*認知症の人間の言動は理解不可能か・第17回
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◆自分が病気であることの認識はない
以上、認知症に分類される主な四つである、アルツハイマー型認知症、血管性認知症、レビー小体型認知症、ピック病を順にとり挙げ、それら症状の一つひとつがほんとうに、医学の押してきた「理解不可能」の烙印に反して「理解可能」であるか、検証してきた。最後に、⑤「自分が病気であることの認識はない」に言及してこの文章を締めくくることにしよう。
病気を「異常」であることと定義するのであれば、こう断じることができる。
病気と認定された人が、病気であるという自己認識をもたないのは論理的に正しいことである、と。
どういうことか。
そのひとは、医学になんと認定されようが実際のところ、「異常」ではない。というのも先に理論的に証明したように、この世に「異常」な人間などただの一人たりとも存在し得ない。裏返して言えば、すべての人間は正常である。自分のことを「異常」と認識することは、誤った自己認識を持つことに他ならないわけである。
そういう意味で、そのひとたちが「病気であることの認識」をもた「ない」のは誤ったことでは決してない。
ただしこう付け加えたい。
俺たちが普段、健康とか病気とかと何気なく言うときその言葉で意味しているのはせいぜい、健康の場合であれば「苦しんでいない」ということ、反対に病気の場合であれば「苦しんでいる」ということと「その苦しみが手に負えない」ということくらいだろうと、この一連の続きものの文章の最初のほうの回で確認した*1。もし、そうしたみなさんの心の声が支持する意味合いで病気という言葉を用いるのなら(それは医学という学問の決してしてこなかったことであり、今後も決してしないことであるが)、そのひとたちが自分のことを病気と呼んだとしてもそれは全く筋の通ったことである、と。
この「病識がない」ということを医学は統合失調症についても言う。かつて、その言い草が温厚なみなさんをも激怒させる理由について考察した。
精神医学の「統合失調症のひとには病識がない」という言い草に、温厚なみなさんですら激怒する理由(1/4)
(→次回)
*このシリーズの記事一覧はこちら。
*1:健康・病気という言葉の意味の、医学とみなさんの間で起こっている取り違いについて考察した部分はこちら。
わかりやすい具体例を用いて考察した回はこちら。