*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.62
◆みなさんの鋭い勘が覚えた違和感
その違和感とはこれのことです。
今日に至るまで、われわれは長いあいだ、健康とは正常であること、病気とは異常であることと定義づけ、多くのひとたちを異常と判定してきました。けれども、ひとを異常と判定するそのつど、われわれは、胸のうちで、ひそかに違和感を覚えていたのではないでしょうか。
誰かのことを異常と断定しようとするまさにその度、われわれはいつも、得体のしれない背徳感に襲われ、重いためらいを覚えてきたのではなかったでしょうか。
俺たちはうすうす、ひとを異常と判定するのが差別であることに、心の隅のどこかで、遙かまえから気づいていたのではなかったか。
俺たちの感性は、俺たちにずっと訴え続けてきていたのではなかったか。
まあ、ひとつ、思い返してみてください。
みなさんが誰かのことを、異常と判定しようとしていたときのことを。
くり返し確認していますように、ひとを異常と判定するというのは、或るふたつのものを比べることです。そのひとの実際のありよう。それと、みなさんが、ひとという存在に対してもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージ(みなさんが頭のなかにお持ちの、ひとという存在についての定義、とも言えるでしょうか)。このふたつを比較するということです。
すなわち、そのひとの実際のありようを、みなさんの頭のなかにある「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないと見、その合致していないことをもって、そのひとを、問題有りと考えるということです。
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正常、異常の意味を確認した短編はこちら。
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復唱します。ひとを異常と判定するとは、
- ①そのひとの実際のありようを、みなさんが頭のなかにもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないと見、
- ②その合致していないことをもって、そのひとを、問題有りと考えること
みなさんはいま思い返しています。みなさんは、ひとを異常と判定しようとしていたあのとき、それが、そういうことをするものであると深く自覚はしていなかった。実際、いまだかつて、正常、異常という言葉の意味を考察しようとしたひとは、驚くべきことに、この世にただのひとりも存在しません。少なくとも、俺が古今東西の古典をペラペラとめくってきた限りでは、そうした当たり前の究明に尽力しようとしたひとを、ひとりも見つけることはできませんでした。そう、みなさんは、まさにあのとき、異常という言葉の意味には無自覚なままに、誰かのことを異常と決めつけようとしていた。
が、そのときのことをもっと細部まで思い出してみてくれますか。そのとき、みなさんの勘は、まるでみなさんのかすかな放屁にも、すかさず反応する高性能空気清浄機のように、機敏な反応を示してはいなかったか。
いまさっきの①と②を再点検します。
誰かの実際のありようを、みなさんの頭のなかにある「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないと見(①)、その合致していないことをもって、そのひとを問題有りと考える(②)。
この、「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないことをもって、問題有りと考えるとは、どういうことですか。
それは、そのひとのことを、ひとではない、つまり、ひとでなし、と見なすということではありませんか。
言い換えれば、できそこない、と決めつけるということではありませんか!
ひとを「ひとでなし/できそこない」扱いするという……ああ、なんという残忍な見方だろう!
誰かを異常と決めつけようとしていたあのとき、みなさんは、異常という言葉の意味をしっかり把握していたのでは、確かになかった。しかし、みなさんの勘は、その残忍さになんとなくではあれ、気づき、みなさんに背徳感やためらいを覚えさせていたのではなかったか、ということです。
ところが、みなさんが勘づいていたのは、おそらく、そうした残忍さだけではなかった。
みなさんの研ぎ澄まされた勘は、もっと多くのことに気づいていた。
こういうことにも……
2023年12月9日に文章を一部修正しました。
*前回の短編(短編NO.61)はこちら。
*このシリーズ(全61短編)の記事一覧はこちら。