(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

「テレビでアナウンサーがわたしの噂話をしている」を、「妄想」にすぎないと考えないみなさんは、どのように理解しようとするか(6/10)【統合失調症理解#20】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.63


◆外出先で周囲に監視されていると思い込む

 ②は「外出先で周囲に監視されていると思い込む」で、③は「電車で隣に座っていた人の貧乏ゆすりを自分への暗号だと信じ込む」でした。


 先に②から。


 みなさんはこう説き来たり、説き去ります。


 何かの拍子に、ひとに監視されているという考え」がぱっと閃くことは、おそらく誰にでもあることだろう。こんにち、街のいろんな場所で、監視カメラが設置されているのが目につく。街角を行くとき、ふと「監視されている」という考えが閃くくらいのことがあっても、何の不思議もないだろう。


 しかし、そうだとしても、そうしたとき、ひとは大抵、脳裏に閃いたその考えを同時に疑いもするのではないだろうか。「いや、でも、いま閃いた、監視されているという考えは誤っているかもしれない」と。


 その結果、監視されているとも、監視されていないとも、完全には決めかねる、「なんか監視されているような」とか「たぶん監視されてはいないだろうけど……」といった、どっち付かずの受け止め方をすることになるのではないか。

  1. ある考えが閃く
  2. その考えを疑う


 では、当該女性が外出先で、「監視されている」と思い込んだ②の場合はどうだったか。


 そもそも、当該女性はその前段階ですでに、「テレビでアナウンサーがわたしの噂話をしている」(①)ととっている。だとすると、当該女性は、「世間にはその噂話をテレビから聞いて、わたしのことを悪く思っているひとがたくさんいるかもしれない」と疑ることになっていて当然である。したがって、外にぶらりと出た際、人混みのなかで偶然ひとと目があったりしたときなどに、「監視されている」という考えがその脳裏にふと閃いたとしても、そこに理解に苦しむようなことは何もないということになる。


 ただ、ここでひとつ留意が必要なのは、その局面で当該女性は、ぱっと閃いたその監視されているという考えを疑っても良かったということだ。実際そのとき、ほんとうに監視されているのか、それとも監視されていないのか、はっきり白黒つけることは、十分な情報をもっていなかった当該女性には不可能だった。その場面で、閃いたその考えを疑うことは、むしろ理に叶ったことだったと言える。


 ところが、当該女性はそのとき、その考えを疑うことがなかった。そうするだけの余裕が心になかったのかもしれない。実際、当該女性がその禍中にいたところの緊迫した状況は、そうした心の余裕をもつことを許すものではなかったように見受けられる。


 で、当該女性は、ぱっと閃いた「監視されている」という考えをそのまま、そうに違いないと速断してしまった、ということでないだろうか。


 昔よく視聴した西部劇に出てくるようなつぎの一場面を連想しながら、みなさんはそう推理するわけです。


 殺し屋から逃れてきて、小屋のなかの樽の陰に息をひそめて隠れている男。すると、ガタッと木製の何かが音を立てる。その瞬間、男は「殺し屋が来た!」という考えに刺し貫かる。切羽詰まっている男には、それが強風に揺すられた小屋の軋む音かもしれないといったような可能性に思いを致す心の余裕はない。男は「殺し屋が来た!」と速断し、観念する……


 さて、いま、当該女性は、心に余裕がなかったかして、自分の脳裏にぱっと閃いた考えをあくまでも疑うことがなかったのでないかとみなさんは推測しました。

  1. ある考えが閃く。
  2. 心に余裕がなかったかして、その考えをあくまでも疑うことがない。


 先に予告しておいたとおり、みなさんは、当該女性の発想①に認めることになった「自分の考えをあくまでも疑うことがない」という姿勢を、発想②「外出先で監視されていると思い込む」のもとにもこうして認めることになりました。


 発想③「電車で隣に座っていた人の貧乏ゆすりを自分への暗号だと信じ込む」の場合もこれとおなじことになります。






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