(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

統合失調症の「思春期に発症し、典型的な経過がみられたケース」を理解するpart.1(統合失調症理解#16)(2/2)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.33


 まずは引用第1部から。

 十九歳のNさん〔引用者注:同書ではお名前が出ていますが、ここでは以下、伏せさせてもらいます〕精神科の外来を受診した当日に入院となった幻聴のせいで苦しくなりビル屋上から飛び降りようとしたのだった。


 Nさんは元々おとなしく、引っ込み思案な子供だった。子供のころから集団にとけこむことは苦手で、放っておくといつも一人で遊んでいることが多かった。幼稚園のとき、友達とうまくいかずに行きたがらないこともみられた。


 家業は自営業で、経済的には余裕のある家庭だった。Nさんは一人っ子だったので大事に育てられ、幼稚園時代から塾通いをし、都心にある私立の小学校に入学している。受験勉強の他に、ピアノと英語も習っていた。お稽古ごとはすべて母親が送り迎えしていた。


 小学校時代は、大過なく過ごした。本人の話では、目が大きかったので、「デメ」とか「デメキン」と呼ばれていじめられたことがあったという。


 しかし母親の話では、学校の友達が家に遊びに来たり、逆に遊びに行ったりすることはよくみられ、深刻ないじめはなかった。成績は中位で目立つところはなく、サッカー部に入ったものの、運動は苦手だったため楽しめなかった。


 エスカレーター式に中学に進学したが、友達はあまりできなかった。本人は当時を回想し、「一人で孤独だから、死にたいという気持ちになった」というが、学校生活では特別な問題はみられず、成績は比較的上位であった。


 Nさんに精神的な変調がみられたのは、中学三年の二学期以降である。特にきっかけはなく、当時の流行曲である『春よ、来い』が一部だけ繰り返して思い浮かんだ。高校に進学してからは、さらにこの頻度が多くなり、頭の中で同じ曲が繰り返し連続して流れるようになった。


 自分で打ち消しても曲は鳴り止まず、次第に気持ちが不安定となることに加えて、集中力もなくなってくる。この音楽に関する症状は、「音楽幻聴」と呼ばれる幻聴の一種である。一般には、比較的高齢者に起こりやすい。


 本人の話では、この当時他の生徒から、ワイシャツに落書きされたり、ソースをつけられたり、あるいは机の上に置いたプリントをわざと落とされたりするというようないじめに繰り返しあったという。しかし、「いじめ」に関して事実関係は確認できず、現実の出来事ではなく、本人の被害妄想が始まっていた可能性が大きいと思われる。


 辛い気持ちが毎日続いたNさんは、死にたくなった。そのため、飛び降り自殺をしようとビルに上ったり、心臓麻痺になれば死ねると思い、多量の日本酒を飲んで冷たい水に浸かったりした。コードで自分の首を絞めようとしたこともあった。母親からみても元気がなかったが、自殺しようと考えていることまでは気がつかなかった。同じ時期、日中、自室にいるとき、家の中で女性の顔のようなものが見えるという幻視の症状も出現している(岩波明精神疾患角川ソフィア文庫、2018年、pp.123-125、2010年)。

精神疾患 (角川ソフィア文庫)

精神疾患 (角川ソフィア文庫)

 


 冒頭にこう書いてありましたよね。「十九歳のNさんは、精神科の外来を受診した当日に入院となった。幻聴のせいで苦しくなり、ビル屋上から飛び降りようとしたのだった」って。


 それは、(精神)医学がこう診断したということですね? Nさんの身に、幻聴と呼ばれる、「人間の知恵をもってしては永久に解くことのできぬ」現象が起こるようになり、その「不可解な異常現象に苦しめられた結果、Nさんは自殺を図ったんだ、って。


 だけど、Nさんを自殺しようと思うほど苦しめたとされるその現象は、(精神)医学のそうした見立てに反し、ほんとうはまったく不可解なんかではなかったのではないでしょうか。そのことを、これから計6回にわたり、みなさんと共に確認していきます。


 つまり、結論を先どりして言えば、Nさんが自殺するに至った経緯はつぎのような、誰にでも理解可能なものだったのではないかと、みなさんと俺は考えることになる、ということですよ。


 小さい頃から、高偏差値の大学に入り、名だたる企業に入社するという未来を自分でも自分に期待していたNさんは、大学受験の勉強が手につかないのをどうすることもできず、受験に何度も失敗して追い詰められた。で、ついには、「社会に自分の居場所は無い」と感じ、世間の誰にも劣等感を覚えるまでになって、挙げ句、死ぬしか道はないと思い詰めて自殺を図った。


 要するに、自殺する多くのひとたちがおそらくそうであるような、よく理解できる(共感できる)成りゆきで、Nさんは自殺を図るに至ったのではないかと考えることになる、ということですよ。


 さあ、いま、引用第1部を読んで、早速つぎのふたつのことがわかりました。


 Nさんは幼少期より、高偏差値の大学に入るための勉強をしないといけない身であったが、中学3年生頃からどうやら勉強を重荷に感じはじめたらしい、ということがまず一つ。そしてその頃からNさんが、Nさん自身のことをうまく理解できなくなってきたらしい、というのがもう一つです。


 箇条書きにしておきましょうか。

  1. 勉強しないといけない身であるにもかかわらず、中学3年生頃から勉強を重荷に感じるようになってきた。
  2. 自分のことがうまく理解できなくなってきた。


 このふたつを次回、ひとつずつ確認していきます。


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次回は翌週1月25日(月)21:00頃にお目にかかります。


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統合失調症の「思春期に発症し、典型的な経過がみられたケース」を理解するpart.1(統合失調症理解#16)(1/2)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.33


 この世に異常なひとなどただの一人も存在し得ないということを以前、論理的に証明しましたよね。


〈参考:そのときの記事をいちおう挙げておきますね。〉


 そしてそれは、この世に、「理解不可能なひとなどただの一人も存在し得ないということを意味するとのことでしたよね。


〈参考:そのときの記事もいちおう挙げておきますよ。〉


 だけど、医学は一部のひとたちを不当にも異常と決めつけ、「理解不可能であるということにして差別してきました


 たとえば、あるひとたちのことを統合失調症と診断し、こんなふうに、やれ「人間の知恵をもってしては永久に解くことのできぬ謎」だ、「了解不能」だと言って、侮辱してきましたね?

かつてクルト・コレは、精神分裂病〔引用者注:当時、統合失調症はそう呼ばれていた〕「デルフォイの神託」にたとえた。私にとっても、分裂病は人間の知恵をもってしては永久に説くことのできぬ謎であるような気がする。(略)私たちが生を生として肯定する立場を捨てることができない以上、私たちは分裂病という事態を「異常」で悲しむべきこととみなす「正常人」の立場をも捨てられないのではないだろうか(木村敏『異常の構造』講談社現代新書、1973年、p.182、ただしゴシック化は引用者による)。

異常の構造 (講談社現代新書)

異常の構造 (講談社現代新書)

  • 作者:木村 敏
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1973/09/20
  • メディア: 新書
 

 

 専門家であっても、彼らの体験を共有することは、しばしば困難である。ただ「了解不能」で済ませてしまうこともある。いや、「了解不能であることがこの病気の特質だとされてきたのである。何という悲劇だろう(岡田尊司統合失調症、その新たなる真実』PHP新書、2010年、pp.29-30、ただしゴシック化は引用者による)。

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

 


 最近はずっと、(精神)医学に統合失調症と診断され、このように「理解不可能」と決めつけられてきたひとたちに実際に登場してもらい、そのひとたちがほんとうは理解可能であることを実地に確認しています


 今回もまたそうしますよ。今回は、「思春期に発症し典型的な経過がみられた統合失調症のケース*1とされる事例を見させてもらいますね。


 これから、その当事者であるNさんが19歳時に自殺を企図するに至るまでを3部に分け(そのそれぞれを、引用第1部、引用第2部、引用第3部と呼ぶことにします)、じっくり確認していきます。

  • 引用第1部:中学生時代まで
  • 引用第2部:高校3年生、浪人1年目
  • 引用第3部:浪人1年目終わり頃から、浪人2年目


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*1:岩波明精神疾患角川ソフィア文庫、2018年、p.122、2010年

〝統合失調症〟に見られた2つのパターン(6/6)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.32


 とはいうものの、結局はこの型も、さっき見た「現実修正解釈」型であると言ってしまったほうが、もしかすると、いいのかもしれないと考えないでもありません。


 だって、箇条書きにするとこう言い直せません?

  • ①牛の怪物が見えたと錯覚する(現実)。
  • ②自分が錯覚しているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
  • ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「ほんとうに牛の怪物を見たんだ」(現実修正解釈


 以上、今回はこういうことでした。


 昨年2020年の2月頃から、統合失調症と診断されたひとたちの、いわゆる症例なるものをいろいろと見させてもらいながら、そのひとたちが医学の見立てに反し、ほんとうは「理解不可能」なんかでは決してないことを「実地」に確認してきました。今回は、そうして実地に見させてもらってきた、いわゆる症例なるものを2種類に分け、それぞれを、「現実修正解釈」型、「勝手にひとつに決めつける」型と名づけたあと、一例ずつ用いながら、簡単に確認したという次第です。


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次回は1月18日(月)21:00頃にお目にかかります。


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〝統合失調症〟に見られた2つのパターン(5/6)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.32


 でも、「ゴキちゃんが出た!」と叫びながら、とっさに飛びあがって驚いている最中、みなさんは同時にこんなふうにも頭を働かせはしませんか。


 いま、視野の隅を黒いものが横切ったように見えた。たしかにあれはゴキブリだと思われた。でも、ちょ待てよ、ひょっとすると、ボクが錯覚しただけかもしれないぞ、って。


 そうしてみなさんは、悲鳴をあげ、一見冷静さを失っているように見えながらも実は頭のなかで、「ほんとうにゴキブリが出た」という可能性とは別に、「ゴキブリが見えたと錯覚しただけであるという可能性にも、素早く思いを致してみるのではありませんか?


 だけど●●さんは、そうしたことをしなかったのかもしれませんね。牛の怪物が見えた気がしたとき、「錯覚しているだけである」という可能性に思いを致してみることはなかったのかもしれませんね。


 つまり、●●さんには、そこで自分が錯覚をするなんて、まったく思いも寄らないことだったのかもしれませんね。


 いや、いっそ、そのことも、語弊があるかもしれませんけど、裏返しにして、こう言い換えてみましょうか。そのとき●●さんには、自分が錯覚をしているはずはないという自信があったんだ、って。


 さて、ここまで、●●さんについてつぎの2点を確認しました。


 牛の怪物が見えた気がした。


 自分が錯覚しているはずはないという自信がある。


 なら、そのあと、●●さんはどうなります?


 当然、●●さんは、牛の怪物がたしかに現れたんだと信じ込むことになりますね?


 いまの推測も箇条書きにしてみましょうか。

  • ①牛の怪物が出たと思った(ひとつの可能性を思いつく)。
  • ②自分が錯覚しているはずはないという自信がある(他の可能性を不当に排除する)。
  • ③牛の怪物が出たのは間違いがないと信じ込む(勝手にひとつに決めつける)。


 このように、可能性がいくつか想定できるところで、いっぽう的に、他のすべての可能性を不当に排除し、たったひとつの可能性に事をしぼりこんでしまうありようを、俺は冒頭で、「勝手にひとつに決めつける」型と名づけたというわけですよ。


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〝統合失調症〟に見られた2つのパターン(4/6)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.32


◆「勝手にひとつに決めつける」型

 ではもうひとつのほうに話を移しましょう。そのふたつ目については冒頭で、「勝手にひとつに決めつける」型と名づけました。いまから、それを、以前にもちいた事例を再掲しながら、見ていきます。以下は、短編「統合失調症の『カガヤ臭いという声が聞こえてくる(幻聴)』『殺し屋に狙われているという幻覚(幽霊論)』を理解するpart.2」*1で挙げた例です。

 共同住宅の二階に住んでいた●●さんは〔引用者注:当該書には名前が出ていますが、ここでも伏せさせてもらいますね〕、夜中トイレに行くのが面倒で、誰にも見られないようにいつもこっそりと窓から放尿していた。ある日の晩、いままで嗅いだことがないくらいのにおいが部屋にたちこめたと思うと、窓際に突然緑色と茶色のぶちの牛があらわれ、噛みつかれそうになったのだ。彼は「殺されると思った」と言う(『べてるの家の「非」の援助論』医学書院、2002年、p.98)。


 これについてはこういうことなんじゃないかと推測しましたよね。


 ●●さんはいつも夜中、窓から放尿していた。するとある日の晩、「いままで嗅いだことがないくらいのにおいが部屋にたちこめた」。それは、牛舎なんかに行くとするアンモニア臭がもっと強烈になったような匂いだったのかもしれませんね。そんな強烈な臭いが不意に窓辺から漂ってきた。


 ところが●●さんは、それが夜な夜な自分が窓からしている尿の臭いだとは気づかず、とっさに「牛の怪物か何かの匂いではないか?!」と心配になった。で、急いで窓際に、怯えた目をやるとそこに「緑色と茶色のぶちの牛」が見えた気がした。そして、その怪物にいまにも襲いかかられるように感じて、すくみあがった、ということなんじゃないか、って。


 どうですか。みなさんも、これに似た経験をしたこと、ありませんか。いや、ありますよね?


 たとえば夜中、部屋にゴキブリがいるんじゃないかと心配になること、ありませんか。で、ビクビクしていると不意に視野の隅をゴキブリが横切ったような錯覚をすること、ありませんか。


 ゴキブリがいるんじゃないかと心配になってビクビクしているみなさんが、ゴキブリが見えたように錯覚するその要領で、強烈な臭いから牛の怪物でもいるんじゃないかと心配になった●●さんは、牛の怪物が見えたように錯覚したのかもしれませんね。窓辺のカーテンの影か何かを怪物と見誤ったとか、自分で勝手にそんな怪物の姿をそこに思い描いてしまったとかしたのかもしれませんね?


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*1:こちらの記事です。

〝統合失調症〟に見られた2つのパターン(3/6)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.32


 いまの推測を箇条書きにしてみとめてみますね。

  • ①朝、オレンジジュースを飲んでいるとき、窓から身を投げて死のうという衝動に駆られる(現実)。
  • ②自分が窓から身を投げて死のうと意思したはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
  • ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「窓から飛び出せという声が聞こえてきた。ボクは命令されたんだ」(現実修正解釈


 いま、幻聴と診断され、「理解不可能」と決めつけられてきたBさんの体験を復習しました。簡単に言うと、こういうことだったんじゃないかということでしたね。


「現実」と「自信」とが背反したところで、後者の「自信」に合うよう、「現実」のほうを修正解釈したんじゃないか、って。


 で、それを冒頭で「現実修正解釈」型と呼んだわけですね。


 でもそれは、さらにこうも言い換えられるのではないかと俺は睨んでいます。


「現実」と「予想」とが背反したところで、後者の「予想に合うよう、「現実」のほうを修正したんだ、っていうふうに。


 けど、この言い換えについては、ここでは深入りをせず、先に進みますね。


(その言い換えについて以前、深入りして書いたのが下の記事です。その記事の後半以降のことを言っています。)



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〝統合失調症〟に見られた2つのパターン(2/6)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.32


◆「現実修正解釈」型

 まずは、前者の「現実修正解釈」型から見てみますよ。短編「統合失調症の『声が命令してくる(幻聴)』を理解する」*1でとり挙げた「幻聴」と呼ばれる事例を再引用します。

 ジャズ・トランペッターで作曲家のB〔引用者注:ここでも名前は伏せさせてもらいますね〕は、統合失調症を克服したミュージシャンとして知られている。Bは、八歳のときからトランペットをはじめ、十代のときには、その才能を示した。頭脳優秀だった彼は、スタンフォード大学に進学するが、その頃から不安定な徴候を示しはじめる。十八歳のとき、突然自殺未遂をして家族をうろたえさせた。しかし、統合失調症と診断されたのは、二十代になって幻聴や纏まりのない会話や行動がはっきりみられるようになってからである。ある日オレンジジュースをのんでいると幻聴が彼に命令したのだ。「窓から飛び出せ。Bは、窓ガラスに向かってジャンプした。窓ガラスは割れ、彼は血まみれになったが、辛うじて外に飛び出さずに済み、転落死を免れた(岡田尊司統合失調症PHP新書、2010年、p.93、ただしゴシック化は引用者による)。

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

  • 作者:岡田 尊司
  • 発売日: 2010/10/15
  • メディア: 新書
 


 この事例については、こう推測しましたよね。その朝、Bさんは、オレンジジュースを飲んでいるとき、窓から身を投げて死にたくなったのではないか、って。窓から身を投げて死のうという衝動がそのときBさんの身に突き上げてきたんじゃないか、って。


 で、その衝動にBさんは身を任せた。


 でも、オレンジジュースを飲んでいるそんなところで、自分が窓から身を投げて死のうと意思するなんて、Bさんにはまったく思いも寄らないことだった。


 いや、いっそ、そのことを、語弊があるかもしれませんけど、裏返しにして、こう言い換えてみましょうか。そのときBさんには、自分が窓から身を投げて死のうと意思したはずはないという自信があったんだ、って。


 朝、オレンジジュースを飲んでいるとき、窓から身を投げて死のうという衝動がBさんの身に突き上げてきた(現実)。で、Bさんは窓ガラスに突進していった。だけど、そのBさんには、自分が窓から身を投げて死のうと意思したはずはないという「自信」があった。このように「現実自信とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように、俺には思われます。

  1. その背反を無くすために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
  2. その背反を無くすために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう修正する。


 で、その場面でBさんは、後者2の「現実のほうを、自信に合うよう修正する」手をとった。自分が窓から身を投げて死のうと意思したはずはないとするその「自信」に合うよう、「現実」をこう解した。


「窓から飛び出せ」という声が聞こえてきたんだ。ボクは命令されたんだ、って。


 つまり、自分の身に湧いてきた、窓から飛び出そうという自分の「意思」を、Bさんは、誰かから掛けられた命令の「」ととった、ということですよ。


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*1:こちらの記事です。