(新)Nothing happens to me.

科学はボタンをかけ違えたまま来たのではないでしょうか。

存在論となると、このひとを無視できない哀しさよ

このひと、人種差別なんかしてイヤだなあ、ずいぶんとウヌぼれていたんだろうなあと思っています。

ハイデガー『形而上学入門』/4.第三章 

(3のつづき) 捜査本部はながらく存在の行方を捜査している。けれどもこのかた捜査にはまったく何の進展も見られず、ついにこのたび捜査責任者のいれかえが行われることになった。新たに捜査本部のトップに着くことになったのはハイデガーである。 形而上…

世界内存在と現代科学

ハイデガーというと、「世界内存在」といった哲学者として有名である。「世界内存在」とは世界のうちにいることという意味である。しかし私たちひとりひとりが「世界内存在」であり、手もとの手帳やペンといった物もまた「世界内存在」であるというのはあま…

ハイデガー『形而上学入門』/6.番外篇〜脳科学は存在証明をなしえていない〜

(4のつづき) 重箱の隅をつつくような、どうでもいい問題をとりあげているのでは決してないのである。私たちの日常生活に関係のない話しは一切していない。むしろ、生々しい生活の一面について終始私たちは触れているのである。 「ウソだぁ」 ウソではあり…

ハイデガー『形而上学入門』/3.第2章「ある」という語の文法と語原学とによせて

(2のつづき) 第一章の、「存在」という言葉は幻であるという驚愕の結論を受けて、第二章以降ハイデガーは、「ある」という言葉を考察していく。第二章までしか読み終わっていない今の段階ではその考察について何も言えないが、その何も言えない今のうちに…

ハイデガー『形而上学入門』/2.第1章 形而上学の根本の問い(続)

(1のつづき) 彼は、現にそこここにある存在とは違った、別の存在を考えているのである。 彼が想定するその存在は、「問う前に既に眼の前に与えられている存在者から無媒介に出発」するのでは捉えられないものなのである。 そしてその別の存在があってこそ…

ハイデガー『形而上学入門』/1.第1章 形而上学の根本の問い

ハイデガーがフライブルグ大学、1935年夏学期の講義のために用意したテクストを印刷したのが、この『形而上学入門』(平凡社ライブラリー、1994年)であるそうだ。書名からするとこの講義は、形而上学に入門するしかたを説いたもののように思われるが、はた…

木田元『ハイデガー拾い読み』③

(②のつづき) 本質存在と事実存在 今、二つの例をあげた際、同じもの複数について、一つの同じ根源が想定されていると書いた(同じものは一つの同じ根源からやって来るという考え方がどうやら西洋にはあるようで、その考え方を私は個人的に「同一起源説」と…

木田元『ハイデガー拾い読み』②

(①のつづき) ハイデガーが乗り越えようとした制作的存在論 ハイデガーのこの根本的な批判を木田元さんは「反哲学」として複数の著書で語っている。ニーチェ以後、西洋文化の根底にある、ものの見方に批判的検討を加える哲学者が少しずつ出てきた。その代表…

木田元『ハイデガー拾い読み』①

ハイデガーは嫌なヤツである ハイデガーが「ハイデガー」であるためには、ハイデガーはぜひとも嫌なヤツでなければならなかった。まったく、嫌なヤツでなければならなかったに違いないのである。それも超ド級の。 しかし、これだけ永くつきあってきながら、…