*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.28
◆同時に自分の閃きを疑う
でも、いま例に出しました間違い電話の場合、いつも慎重なみなさんなら、どうします? 「また、おなじひとからかも」と閃いたそのとき、同時に、その閃きを疑ってもみませんか。いや、さすがにこれは別のひとからかもしれないな、って。
そうして、またおなじ間違い電話のひとからであるという可能性と、そうではない可能性のふたつを同時に感じながら、電話をとるのではありませんか。
だけど、小林さんはそのとき、「木梨からの交信だ」とする自分の閃きを疑ってみることはなかったのではないでしょうか。
要するに、小林さんからすると、自分がそこで、誤った内容の着想を思いついたりするはずはなかったのではないでしょうか。
つまり、小林さんのその見立てを、少々語弊があるかもしれませんけど、言い換えれば、こういうことだったのではないかということですよ。そのとき小林さんには、自分の閃きが誤っているはずはないという「自信」があったのではないか、って。
で、そんな自信があった小林さんは、お腹が鳴ったこの音は木梨からの交信に間違いないと決めつけた、ということではないでしょうか。
実際、さっき引き合いに出した間違い電話の場合でも、そういうことが、慎重派のみなさんにも、ときにありません?
おなじひとから何度も立てつづけに、間違い電話がかかってきた。いまもそのひとの電話を切ったばかりである。すると、すぐにまた電話が鳴った。
で、みなさんは瞬時に、「またおなじひとからだ」と閃いた。
ところが、そんなとき、ふだんのみなさんなら、そうしたとっさの閃きを疑ってもみる(別のひとからの電話である可能性にも慎重に思いを致してみる)のに、なぜか、そのときに限って、自分の閃きに絶対の自信をもってしまい、「きっとまたおなじ間違いの電話のひとからだな!」と決めつけてしまったというようなことが、ときにありませんか。
いま、こう推測しました。箇条書きにして振り返ってみますね。
- ①ひとびととテレパシーで交信できていると思い込んでいた。そんななか、また別の交信があったような気がして、「木梨か?」と訊くと、自分のお腹がグゥーっと鳴った。瞬時に、「木梨からのテレパシーによる返事だ」と閃いた(とっさに一可能性を思いつく)。
- ②自分の閃きが誤っているはずはないという自信がある(他の可能性を不当排除する)。
- ③お腹が鳴ったその音を、木梨からのテレパシーによる返事だと決めつける(勝手にひとつに決めつける/現実を自分に都合良く解釈する)
2020年9月29日に表現を一部変更しました。また2021年10月17日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/7)はこちら。
*前回の短編(短編NO.27)はこちら。
*このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。