(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

わたしたちの勘は薄々、ひとを「異常」と判定するのが差別であることに、そう、優生思想であることに、気づいていたが、わたしたちはずっと、例のごとく、見て見ぬふりし続けてきたのではないか、という濃厚な疑い(1/4)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.62

目次
・みなさんの鋭い勘が覚えた違和感
・みなさんが勘づいていたもうひとつのこと
・みなさんが医学の根本姿勢に違和感を抱きつづけてきた確かな形跡


 いま、すさまじい勢いで、続々と、化けの皮が、ありとあらゆるところで剥がれてきていますよね。


 日本のこと、ですよ。


 でもみなさんは、逆に、どこか納得されているかもしれません。


 みなさんがこれまでずっと胸の底のどこかで、覚えてきていた違和感が、いま日本に訪れているこの帰結に、ぴったりきている、と。


 みなさんは独り言つ。

 ああ、そんなことは些事にすぎないと言って、軽視してきたもの。気持ちにひっかからないではないが、でも、そんなことには、意を配るほどの価値がないと、見て見ぬふりをしてきたもの。


 愚かにも、強がって、多勢に付き一笑に付す、そのことが、立派な社会人の証だと思い込んで。


 しかし、そうした些細なものこそが、実は大切だったのだ。


 当時から声をあげていた少数のひとたち。わたしたちが白い目を向けながら、些細なことに大騒ぎをするウルサイ奴らだと嘲笑って、弱者扱いしてきたあのひとたちこそが、ほんとうは正しかったのだ。


 胸の底で覚えていた違和感に、わたしたちはもっと真剣に耳を傾けていなければならなかった。だが、残念なことに、わたしたちの人間性がそれを許さなかった。いつの時代でも、人間社会をより良い方にもっていこうとする当たり前の動きを押しとどめてきた抵抗勢力とは  そうした人間たちの存在を、学生時代、歴史教科書のほうぼうに認め、驚いたものだったが  まさにこんなわたしみたいな者を言うのだ。


 では、次の違和感はどうでしょうか。この違和感についても、いまのように、いつか、過去をふり返りながら、もっと早く真剣に向き合っておくべきだったと、唇を噛んで、手遅れを悔やむことになる日が、やってくるのでしょうか。






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2023年12月5日に文章を一部修正しました。


*前回の短編(短編NO.61)はこちら。


*このシリーズ(全61短編)の記事一覧はこちら。