(新)Nothing happens to me.

科学には、人間を理解することを妨げる理論的欠陥がある

血管性認知症③④⑤⑥:「うつ状態」「自発性の低下」「情動失禁」「激しい物忘れ(まだら認知症)」の意味は何か(7/7)

認知症の人間の言動は理解不可能か・第16回

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 歳をとったり病気になったりすると往々にして気力が落ちると言われる。若かったり健康だったりした頃は、少々煩わしいことや骨の折れることであっても気力をふるってやりこなせていたが、今はもう気力が湧いてこず、そうしたことはできないと早々に諦める、ということにしばしばなる。


 この気力が落ちるとは何か。


 それは、意欲や興味が減退していて、煩わしさに気負けするということではないか。


 元気があったときは感情の吐露を抑制していた。人目も気にしたし、自分自身の目にも格好良く映りたいという思いがあって、少々労力がいるが、感情を抑えて振る舞っていた。ところが脳卒中に見舞われ、身体と言葉が自由にならなくなるという現実に直面して以来、そういう見え方に対する意欲興味が衰退してしまって、感情の吐露への抑制が緩くなってしまった、ということである可能性もあるかもしれない、というわけである。


 以上、アルツハイマー病に続き、血管性認知症についても、その症状とされる言動がほんとうに、俺たちが最初に示した理論どおり「理解可能」か一つひとつ検証してきた。正直なところ、ここで試みた考察でそれら言動を幾分かでも「理解できた」のか確証する手立ては全くないが、それでもそれらを以前同様「理解不可能」と断じ続けていくためにはそれらが「理解不可能」であることを逆に証明する必要がもはやある、と思えるくらいのところまでは来たのではないか、という個人的な実感があるが、果してどうか。





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2025年12月22日に文章を一部修正しました。


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◆④情動失禁(感情をコントロールできない)

 では最後に、④「情動失禁(ささいなことですぐ涙ぐんだり、笑ったりする現象で感情をコントロールできない)」を見て終わろう。


 ひとつ想像してみてほしい。


 自分が、脳卒中に見舞われて手足が麻痺し言葉が自由にならない状態を突然強いられることになったら、みなさんの精神状態はどうなるか。


 感受性が以前より敏感になってもおかしくないとは思わないだろうか。


 たとえば、ひとは歳をとると涙もろくなるとよく言われる。経験を積むとともに物の機微を察知できるようになり、以前なら何にも感じなかったことのうちにも意味や意義が見えてきて、胸や目頭が熱くなったりするようになる。


 脳卒中に見舞われて手足が麻痺し言葉が自由にならない状態を突然強いられることになり、さまざまな苦難、苛立ち、失望を経験することになったひとが物の機微により気付き、敏感に反応するようになったとしても、それは筋の通った話ではないだろうか。もしそういうことなら、それを「情動失禁」と名づけ、「異常」扱いして「理解不可能」な言動の烙印を押すことは人間理解を拒む態度であることになる。


 とはいえ、ひょっとすると全く別の事情によるものかもしれないけれども。





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2025年12月22日に文章を一部修正しました。


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 これまでもっていた意欲や興味を突然失い、何も手に付かず、ぼーッと時間を過ごすことが多くなっていたとしても、夜中フラフラと起き出してきては冷蔵庫の中から食べ物をとり出し、むさぼり喰らう悦びを追求してはいなかったか。ひたすらひとを避け、部屋に閉じこもって打ちひしがれていたとしても、「バラード2018〜あの日のふたり」といったようなタイトルのプレイリストを繰り返し再生し、飽くことなくその甘い調べに耳を傾けてはいなかったか。


 たしかにみなさんは、突然訪れた不幸に挫け、もてる意欲や興味の幾ばくかを失っていたが、それはあくまで部分的な喪失だったのではないか。


 それとおなじことが血管性認知症にも言えるのではないかというわけである。


 血管性認知症ではどちらかというと意欲や興味の減退は、脳卒中のもたらした困難な現実に落胆したことをきっかけに一気に起こる傾向が強いのではないかと推測したが、もしそうであれば、みなさんが突然恋人に振られたようなときに経験したのとおなじく、その意欲や興味の減退は限定的であることが多いと類推することができるのではないか。


 当然、意欲や興味が保たれたままの対象については依然集中でき、それまで同様の「判断力、計算力、常識など」を示すことが可能性である。したがって、血管性認知症では「判断力、計算力、常識などが維持されていることが多く、『まだら認知症』といわれることがある」ということになる、というのがここで俺たちの示す推論である。





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◆「まだら認知症

 アルツハイマー認知症と血管性認知症とでは、意欲や興味が減退してきた経過が往々にして異なるように思われる。


 アルツハイマー認知症ではどちらかというと、意欲や興味の減退はそれなりの時間をかけて漸次起こることが多く、かたや血管性認知症では意欲や興味の減退は、脳卒中によって手足が麻痺し言葉が自由にならなくなったことに落胆したのをきっかけに一気に起こる傾向が強いのでないか。


 もしそうであれば、どういうことになるか。


 みなさんも過去に一度くらいは、意欲や興味が突然減退するといった経験をしたことがあるだろう。


 そうしたとき、みなさんが意欲や興味の減退を覚えた対象は限定的だったのでなかったか。


 たとえば、みなさんは不意に恋人に振られたことはないか。信頼していた人に突然裏切られたことは? 急に仕事を首になるといった経験をしたことはないか。


 そのようにいきなり予期せぬ不幸に見舞われたときみなさんは、食べることに対する意欲や興味を失ったかもしれない。そして、テレビ番組のどれもこれもが食べ物に関するものであることに気付き、テレビを捨ててしまったかもしれない。なかには社交への意欲や興味をごっそりと失い、人との関わり合いを片っ端から避けるようになったひともいるだろう。趣味であるスポーツ観戦への意欲や興味を失ったとか、おしゃれをする意欲や興味を失ったというひともいるだろう。仕事に対する意欲や興味を失い、職場での失敗が増え、会社に居づらくなったというひともいるのではないか。


 そのときみなさんは「自分はいかなる意欲も、いかなる興味も失ってしまったのだ、自分はもう終わった人間なのだ」と、しかめっ面で天を仰いだかもしれない。


 だが、そうだったとしても、本当にみなさんの意欲や興味は、みなさんが思ったとおり干上がってしまっていたのだったか。


 いや、それは極端な思い込みにすぎなかったのではないか。





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2025年12月22日に文章を一部修正しました。


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血管性認知症③④⑤⑥:「うつ状態」「自発性の低下」「情動失禁」「激しい物忘れ(まだら認知症)」の意味は何か(3/7)

認知症の人間の言動は理解不可能か・第16回

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◆⑥「激しい物忘れ」

 アルツハイマー認知症を検証しているときに一番初めに見た症状なるものは「物忘れが次第に激しくなる」で、それはこういう出来事ではないかと推測した。


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アルツハイマー認知症の「物忘れが次第に激しくなる」について考察した回。

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 それまでなら集中してすることのできていた、たとえば料理や言葉を交わすといったことに意欲や興味が減退していて集中できず、「上の空」でそれらのことをすることしばしばになった。その結果、「上の空でしていたことはついいまさっきのことでも思い出すのは難しいという物の道理に従うことになって、「上の空」でしていたその何かを、ついいまさっきのことであるにもかかわらず、思い出せなくなる、ということではないか、と。


 それとおなじ「物忘れ」がこの血管性認知症でも起こり得るということである。手足が麻痺し言葉が自由に喋れなくなった突然の現実にがっくりと気落ちし、それまでなら意欲や興味をもてていたことに対して意欲や興味がもはや湧いてこず、集中できなくなって、そうしたことを「上の空」ですることしばしばになった。その結果、アルツハイマー認知症のとき同様、「上の空」でしていたことはついいまさっきのことでも、思い出すのは難しいという物の道理に従うことになる、というのがここでの⑥「激しい物忘れ」ではないか。


 けれども、この⑥「激しい物忘れ」には次のただし書きがあった。

ただし、判断力、計算力、常識などが維持されていることが多く、「まだら認知症」といわれることがある


 だが、このアルツハイマー認知症との違いもむしろ当たり前のことではないか。


 ひとつ考えてもみてほしい。





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2025年12月22日に文章を一部修正しました。


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