*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.57
◆現実がイメージに合致していないときにみなさんが本当にすべきこと
みなさん、いきなりですが、いまZさんが泣いているものとひとつ想像してみてくれますか。お風呂上がりに食べようと冷蔵庫のなかに入れておいたプリンが無くなっていると訴えて、って。
Zさんがそんなふうに泣いていることが、ひとというものに対してみなさんがもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していれば、みなさんは、そのイメージに合致していることをもって、Zさんを問題無しと考える、すなわち正常と判定しますよね?
反対に、Zさんがそんなふうに泣いていることが、ひとというものに対してみなさんがもっている、頭のなかの「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していなければ、みなさんはそのイメージに合致していないことをもって、Zさんを問題有りと考える、すなわち異常と判定する、ということですね?
でも、Zさんのその実際のありようが、みなさんの頭のなかにある「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していない(後者の例)というのは、そもそも、いったいどういうことでしょうね?
どうですか、みなさん? それは、そのときみなさんが、ひとというものに対してもっている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージが未熟であるということを意味しているのではありませんか。
ほんとうなら、そのイメージは、ひとの実際のありようすべてと合致するものでなければならないのではありませんか。
要するに、こうしたときに本当にすべきことは何かというと、それは、こちらの頭のなかにある「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージを、そのひとの実際のありようとも合致するものとなるよう、修正する(豊かにする)ことではないか、ということです。そのイメージを修正し(豊かにし)、そのひとの実際のありようをも正常と判定できるようになることではないか、って。
いや、まさにそうですよね?
そのように現実のありように照らしてイメージを修正し、育てていく(豊かにしていく)ことこそが、学び、ではありませんか?
2023年11月20日に文章を一部修正しました(内容はまったく変わっていません)。
*前回の短編(短編NO.56)はこちら。
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