(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

統合失調症の「スーパースターに愛されている」を理解する(統合失調症理解#10,11)(7/7)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.18


 さあ、いま、ふたり目の女性について、俺、こう推測しましたね。その女性は、自分が錯覚していることに気づかなかったのではないか、って。


 では、この女性がもし反対に、自分が錯覚していることにそのとき気づいていたら、事態はどうなっていたか、最後に想像してみましょうか。


 みなさん、どう想像します?


 俺はこう想像しますよ。


 この女性は、ミュージシャンが自分だけに向けて意味深な言葉や熱い視線を送ってきていると「感じる」のを、錯覚であるとわかったうえで楽しんだのではないか、って。


 要するに、疑似恋愛体験を楽しんだのではないか、って。


 他の多くのファンが現にしているように、ですよ。


 実際、ミュージシャン(一部の音楽に限る)やアイドルというのは、そんなふうな疑似恋愛体験をファンのみなさんにしてもらえるよう努めることを仕事としているのではありませんか。


 以上、みなさん、このふたり目の女性はどうでした? ほんとうにこのふたり目の女性のことを、(精神)医学が言うように、「理解不可能」だと思いました? 「永久に解くことのできぬ謎」だと感じました? 


 いや、「理解不可能」だなんて、滅相もありませんでしたよね?


 もちろん、このふたり目の女性のことをいま完璧に理解し得たと言うつもりも、やっぱり俺にはありませんよ。むしろ、多々誤ったふうにこの女性のことも決めつけてしまったのではないかと自責する自分を、どうしても止められないというのが、正直なところですよ。


 ただ、いくらそうは言ってもさすがに、この女性がほんとうは理解可能であるということは、いまの考察からでも十分明らかになりましたよね?


 みなさんのように、申し分のない人間理解力をもったひとたちになら、このふたり目の女性のことも完璧に理解できるにちがいないということは、いま十分に示せましたね?


 このふたり目の女性のことが(精神)医学に理解できないのは、単に、この女性のことを理解するだけの力が(精神)医学にはないということにすぎないと、いま極めてハッキリしましたね?


 今回は、「世界的なスーパースターに愛されている」「スーパースターが意味深な言葉や熱い視線をブラウン管ごしに送ってくる」等と語るふたりの女性に登場してもらいました。そして、統合失調症と診断され、「理解不可能」と決めつけられてきたそのふたりがほんとうは理解可能であることを実地に確認しました。(精神)医学が、「統合失調症」と診断するひとたちにたいし、深い「偏見」をもっていることが明らかになりましたね。(精神)医学は世間を啓蒙しようとするまえにまずみずからを根本的に正すところからやり直さなければならないとつくづく思い知らされましたね。

(次回短編はこちら)


次回は7月20日(月)21:00頃にお目にかかります。つぎの方についてのお話を、その相方がお書きになった著書からお伺いする予定です。


ひとつまえの記事(6/7)はこちら。


今回の最初の記事(1/7)はこちら。


前回の短編(短編NO.17)はこちら。


このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

統合失調症の「スーパースターに愛されている」を理解する(統合失調症理解#10,11)(6/7)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.18


 ところが、ほんとうにミュージシャンが自分だけに向けて、意味深な言葉や熱い視線を送ってきているのだと、そんなふうに信じると、この女性には、あることが腑に落ちなくなるわけです。ミュージシャンは歌詞に託して、ブラウン管ごしにわたしに囁いてくる。キミはいつも頑張っているね。ステキだよ、って。キミの心のなかには悲しみが詰まっている。ボクがとり除いてあげるよ、って。でもなぜ、わたしが頑張っていることをミュージシャンは知っているのか。なぜわたしの胸が悲しみで張り裂けそうであることを知っているのか。


 女性は首をひねり、医師に訊く。


 ミュージシャンが「私のことを全部知っているんです。そういうことってあり得るんですかね」。


 いまの推測をまとめましょう。


 この女性は、ミュージシャンが、記事、番組、歌、をとおして全国のファンに向けて送る言葉や視線を、自分だけに向けられた意味深なものと「錯覚」した(現実)。しかしこの女性には「自信」があった。自分のその「感じ方」が間違っているはずはないといった自信が。で、そんな自信があったこの女性には、ほんとうに自分だけに向けて、ミュージシャンが、意味深な言葉や熱い視線を送ってきているのだと信じられた。


 箇条書きにするとこうなります。

  • ①ミュージシャンが全国のファンみんなに送る言葉と視線を、自分だけに向けられた意味深なものと「錯覚」する(現実)。
  • ②自分のその「感じ方」が間違っているはずはないといった自信がある(現実と背反している自信)。
  • ③その自信に合うよう、現実をこう解する。「ミュージシャンがほんとうに、わたしだけに向けて、意味深な言葉や熱い視線を送ってくる」(誤った現実認識


 要するにひと言でいえば、この女性は自分が錯覚していることに気づかなかったのではないか、ということですよ。でも、ほら、「錯覚」していることに気づかないなんてこと、日常、誰にでもよくあることですよね?


 先に「下ネタ」「嫌み」「好意」の3つを例に出しましたけど、みなさん、過去を思い返してみてくださいよ。こんな経験したことありませんか。相手が「下ネタ」もしくは「嫌み」を言ってきていると感じた。が、それは「錯覚」だった。にもかかわらず、みなさんはそのことに気づかないで、モジモジもしくはムスっとしてしまい、相手に不審がられた、というような経験は?


 あるいは、相手が「好意」を寄せてきていると「錯覚」した経験はどうですか。相手に「好意」を寄せられていると感じた。が、それは「錯覚」だった。にもかかわらず、みなさんはそのことに気づかないで、いまでもそのときのことを思い出すと居たたまれなくなる失敗をしてしまった、というような経験、ありませんか。


ひとつまえの記事(5/7)はこちら。


前回の短編(短編NO.17)はこちら。


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統合失調症の「スーパースターに愛されている」を理解する(統合失調症理解#10,11)(5/7)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.18


◆「ミュージシャンが愛のメッセージを送ってくる」

 さて、現に「感じている」ところが錯覚である可能性がときにあるということをいま、3例を挙げて確認しました。下準備、完了しましたよ。遅ればせながら、ふたり目の女性を見ていきますね。


 ふたり目の女性についてこう書いてありましたよね。「彼女にとって、テレビや雑誌を見ることはスリリングで、心騒ぐ楽しみであった。というのも、(略)ミュージシャンが番組の最中に、あるいは雑誌の記事の中で、あるいは歌う歌詞に託して、彼女に向けた特別のメッセージを送ってくるからだった。番組の最中にも、彼は大胆不敵にも、彼女に合図を送ってくるのだ。彼女だけを強く見つめてきたり意味深な言葉を口にする。彼女は、恥ずかしくてドキドキしてしまう」んだ、って。


 ひょっとすると、そのミュージシャンの、記事、番組、歌、のなかでの言葉がその女性には自分にのみ向けられた意味深な言葉、つまり、自分のためだけに囁かれた愛や励ましの言葉と聞こえた(感じられた)のかもしれませんね。またそのミュージシャンがブラウン管ごしに全国のファンへと送る視線がその女性には自分だけを見つめてくる熱い視線と感じられた」のかもしれませんね。


 恋をしていたこの女性には、全国のファンに向けられたミュージシャンの言葉や視線がことごとく、自分だけに向けられた意味深なものと「感じられた」。ほらさっき、「下ネタ」「嫌み」「好意」の3つを例に、この「感じる」ということについて確認しましたよね? 現に「感じている」ところが錯覚にすぎない場合もあるんだ、って。その3例のときとおなじように、この女性のいまの場合も、事態はつぎのふたつのうちのいずれかであると考えられはしませんか。

  • A.事実は、この女性の感じていたとおりだった(ミュージシャンの言葉と視線はほんとうにこの女性だけに向けられていた)。
  • B.この女性は錯覚していた(ミュージシャンの言葉と視線はこの女性だけに向けられたものではなかった)。


 どうですか。みなさんは、この女性のいまの場合、事態はそのふたつのうちのどちらだったと思いますか。


 そうですよね。やはり、事態はB(錯覚)だったのではないかと思いますよね。この女性は、ミュージシャンが全国のファンに向けて送る言葉や視線を、自分だけに向けられた意味深なものと錯覚していたにちがいありませんね。


 だけど、この女性には自信があったのではないでしょうか。ミュージシャンが自分だけに向けて意味深な言葉や熱い視線を送ってきていると「感じる」、その自分の感じ方が間違っているはずはないといった自信が。で、そんな自信があった女性には、ほんとうにミュージシャンが自分だけに向けて、意味深な言葉や熱い視線を送ってきているのだと信じられた、ということなのではないでしょうか。


ひとつまえの記事(4/7)はこちら。


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統合失調症の「スーパースターに愛されている」を理解する(統合失調症理解#10,11)(4/7)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.18


◆感じているところが錯覚である可能性

 ではここで、ふたり目の女性にも登場してもらいますよ。その女性も、先の女性とおなじく、統合失調症と診断され、「理解不可能」と決めつけられてきました。

 ある若い女性のケースを例に引こう。彼女は、自分が人気ミュージシャンから愛されているという妄想を抱いていた。彼女にとって、テレビや雑誌を見ることはスリリングで、心騒ぐ楽しみであった。というのも、彼女を愛しているミュージシャンが番組の最中にあるいは雑誌の記事の中であるいは歌う歌詞に託して彼女に向けた特別のメッセージを送ってくるからだった番組の最中にも彼は大胆不敵にも彼女に合図を送ってくるのだ彼女だけを強く見つめてきたり意味深な言葉を口にする。彼女は、恥ずかしくてドキドキしてしまう。


「私のことを全部知っているんです。そういうことってあり得るんですかね」とか、「番組中なのに、そんなことまで言っていいのかなって、私のほうが心配になって」と気を揉むのだ(岡田尊司統合失調症PHP新書、2010年、pp.235-236、ただしゴシック化は引用者による)。

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

 


 こう書いてありましたね。「彼女にとって、テレビや雑誌を見ることはスリリングで、心騒ぐ楽しみであった。というのも、(略)ミュージシャンが番組の最中に、あるいは雑誌の記事の中で、あるいは歌う歌詞に託して、彼女に向けた特別のメッセージを送ってくるからだった。番組の最中にも、彼は大胆不敵にも、彼女に合図を送ってくるのだ。彼女だけを強く見つめてきたり意味深な言葉を口にする。彼女は、恥ずかしくてドキドキしてしまう」んだ、って。


 これがいったいどういうことなのか、いまから考察していきますよ。


 でもそのまえに、「感じるということについてあらかじめひとつ確認させておいてもらっても構いません?


 みなさん、いきなりですけど、何を聞いても下ネタに聞こえるといった経験を思春期頃、したこと、ありませんか。決まり悪がらずに、ようく思い返してみてくださいよ。


 どうですか。そうしたときみなさんは、事態がつぎのふたつのうちのいずれに当たるのか、決めかねたこと、ありませんか。

  • A.相手がほんとうに下ネタを言ってきている。
  • B.相手が下ネタを言ってきているとこちらが勝手に「感じている」だけである(錯覚している)。


 いや、何も下ネタを例に出すことはありませんでしたね。ひとに嫌みを言われているように「感じる」場面を例に挙げたほうがよかったといま、気づきましたよ。「嫌み」についての経験なら、みなさんもきっと素直に考察できるはずですしね? ひとに嫌みを言われているように「感じる」とき、みなさんは事態がつぎのどちらに当たるのか、判断に迷うこと、ありませんか。

  • A.相手がほんとうに嫌みを言ってきている。
  • B.相手が嫌みを言ってきていると自分が勝手に「感じている」だけである(錯覚している)。


 相手が「下ネタ」を言ってきていると「感じられても、かならずしもほんとうに相手が下ネタを言ってきているとは限らないし、相手が「嫌み」を言ってきていると「感じられるときもそれと同様である、ということですよね? 「感じているところが錯覚にすぎないことがままありますね?


 それは、ひとが好意を寄せてきていると「感じ」られるときもおなじではありませんか。


 相手から「好意」を寄せられていると「感じる」が、果して真相はつぎのどちらなのだろうと頭を悩ませた経験、みなさんにならきっとあるだろうと、俺、ニラんでます。

  • A.相手がほんとうに好意を寄せてきている。
  • B.相手が好意を寄せてきていると自分が勝手に「感じている」だけである(錯覚している)。


 先の「下ネタ」「嫌み」の場合とおなじく、「感じている」ところが錯覚である可能性があるだけに、みなさん、しばしば判断に迷ったのではありませんか。


ひとつまえの記事(3/7)はこちら。


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統合失調症の「スーパースターに愛されている」を理解する(統合失調症理解#10,11)(3/7)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.18


 いま俺、こう推測しましたよ。こ
の女性は、世界的スーパースターのことが気になって気になって仕方がなかった(現実)。ところがそのいっぽうで、この女性には「自信」があった。自分がその世界的スーパースターのことを気にしているはずはないといった「自信」が、って。そのように「現実自信とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。

  1. 現実に合うよう、自信のほうを修正する。
  2. 自信に合うよう現実のほうを修正する


 そこでもしこの女性が前者1の「現実に合うよう、自信のほうを修正する」手をとっていたら、果してどうなっていたでしょうね? もしとっていたら、この女性は驚きながら、つぎのように認識を改めることになっていたかもしれませんね。


「まさか、この自分が、世界的スーパースターに夢中になっているのだとは! 自分にもこんなミーハーな部分があるのだとは、つゆ思ってもみなかったなあ」。


 でもこの女性が実際にとったのは、後者2の「自信に合うよう、現実のほうを修正する」手だった。自分が世界的スーパースターのことを気にしているはずはないといった自信に合うよう、この女性は現実をこう解した。


 世界的スーパースターがしきりにわたしに言い寄ってくる。病院に迎えに行くとしきりに約束もしてくる。世界的スーパースターにわたしは愛されているんだ。


 いまの推測を箇条書きにしてまとめると、こうなります。

  • ①世界的スーパースターのことが気になって気になって仕方がない(現実)。
  • ②自分がその世界的スーパースターのことを気にしているはずはないといった自信がある(現実と背反している自信)。
  • ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「世界的スーパースターがしきりにわたしに言い寄ってくる。病院に迎えに行くとしきりに約束もしてくる。世界的スーパースターにわたしは愛されているんだ」(現実修正解釈


 さあ、ここまで、まず、みなさん、どうでした? いま見ましたひとり目の女性のことを(精神)医学は統合失調症と診断し、「理解不可能」と決めつけてきましたけど、ほんとうにこの女性のことを、「理解不可能」と思いました?


 むしろ、「理解可能」だと確信したのではありませんか。


 もちろん、この女性のことをいま完璧に理解し得たと言うつもりは、俺にはまったくありませんよ。多々誤解してしまったのではないかと気が咎めているというのが、ウソ偽らざる俺のいまの心境ですよ。


 でも、そうは言ってもさすがに、この女性がほんとうは理解可能であるということは、いまの考察からでも十分明らかになりましたよね?


 みなさんのように、申し分のない人間理解力をもったひとたちになら、この女性のことが完璧に理解できるにちがいないということは、いま十分に示せましたね?


 この女性のことが(精神)医学に理解できないのは、単に、この女性のことを理解するだけの力が(精神)医学にはないということにすぎないと、いま極めてハッキリしましたね?


ひとつまえの記事(2/7)はこちら。


前回の短編(短編NO.17)はこちら。


このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

統合失調症の「スーパースターに愛されている」を理解する(統合失調症理解#10,11)(2/7)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.18


◆「世界的なスーパースターに愛されている」

 まずはひとり目の女性から。

 ある入院中の若い女性は、世界的なスーパースターに愛されているという妄想を抱き続けていたきっと彼が病院に迎えにきてくれると言い続けていた。病状がだいぶよくなり、外泊できるまでに回復した。あるときそのスーパースターのコンサートがあり、一人で出掛けていった。無事にコンサートを聴き終え、何事もなかったように戻ってきたので、周囲もほっとした。それから驚くべきことが起きた。彼女は、「自分が愛されていると思っていたことは、妄想だったかもしれない」と語りはじめたのだ。彼女がコンサートで期待したようなことは何も起こらなかったからだ。それからも普段通りに暮らしていたのだが、ある日、外泊中に突然自殺企図した(岡田尊司統合失調症PHP新書、2010年、pp.233-234、ただしゴシック化は引用者による)。

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

 


 みなさんはこのひとり目の女性のことをどんなふうに想像しました? 俺はこんなふうに想像しましたよ。


 この女性は、その世界的スーパースターのことが気になって気になって仕方がなかったのではないか、って。そのスーパースターのことがそれこそ四六時中気になったのではないか、って。


 この女性はそのスーパースターに夢中だった。いや、ひょっとすると、恋焦がれていたと言ったほうが的確かもしれませんね。


 けど、その反面、この女性には自信があったのではないでしょうか。自分が世界的スーパースターのことを気にしているはずはないといった自信が。いや、それとも、いっそ、こう表現してしまったほうがいいでしょうか。この女性には、自分が世界的スーパースターに心を奪われているはずはないといった自信があったんだ、って。


 ともあれ、この女性は、「自分が世界的スーパースターのことを気にしているはずはない」といったその自信に合うよう現実をこう解したのかもしれませんね。


 世界的スーパースターがしきりにわたしに言い寄ってくる。世界的スーパースターにわたしは愛されているんだ、って。


 そしてこの女性は、その世界的スーパースターが病院に迎えに来る未来をしきりに夢見てもいたのかもしれませんねだけど、やはりこの女性には自信があった。自分が世界的スーパースターのことを気にしているはずはないといった自信が。で、その自信に合うよう、現実をこう解した。


 世界的スーパースターが、病院に迎えに行くとわたしにしきりに約束してくる、って。


ひとつまえの記事(1/7)はこちら。


前回の短編(短編NO.17)はこちら。


このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。

 

統合失調症の「スーパースターに愛されている」を理解する(統合失調症理解#10,11)(1/7)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.18

目次
・(精神)医学が世間の偏見を正せるはずはない
・「世界的なスーパースターに愛されている」
・感じているところが錯覚である可能性
・「ミュージシャンが愛のメッセージを送ってくる」


◆(精神)医学が世間の偏見を正せるはずはない

(精神)医学はよくこういったことを言いますよね。

 統合失調症、およそ百人に一人が罹患することになる、頻度の高い、身近な疾患であるにもかかわらず、多くの人にとっては、まだ縁遠い不可解な疾患でしかないのが現状である。昔に比べれば、精神科の垣根も低くなったとはいえ、精神病に対しては依然根深い偏見があり、病気のことを知られることに不安を感じ、家族が、統合失調症患者をひた隠しにしようとする場合もある。そうせざるを得ない現実があるのだ。秘め隠すことで現実を知ってもらえず、余計に周囲の理解が育まれないという悪循環もあった。


 だが、今や時代は大きく変わろうとしている。是非、この疾患について、もっと多くの人に知ってもらい、正しい理解をもってほしい。そして、この疾患の過酷な側面とともに、実に人間的で、親しみの湧く側面にも出合っていただければと思う(岡田尊司統合失調症PHP新書、2010年、p.4、ただしゴシック化は引用者による)。

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

統合失調症 その新たなる真実 (PHP新書)

 


 世間には依然、統合失調症にたいし、根深い「偏見」があって、(精神)医学はそれを正そうとしているんだと、このように(精神)医学はよく言いますね?


 だけど、世間のそうした偏見(精神)医学が正せるはずはないのではありませんか。


 だって、そうではありません? ちょっと考えてみてくださいよ。


 この世に異常なひとなどただのひとりも存在し得ないということを以前、論理的に証明しましたよね。そしてそれは、この世に「理解不可能なひとなど、ただのひとりも存在し得ないということを意味するとのことでしたよね。


(参考:いま言ったことはつぎのふたつの記事でそれぞれ確認しました。いちおう挙げておきますね。)


 でも(精神)医学は一部のひとたちを異常と判定し、「理解不可能と決めつけて差別してきました。たとえば、あるひとたちのことを統合失調症と診断し、こんなふうに、やれ、「永久に解くことのできぬ謎」だ、「了解不能」だと言ってね?

かつてクルト・コレは、精神分裂病〔引用者注:当時、統合失調症はそう呼ばれていました。〕を「デルフォイの神託」にたとえた。私にとっても、分裂病は人間の知恵をもってしては永久に解くことのできぬ謎であるような気がする。(略)私たちが生を生として肯定する立場を捨てることができない以上、私たちは分裂病という事態を異常」で悲しむべきこととみなす「正常人」の立場をも捨てられないのではないだろうか(木村敏『異常の構造』講談社現代新書、1973年、p.182、ただしゴシック化は引用者による)。

異常の構造 (講談社現代新書)

異常の構造 (講談社現代新書)

  • 作者:木村 敏
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1973/09/20
  • メディア: 新書
 

 

 専門家であっても、彼らの体験を共有することは、しばしば困難である。ただ「了解不能」で済ませてしまうこともある。いや、「了解不能であることがこの病気の特質だとされてきたのである。何という悲劇だろう(岡田尊司、前掲書pp.29-30、ただしゴシック化は引用者による)。


 こうして、ほんとうは「理解可能」であるそのひとたちを、「理解不可能」であるということにして、差別してきた、「偏見」いっぱいの(精神)医学が、世間に「正しい理解」をもたらすことなど、できるはずないではありませんか。


 さて、最近はずっと、(精神)医学に統合失調症と診断され、このように「理解不可能」と決めつけられてきたひとに実際に登場してもらい、そのひとがほんとうは理解可能であることを実地に確認しています


 今回もまたおなじことをしますよ。


 今回は女性ふたりに登場してもらいますね。


前回の短編(短編NO.17)はこちら。 


このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。