(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

木田元『ハイデガー拾い読み』②

①のつづき

ハイデガーが乗り越えようとした制作的存在論

 ハイデガーのこの根本的な批判を木田元さんは「反哲学」として複数の著書で語っている。ニーチェ以後、西洋文化の根底にある、ものの見方に批判的検討を加える哲学者が少しずつ出てきた。その代表のひとりが木田さんによるとハイデガーなのである。


 しかし西洋文化の何を一体、彼は根本的に批判しようとしたのか。

 前回、『存在と時間』の予定されていながら書かれないでしまった第二部も、また、その書き直しと見ていい『現象学の根本問題』(1927年夏学期講義)の第一部も、結局は、プラトンアリストテレス以来の伝統的存在論の根底には、〈存在=被制作的存在=現前性〉   つまり〈ある〉ということは〈作られて、使用可能な状態でいつも眼の前にある〉ことだ   と見る特定の存在概念が据えられていたということの確認で終わっている、あるいは終わるはずだった、と述べた*1


 従来、西洋では、プラトンアリストテレスにならって、存在を「被制作的存在」とみなしてきた。そのように存在を「作られてある」ものとみる見方をハイデガーは批判したのである。このように作られてあるものとして存在をみることを木田さんは「制作的存在論」と書いておられるが、ハイデガーがこの「制作的存在論」をどのように講義で解説したかについては木田さんの著書を読んでもらうことにして、ここではその存在論が私たちの夢や希望や投資に深く根をはっていることを確認しておきたい。


制作的存在論の科学的表現

 今風に簡単に言えば、この「制作的存在論」とはおおよそ次のようなものになる。例を二つ出してみる。


 とくに冬、同じように咳が出、胃が痛くなり、下痢になって、身体の節々に痛みを覚える人が複数出てくることがある。この症状はインフルエンザと呼ばれて、複数の人のもとにインフルエンザが「発症」したのだと「科学的」に説明される。あの人、この人、その人の状態が似ていた。そこでひとくくりにして、一つの同じ名前をつけた。この場合はインフルエンザと。


 が、このように似ている、複数の人の状態というのは、一つの同じ根源からやってきたのだと科学は更に考える。その一つの同じ根源というのは、今の場合、「インフルエンザなるもの」である。それは姿形の見えないものである。この姿形の見えない「インフルエンザなるもの」が原因によって、あの人、この人、その人の元に「発現」させられ、インフルエンザの姿形が具体化したのだと科学は考えるのである。


 この姿形の見えない「インフルエンザなるもの」がプラトンのいう、イデアもしくはエイドス(形相)にあたる。そして姿形の見えない「インフルエンザなるもの」というこのエイドスを複数の人のもとに発現させる原因とされているのが、インフルエンザ・ウィルスという微小物質なのである。


 繰り返そう。科学の言うところによると、複数の同じ症状は共に、姿形の見えない「インフルエンザなるもの」が、インフルエンザ・ウィルスという原因によって、各人のもとに「発現」させられたものである。そしてまさにハイデガーの批判によると、姿形の見えない「インフルエンザなるもの」を用いて説明するのは間違いなのである。またこの症状を発現させるインフルエンザ・ウィルスなる原因を想定することも間違いなのである。


 医学の治療のひとつは原因を取り除くことである。原因をとりのぞけば、発現させられていたものも、発現させる原因が消える以上、発現しなくなると考えるわけである。ハイデガーの言うように原因を想定することが間違いであれば、原因を取り除くという医学の治療も成立しなくなるのである。


 ハイデガーの「〈西洋〉と呼ばれる文化圏の二千五百年にも及ぶ文化形成の歴史をふりかえり、それを根本から批判しようと」の企ては、現代を生きる私たちの日常生活をひっくり返そうとするものなのである。


 最近はうつ病についての言及を耳にすることが多い。二つ目の例はうつ病にしよう。


 あの人、この人、その人の状態が似ていた。共に鬱々としていた。そこでこれらを同じものとしてひとくくりにし、一つの名前をつけた。うつ病と呼んだ。しかしここで、西洋の伝統的存在論にもとづいて科学は、姿形の見えない「うつ病なるもの」というイデア(あるいはエイドス)を更に想定してしまう。ここでも、それら複数の人たちの同じと言える症状をそのように、共に一つの同じ根源から来たものと科学は考えるわけである。そして、この姿形の見えない「うつ病なるもの」を発現させるもの(原因)が、脳の中にあるに違いないと、あるいは遺伝子の中にあるに違いないと決めつける。その原因をいま科学は遺伝子や脳の中に探しているのである。


 科学によれば、脳の中、或いは遺伝子の中にあると信じられている原因によって、姿形の見えない「うつ病なるもの」が、あの人、この人、その人のもとに「発症」させられるわけだが、ハイデガーによると、そんな、姿形の見えない「うつ病なるもの」などありはしないし、それを発現させる原因など脳の中にも遺伝子上にもないことになるのである。


 原因を特定することで科学は未来を予想している。原因さえ身体の中になければ、インフルエンザにもならないし、うつ病にもならないと考えているわけである。ところが、原因なるものがそもそも存在しないとすれば、そういった予想は見当外れだということになる。原因を特定して、インフルエンザやうつ病などを予防しようとする努力と投資は無駄であることになるのである。


 一つの同じ根源、つまり姿形の見えない一つの何か(エイドス)が、原因によって、複数のもののもとに「発現」されて、はじめて姿形が現れる、と科学は考える。このように、エイドスを目標として、(原因が)現実に存在するものを作っているとするのが、ハイデガーの言うプラトンアリストテレスの「制作的存在論」の科学的(現代的)版なのであると言えるだろう。


ひとつまえの記事はこちら。

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*1:木田元「第六回 自然について」『ハイデガー拾い読み』138頁

ハイデガー拾い読み (新潮文庫)

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