(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできないというのは本当?

正常と異常のそれぞれの意味を、もっと簡単な仕方で確認する(4/4)【短編NO.1の補足】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.56


 すなわち、ひとを正常と判定するというのは、そのひとの実際のありようを、こちらがひとというものにたいしてもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していると見、そのイメージに合致していることを問題無しとすることであるいっぽう、ひとを異常と判定するというのは、そのひとの実際のありようを、こちらがひとというものにたいしてもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないと見、そのイメージに合致していないことを問題視することだ、って。


 ここもまた箇条書きにしてまとめるとこうなります。


 ひとを正常と判定するというのは、

  • ①そのひとの実際のありようを、こちらがひとというものにたいしてもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージ(ひとについての定義)に合致していると見、
  • ②そのイメージに合致していることを問題無しとすること、


 かたやひとを異常と判定するというのは、

  • ①そのひとの実際のありようを、こちらがひとというものにたいしてもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないと見、
  • ②そのイメージに合致していないことを問題視すること。


 今回冒頭でこう宣言しました。この短編集「統合失調症と精神医学と差別」のなかで、正常、異常について最初に確認した5つの基本事項(詳しくは冒頭を参照されたし)を、別の、もっと簡単なやり方で再確認していきます、って。


 今回はそのなかの「正常とは何か、異常とは何か」を、イメージに着目するあらたな仕方で再確認しました。次回は、イメージに着目するこの簡単な仕方で「異常なひとはこの世にただのひとりも存在し得ない」ということを再確認します。

 

★★「正常とは何か、異常とは何か」というこのことを、短編No.1ではつぎのような仕方で確認しました★★






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*前回の短編(短編NO.55)はこちら。


*このシリーズ(全61短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

正常と異常のそれぞれの意味を、もっと簡単な仕方で確認する(3/4)【短編NO.1の補足】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.56


◆イメージに合致していないことを問題視する

 だとすると、そこからもうすこし突っ込んで、正常、異常とはこういうことだと言えるのではありませんか。


 掃除機を正常と判定するというのは、その掃除機の実際のありようを、みなさんが掃除機にたいしてもっている「掃除機とはコレコレこういうものだ」というイメージに、合致していると見、そのイメージに合致していることを問題無しとすることだ、って。


 いっぽう、掃除機を異常と判定するというのは、その掃除機の実際のありようを、みなさんが掃除機にたいしてもっている「掃除機とはコレコレこういうものだ」というイメージに、合致していないと見、そのイメージに合致していないことを問題視することだ、って。


 箇条書きにしてまとめると、こういうことです。


 掃除機を正常と判定するというのは、

  • ①その掃除機の実際のありようを、みなさんが掃除機にたいしてもっている「掃除機とはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していると見、
  • ②そのイメージに合致していることを問題無しとすること、


 かたや掃除機を異常と判定するというのは、

  • ①その掃除機の実際のありようを、みなさんが掃除機にたいしてもっている「掃除機とはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないと見、
  • ②そのイメージに合致していないことを問題視すること。


 いま機械について見ましたけど、気象についてはどうですか。最近、「異常」気象という言葉を口にするひと、多いですね。連日の夏の猛暑を「異常」気象と言うとき、ひとはどんなものの見方をしているとみなさんは思いますか。


 いまの機械の場合とおなじではありませんか。昨今の夏の気象を異常と判定するというのは、昨今の夏の気象のありようを、そのひとが(夏の)気象にたいしてもっている「(夏の)気象とはコレコレこういうものだ」というイメージ(気象についての定義)に、合致していないと見、そのイメージに合致していないことを問題視することではありませんか。


 なら、ひとについて正常であるとか異常であるとか言うのも当然これとおなじと考えられますね?






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正常と異常のそれぞれの意味を、もっと簡単な仕方で確認する(2/4)【短編NO.1の補足】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.56


◆イメージに合致しているか、否か

 まず機械を例に考えてみましょうか。


 みなさんが機械を異常であると言うのは、いったいどんなときですか。どんなときにみなさんは、たとえば掃除機を異常であると見なしますか。


 それは、掃除機が、そのコードをコンセントに差してスイッチを入れても、ウンともスンとも言わないようなとき、ではありませんか。


 では、それは、どういうときと言い換えられるでしょう?


 みなさん、どなたも、「掃除機とはコレコレこういうものだというイメージをもっていますよね。そのイメージは、掃除機についての定義、と言えるかもしれませんね。みなさんが掃除機を異常と見なすのは、そのイメージについて着目すると、つぎのようなときと言えるのではありませんか。


 みなさんが掃除機にたいしてもっているそうしたイメージと、実際の掃除機のありようとが、合致していないときだ、って?


 えっ、いま何か思い当たりました?


 あ、そうですね。ひとについても、おかしいとかイカレてるとかクレイジーとかいった言い方で、異常であると言いますね。そのときもまた、いま指摘したとおりですね。


 たとえば、ふだんあまり喋らない、ムスっとした俺が、何かの拍子に饒舌になって心の底から笑っていると、それを見た誰かが「ヤツ、イカレたよ」と言ったりするようなこと、ありますね。そのひとが俺にたいしてもっている「ヤツはコレコレこういう人間だ」というイメージ(たぶんこの場合は、いつもムスッとしていて饒舌に喋ることはないというイメージ)に、その俺の実際の陽気な様子が、合致しないのでしょうね。で、俺のそうした陽気な様子を、異常と見なす、といったところでしょうね。


 さあ、いま掃除機を例にこう言いました。みなさんが掃除機にたいしてもっている「掃除機とはコレコレこういうものだ」というイメージ(掃除機の定義)と、実際の掃除機のありようとが合致していないときに、みなさんはその掃除機を異常と判定するのではないか、って。






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正常と異常のそれぞれの意味を、もっと簡単な仕方で確認する(1/4)【短編NO.1の補足】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.56

目次
・正常、異常とはそれぞれ何かをもっと簡単な仕方で確認する
・イメージに合致しているか、否か
・イメージに合致していないことを問題視する


◆正常、異常とはそれぞれ何かをもっと簡単な仕方で確認する

 何度もくり返し言ってきたことですけど、みなさんがふだん、やれ健康だ、やれ病気だ、としきりに言うことによって争点にするのは、「苦しくないか(快いか)、苦しいか」ですよね。だけど、身体を機械と見なす医学は、みなさんとおなじようにそうして、やれ健康だ、やれ病気だと言ってきながらも、まったく別のことを争点にしていた、ということでした。


 健康を正常であること、病気を異常であることと定義づけてきたんだ、って。


 さて、その正常、異常について、この短編集「統合失調症と精神医学と差別」では最初につぎの5つの基本事項を確認しました。

  1. 正常、異常とは何か(短編NO.1)。
  2. 異常なひとはこの世にただのひとりも存在し得ない(短編NO.2)。
  3. 医学に不当にも異常と決めつけられ、差別されるのは誰か(短編NO.3)。
  4. 障害、障がい、障碍、はどれもみな差別用語である(短編NO.4)。
  5. この世に「理解不可能」なひとなどひとりたりとも存在し得ない(短編NO.6)。


 この5つを、今回から数回にわたって、以前に用いたのとは別の、もっと簡単なやりかたで順に確認していきます。


 今回はまず番号1を見ますね。正常と異常の意味はそれぞれ何か。それを、イメージに着目する簡単な仕方で再確認していきます。






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*前回の短編(短編NO.55)はこちら。


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科学には全然理解できない快いとか苦しいとかいうことの意味を簡単に確認してみよう(5/5)【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.9】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.55


◆その問いには、どう解いているかの他に、どれだけ解けているかという程度問題がある

 さあ、このように、みなさんが生きているあいだどの瞬間でもつねに身をもって解いている問いを言い換えると、いままで見えていなかったものが急に姿を表してきます。


「今どうしようとするか」というこの問いには、身をもってどう解いているかの他に、どれだけ解決しているかという、程度問題があることにも気づかされることになる、というわけです。


 どう解いているかは、先に指摘しました行動のことですね。では、いま急に視界に入ってきた、どれだけ解決しているかという程度問題のほうは何かというと、それこそ快さと苦しさのことだということです。


 快さや苦しさというのは、「今どうしようとするか」という問いが、今この瞬間にどの程度、解決しているか、その度合いのことなんだ、って。


 快さを感じているとは、「今どうしようとするか」という問いを、その問いに身をもって答えることによって、解決している度合いが、大きいということである。


 すなわち、冒頭でいきなり書きましたように、快さを感じているというのは、「今どうしようとするかかなりハッキリしている」ということである。


 かたや苦しさを感じているとは、「今どうしようとするか」というその問いを、その問いに身をもって答えることによって、解決している度合いが、小さいということである。


 すなわち、苦しさを感じているというのは、「今どうしようとするかあまりハッキリしていない」ということである、って。


 ここまで、快さとは何か、苦しさとは何かを、またとはない簡単な言葉でざっと確認してきました。確認してみると、ひどく当たり前のことばかりだったような気がしますね。みなさんが熟知していることばっかりだったのではないでしょうか。でも、その簡単で当たり前なことが、学問の世界(科学も含む)ではまともに理解されてこなかったし、これからも、身体を機械と見る限り、永遠に理解されることはないということです。






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【参考】快さや苦しさを配慮にいれるとはどうすることか、具体的に下の記事で考察してみました。


*今回の最初の記事(1/5)はこちら。


*前回の短編(短編NO.54)はこちら。


*このシリーズ(全61短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

 

 

 

 

科学には全然理解できない快いとか苦しいとかいうことの意味を簡単に確認してみよう(4/5)【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.9】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.55


◆今という一瞬を、目的に向かっている瞬間と見る

 ところで、さっき最初にみなさんにこう質問しましたよね。いまこの瞬間のみなさんの状態を俺に教えてくれませんか、って。すると、みなさんは「〜している」とか「〜中」といった表現を用いて答えてくれるということでした。そのことから、いまひとつの見解に到達したわけですけど、でも、その質問にそうした表現とはまた別の言い方で答えようとしたひともいたかもしれません。


 つまり、「寝そべりながらスマホを見ている」とか「休息」と答える代わりに、「お風呂に入ろうとしている」と言おうとしたひとや、「電車に乗っている」とか「移動」と答える代わりに「家に帰ろうとしている」と表現しようとしたひと、あるいは「酒を飲んでいる」や「晩酌」の代わりに、「(いまから)寝ようとしている」と答えようとしたひともいたかもしれませんね。


 そのように、未来の目的に「〜しようとしている」という言葉をくっつけた言い方をしようとしたひとも、ね?


「〜している」「〜中」という表現は、「〜しようとしている」という言い方に替えることもできるということですよ。


 で、これもまた、いまこの瞬間のみなさんの状態に限った話ではありませんね。みなさんが、過去のある瞬間の状態について答えるときにも言えることだし、みなさんが、未来のある瞬間の状態と想像するところについて答えるときにも、言えることですね。みなさんの過去や未来の瞬間の状態にも「〜しようしている」という表現が代替できるということですね。


 でも、これはいったい何を意味するか。


 それは、こういうことを意味するのではありませんか。すなわち、みなさんの、過去、現在、未来のどの瞬間の状態も、何か目的に向かっている一瞬としても表現できる、って。


 要するにこういうことです。


 最初にこういうことを確認しましたよね。みなさんの、過去、現在、未来のどの瞬間の状態も、「〜している」「〜中」という言い方で表現できる。みなさんの過去、現在、未来のどの瞬間の状態も、何か出来事の最中と見ることができる、って。でも、それと同時に、それらの瞬間を、何か目的に向かっている一瞬と見ることもできる、ということですよ。


 そうしたふたつの見方がみなさんのどの瞬間の状態にもできるというこのことを踏まえて、あらたに考えてみましょうか。まえのほうで、キザったらしく、こう言いました。


 みなさんは生きているあいだ、どの瞬間でもつねに、「今という一瞬をどういった出来事の最中にするか」という問いに身をもって答えている、って。


 それらは、ちょうどいま確認したばかりの、見方の転換をすると、つぎのように言い換えられるのではありませんか?


 みなさんは生きているあいだ、どの瞬間でもつねに、「どうしようとするか」という問いに身をもって答えているんだ、って(ただしここで言う「今」は一瞬を指しています)。






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*今回の最初の記事(1/5)はこちら。


*前回の短編(短編NO.54)はこちら。


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科学には全然理解できない快いとか苦しいとかいうことの意味を簡単に確認してみよう(3/5)【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.9】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.55


◆今という一瞬を、出来事の最中と見る

 さて、こうみなさんに質問してみることからはじめましょう。


 いまこの瞬間のみなさんの状態を俺に教えてくれませんか、って。


 すると、その問いにみなさんは、こんなふうに答えてくれるのではないでしょうか。


「寝そべりながらスマホを見ている」とか「電車に乗っている」とか「酒を飲んでいる」といったふうに。


 もしくは、そうした「〜している」といった表現の代わりに、「休息中」とか「移動中」とか「晩酌中」という、「〜」を使った言い方で答えてくれるひともいるかもしれませんね。


 みなさんは、いまこの瞬間のみなさんの状態を表現するのに、「〜している」とか「〜中」といった表現を使うのではないかということでした。


 でも、何もこれはいまこの瞬間のことに限ったことではありませんね。みなさんが、過去のある瞬間のみなさんの状態を俺に知らせてくれるときも、事はおなじではありませんか。


 あるいは、未来のある一瞬のみなさんの状態とみなさんが予想するところを俺に知らせてくれるときも、みなさんは、「〜している」とか「〜中」という表現を用いて答えてくれるのではありませんか。


 ではこのことは何を意味しているか。


 つまり、みなさんの、過去、現在、未来のどの瞬間の状態も、「〜している(過去の場合は、していた)」もしくは「〜中」といった表現で言い表せるというこのことは?


 それはこういうことを意味するのではありませんか? みなさんの、過去、現在、未来のどの瞬間も何か出来事の最中である、って。


 すなわち、みなさんは、過去、現在、未来のどの瞬間でも、「今という一瞬を何かの出来事の最中にしている」んだ、って。


 いまみなさんが俺に教えてくれた「寝そべりながらスマホを見ている」も「電車に乗っている」も「酒を飲んでいる」も、はたまた「休息中」も「帰宅中」も「晩酌中」も、「今という一瞬を、何かの出来事の最中にしている」ということではありませんか。


 そのことをひねって、キザったらしく言えば、こうなります。


 みなさんは生きているあいだ、どの瞬間でもつねに、「今という一瞬をどういった出来事の最中とするか」という問いに、身をもって答えている、って。


 まさに、その問いに身をもって答えることこそ、行動という名で呼ばれてきたものなんだ、って。


 いま、みなさんのある瞬間の状態を教えてもらうことを通して、こういうことがわかりました。みなさんは何時如何なるときも、「今という一瞬を、どういった出来事の最中とするか」という問いに身をもって答えている。そしてその問いに、身をもって答えることが行動という名で呼ばれてきたんだ、って。






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