわからないものに成り下がる。
  4. やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことによって争点にするところを、みなさんのように「苦しくないか、苦しいか」には置けなくなる(医学は代わりに、「正常か、異常か」に置いてきた)。


 次回からは、いまざっと駆け足で通り過ぎました、この1から3までをひとつずつとり挙げ、その細部を書き込んでいきます。


 次回は、身体がほんとうは機械ではないことを、詳しく確認しますね。


 その次の回では、ほんとうは機械ではない身体を、科学がなぜ機械と見なすのか、確認します。


 さらにその後の回では、「身体をそのように機械と見なすことによって、科学が、快さや苦しさを、どういうものと解することになり、理解しようとしても理解できなくなったか」を詳しく見ます。


 次回以降、それらの確認をひとつひとつずつやっていきますよ。






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*今回の最初の記事(1/3)はこちら。


*前回の短編(短編NO.46)はこちら。


*このシリーズ(全61短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

なぜ医学は、患者が何を「訴え」、何を「要望している」のかイマイチよく理解できないのか。また患者がこうむっている「たいしたことのある」副作用を、なぜ「たいしたことのない」ものと勝手に侮ってしまうのか(2/3)【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.1】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.47


◆全体の素描

 先ほど、いきなりこう言いました。ふだんみなさんは、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで、「苦しくないか(快い)、苦しいか」を争点にする、って。


 だって、そうではありませんか?


 健康とは「健やかに康らかに」と書きますね? ふだんのみなさんにとって、健康という言葉は、「苦しんでいない(快い)」ということを、表現するものではありませんか。


 いっぽう病気とは「気を病む」と書きますね。「気を病む」とは「苦しむ」ということですね? ふだんのみなさんにとって、病気という言葉は、「苦しんでいる」ということと、その苦しみが「手に負えない」ということを表現するものではありませんか。

 

 

 ほら、ふだんみなさんは、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで、「苦しくないか(快いか)、苦しいか」を争点にしているではありませんか。でも医学は、みなさんとおなじように、やれ健康だ、やれ病気だとさかんに言ってはきながらも、「苦しくないか、苦しいか」を争点にはしてきませんでした。医学がさかんにそう言うことで争点にしてきたのは、実は「正常か、異常か」でした。


 医学は、健康を正常であること、病気を異常であることと独自に定義づけてやってきました。


 医学がこのように争点をすり替えることになったのは、医学の独特な身体の見方に秘密があるのではないかと俺は睨んでいます。


 医学は、身体を機械と見ますよね。機械は、快さや苦しさを感じたりはしませんね。したがって、機械に起こる現象のうちに、快さや苦しさに相当するものを探してみても、見つかるはずはありませんね。


 しかし、身体を機械であると信じて疑わない医学は、快さや苦しさを、機械に起こる何らかの現象に相当するものとして説明しようとしてきました。


 するとどうなるか?


 快さや苦しさを、機械に起こる、快さや苦しさに実は相当しない現象に、相当するものとして説明することになりますね。


 したがって、そんな理屈に合わない滅茶苦茶なことをすると、説明はおかしなことになります。快さや苦しさについての説明は、辻褄の合わない、理解しようとしても理解できない、訳のわからないものになります。






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*前回の短編(短編NO.46)はこちら。


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なぜ医学は、患者が何を「訴え」、何を「要望している」のかイマイチよく理解できないのか。また患者がこうむっている「たいしたことのある」副作用を、なぜ「たいしたことのない」ものと勝手に侮ってしまうのか(1/3)【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.1】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.47

目次
・みなさんと医学のあいだに生じた齟齬
・全体の素描


◆みなさんと医学のあいだに生じた齟齬

 ここ最近はずっと、みなさんと医学のあいだに生じた齟齬を見ていますよね。その齟齬の生まれ来たった経緯を、今回から、その根源にさかのぼって確認していきます。


 みなさんは四六時中、「苦しくないか(快いか)、苦しいか」を争点にして生きています。そんなみなさんが病院の診察室で訴えるのは「苦しさ」だし、そこで要望するのも「苦しまないで居てられるようになること」であると以前確認しましたよね(短編NO.41)。


 そしてそんなみなさんは、治療を受け、「かえって苦しさが酷くなった」ら、それを「損をしている」ことととる、ということでした(短編NO.43)。で、そのとき、こう考えるということでした。


 当該治療には、そうした損を埋め合わせるほどの生存期間延長効果はあるか。もし、ないなら、その治療を受けるとただ損をするだけに終わる、って。


 ところが、病院の診察室でみなさんがそのように「苦しさ」を訴え、「苦しまないで居てられるようになること」を要望しても、そうした訴えや要望は、素直には医学の胸に届かないということでした。

 

★★短編NO.41★★

 

 また或る治療があって、それを受けると、強い副作用が出、かえって苦しさが酷くなって「損をする」ことになるけれども、では、その損を埋め合わせるほど、その治療によって生存期間が伸びるかということ、そういうことも無い、そんな治療失敗の場合でも、医学は、その「副作用」をたいしたことがないものと侮ってきた、ということでしたね。

 

★★短編NO.42〜46★★

 

 でも、なぜ、みなさんと医学のあいだにこんな、あってはならない、おかしな齟齬が生じるのか。


 それは簡単に言うと、こういうことでした。


 ふだんみなさんがやれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことによって争点にするのは、「苦しくないか(快いか)、苦しいか」である。そのようにみなさんとおなじく、やれ健康だ、やれ病気だとさかんに言っているとき、医学が「苦しくないか、苦しいか」を争点にできていれば、医学とみなさんのあいだにそうした齟齬が生じる余地はなかった。だけど、みなさんとおなじように、やれ健康だ、やれ病気だとさかんに言ってきながらも、医学が争点にしてきたのは、「苦しいか、苦しくないか」ではなく、「正常か、異常か」だった。


 実は医学は争点をすり替えていた。


 今回から、医学のこの争点のすり替えが起こった経緯を、その根源にさかのぼって確認していきます。


 最初にその経緯の全体を簡単に素描し、俯瞰で眺めわたしてみることにしますね。その後、その細部を詳しく書き込んでいくことにしますね。


 今回はまず全体を素描します。






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*前回の短編(短編NO.46)はこちら。


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質問「この治療を受けると、寿命が2倍に伸びます。受けますね?」と言われたら、みなさんはどう反応するか?(8/8)


◆する損と、獲得する得を比較する

 いま、こういうことを確認しました。


 当該抗がん剤治療を受けると、苦しい思いをする期間6ヶ月(寿命6ヶ月の延長のこと)が手に入るという「ニガイ得」を獲得することができる。


 が、その引き換えとして、当該治療開始後すぐ、もしくはしばらくしてから、「治療を受けたことで、かえって苦しくな」り、日々「損をし」つづけることになる(最悪の場合、当初宣告されていた寿命尽きる日まで6ヶ月間つづく)、って。


 どうですか、そんな「ニガイ得」を獲得することのために、そうした損を日々重ねることは、割に合いますか? 


 する損と、獲得できる得とを、差し引きすると、どちらが大きくなりますか?


 くだんの老人70歳は、損のほうが大きくなると判断したのではありませんか。


 老人は、手元にある、しばらくのあいだはつづきそうな、そんなには「苦しまないで居られている」日々を  短いかもしれませんが  そのありがたみをヒシヒシと感じながら、大事にしたいという気持ちだったのではないでしょうか。そうしたありがたい日々を、当該抗がん剤によって、早々のうちに捨ててしまうことの代わりに得られるのが、苦しい思いをする期間6ヶ月(寿命6ヶ月の延長のこと)だけであって、一旦捨ててしまった、そんなには「苦しまないで居られている」ありがたい日々はもう二度と戻ってこない(すなわち、治らない)というのでは、割に合わないと感じていたのではないでしょうか。


 この老人の計算が隅々まで正解かどうかはもちろん俺なんかにはわかりません。でも、浅慮であるとか、考慮に入れるべき何か大きなものを可哀想にも見落としているとかいうことは、これといって特に無かったのではありませんか?


 むしろ、大事なものを見落としているのは、また見落としてきたのは、こうした老人の内心が理解できない医学のほうではありませんか。



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質問「この治療を受けると、寿命が2倍に伸びます。受けますね?」と言われたら、みなさんはどう反応するか?(7/8)


◆引き換えにするものの大きさ(健康のありがたみを知っているものにはわかる)

 いまこう指摘しました。当該抗がん剤治療によって生存期間が6ヶ月伸びるというが、それはこの場合、苦しい思いをする期間であって、苦しい思いをする期間がそのように余分に手に入ることは、得をすることに当たるのかどうか怪しい気がする、って。


 でも、ここからは、そうした期間が手に入ることを純然たる得と仮定して話を進めていきますよ。


 ただし、得であると仮定しても、それは「ニガイ得」とでも言われなければならないでしょうけれどもね。


 さて、当該抗がん剤治療が何をもたらすか、もう一度考えてみてくれますか。いま言いましたように、それは、苦しい思いをする期間6ヶ月(寿命の6ヶ月延長)が手に入るという「ニガイ得」をもたらします。けど、そうした「ニガイ得」をもたらすために、引き換えを要求しますよね。


 何を引き換えに要求します?


 当該抗がん剤治療を受けると、どうなりますか? 受けはじめるとすぐ、もしくはしばらくしてから、「当該治療を受けていなければ、こんなに苦しい思いはしないで済んだのに」という言い方の当てはまる日がはじまりますね。それは「治療を受け、かえって苦しくなった」日、ですね。で、そうした日が、つづいていきますね。最悪の場合、当該治療を受けなければやってくるだろうと当初宣告されていた、余命尽きる日まで(6ヶ月間)、そうした「治療を受け、かえって苦しくなった」日はつづきますね。


 では、そのように「治療を受け、かえって苦しくなった」というのは何を意味しますか?


 再度思い返してみてくださいよ。ふだんみなさんが、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで争点にするのは、「苦しくないか、苦しいか」でしたよね。みなさんにとって、治るとは、「苦しまないで居てられるようになること」でしたね。


「治療を受け、かえって苦しくなった」というのは、治療を受け「損をしている」ということを意味するのではありませんか。


 となると、こうなります。


 当該抗がん剤治療をはじめるとすぐ、もしくはしばらくしてから、「治療を受け、かえって苦しくなった」、「損をしている」日がはじまる、って。


 で、そうした日がつづいていく、って。


 損がそうして毎日毎日積み重なっていく、って。


 損の残高がそうして一日一日、増えていくんだ、って。


 最悪の場合、当該治療を受けなければやってくるだろうと当初宣告されていた、寿命尽きる日まで、その損の積み重なりはつづくんだ(6ヶ月間)、って。


 いや、たしかにひょっとするとそのまえに、そのように「損をしている」日も終わりを告げ、「得をしている」日に転じるかもしれませんよ。つまり、あるときから急に、「当該治療を受けていなければ、もっと苦しんでいたはずだ」と言えるようになるかもしれませんね? でも、やはり「損をしている」日はそれなりに長くつづくでしょうし、最悪の場合、いま言いましたように、当該治療を受けなければやってくるだろうと当初宣告されていた、寿命尽きる日まで、ずっと「損をしている」日がつづく可能性は十分ありますね(抗がん剤治療の副作用の尋常ならざる強さを考えたら、ね)。

 

★★ミュージシャンの桑マンこと、桑野信義さんがその副作用の、想像を超える強さについて語っています★★



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質問「この治療を受けると、寿命が2倍に伸びます。受けますね?」と言われたら、みなさんはどう反応するか?(6/8)


◆獲得するもののニガさ(胃瘻などで問題になること)

 当該抗がん剤治療を受けても、治ることはない、すなわち「苦しまないで居てられるようになる」ことはないのだとすると、こういうことになりますね。当該治療によって生存期間が6ヶ月伸びても、それは、苦しい思いをする期間である、ということに。


 そこで、まずこんな疑問が出てきます。


 苦しい思いをする期間6ヶ月を手に入れるこのことは、果して得をするということを意味するのだろうか、って。


 どうですか、みなさん? 苦しい思いをする期間6ヶ月を手に入れることは、果して、得をすることになるのか、それとも損をすることになるのか、微妙であるような気がしませんか。


 だって、そうではありません?


 みなさん、苦しんでいるとき、どう思います? 「早くこんな時間は、過ぎ去ってくれ!」と切実に希求しませんか? もしそうだとしたら、当該抗がん剤治療を受けることによって生存期間が6ヶ月伸びても、それは、早く過ぎ去ってほしいと希求するような期間であって、果して、そんな期間が手に入っても、得をしていることになるのかどうかハナハダ怪しいということになりませんか。



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質問「この治療を受けると、寿命が2倍に伸びます。受けますね?」と言われたら、みなさんはどう反応するか?(5/8)


◆「生存期間を2倍に伸ばしましょうか」という提案を受けたとき考え合わせるものは何か

 老人は、こう打ち明けていましたね。


抗がん剤治療は延命効果だけとなると、意味がないんじゃないか」って。


 もたらされるのが「延命効果だけでは」、って。


 要するに、当該治療を受けても、治らないのでは意味がない、って。


 これはどういう考え方か。


 ようく思い出してみてくださいよ。最初にクイズで確認しました。支給期間が2倍に伸びても、年間支給総額が半分未満になったら、結局は損するだけである、って。「期間が2倍に伸びる」ということだけから、その損得を判断することはできないんだ、って。


 そのように年間支給総額を考え合わせるのとおなじ考え方を、ここで老人はしているのではないでしょうか。


 では、その年間支給総額に相当するのは、この場合、何か。


 そうですね、どれだけ(その時々で)苦しんでいるか(or苦しんでいないか)、ですね。


 ふだん、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことで、「苦しくないか、苦しいか」を争点にするみなさんにとって、治るとは「苦しまないで居てられるようになること」でした。ここで老人は、当該抗がん剤治療を受けても、生存期間は伸びるかもしれないが、治りはしない、すなわち、「苦しまないで居てられるようになる」ことはない、と言っているわけですね。仮にそうなっても、それはほんの一時で、すぐ苦しむようになるだろう(「いずれまた悪くなる」という表現をしています)、って。


 で、実際にそういうことなら、どうなるか。



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