(新)Nothing happens to me.

科学はボタンをかけ違えたまま来たのではないでしょうか。

「科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか」

科学が身体を機械と誤解するに至る経緯を確認します。当初のタイトルは「科学の身体研究からすっぽりぬけ落ちている大事なものpart2」。

身体を機械と考えるのは不適切である

科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第12回 「絵の存在否定」という不適切な操作を為した科学が、「身体の感覚部分」を、俺の心のなかにある、見ることも触れることもできない「ほんとうの身体の物的部分」についての情報であることにし(身体知覚論)、そ…

科学は存在を別ものにすり替える

科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第11回 いまこういうことを確認しました。 眼球から脳に至る神経経路に起こる電気的興奮の連鎖は、俺の眼前数十メートルの場所に実在する「ほんとうの松の木」についての情報を眼球から脳に伝達しているのではありませ…

神経経路は情報伝達などしない。では何を?

科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第10回 俺が松の木の姿を目の当たりにしているとき、俺の前方数十メートルの場所に実在している、見ることも触れることもできない「ほんとうの松の木」から、「ほんとうの松の木」についての情報が、神経、脳をへて、俺…

身体情報伝達論

科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第9回 科学が事のはじめに「絵の存在否定」という不適切な操作を為し、俺が目の当たりにしている松の木の姿を、俺の前方数十メートルのところにあるものではなく、俺の心のなかにある、見ることも触れることもできない…

視覚情報伝達論

科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第8回 科学が「絵の存在否定」という不適切な操作の結果、俺が目の当たりにしている松の木の姿を、俺の心のなかにある、見ることも触れることもできない「ほんとうの松の木」についての情報とし(外界知覚論)、 かた…

科学は身体感覚を、心のなかにある、身体についての情報とする

科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第7回 科学が事のはじめに「絵の存在否定」という不適切な操作を為して、俺が目の当たりにしている松の木の姿を、俺の前方数十メートルの場所にあるものではなく、俺の心のなかにある映像であることし、俺の前方数十メ…

俺が体験する一切を科学は俺の心のなかにある外界情報とする

科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第6回 さて、科学が事のはじめに「絵の存在否定」という不適切な操作を為し、その結果、いまこの瞬間に俺が目の当たりにしている松の木の姿を、俺の前方数十メートルの場所にあるものではなく、俺の心のなかにある、見…

見えている姿を科学は心のなかにある映像とする(後編)

科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第5回 で、科学はつぎのような視覚論を語ります。 俺の前方数十メートルの場所に実在する、見ることも触れることもできない「ほんとうの松の木」に当たった光が、その「ほんとうの松の木」についての情報を俺の眼球ま…

見えている姿を科学は心のなかにある情報とする(前編)

科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第4回 いまこの瞬間、俺が松の木を目の当たりにしていることにしてください。そうしていただきますと先にも申しましたが、その瞬間に俺が目の当たりにしている松の木の姿と、その瞬間の俺の「身体の感覚部分」とは、「…

事の発端は「絵の存在否定」という不適切な操作にある(後半)

科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第3回 科学が「身体の物的部分」を機械と考えるに至る事の発端は、離れた場所にあるもの同士のあいだにも認められる「ひとつの絵に共に参加している」という直接の関係を、この世界から一掃することにあると最初に申し…

事の発端は「絵の存在否定」という不適切な操作にある(前半)

科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第2回 科学が「身体の物的部分」を機械と考えるに至る事の発端は、離れた場所にあるもの同士のあいだにも認められる「ひとつの絵に共に参加している」という直接の関係*1を、この世界から一掃することにあると先走って…

科学が身体を機械とするに至る経緯を発端から確認する

科学にはなぜ身体が機械とおもえるのか第1回*1 ここまで*2、主につぎの2点を確認してきました。 1.「身体の物的部分」で、物質的出来事が、「身体の感覚部分」の関与のもと起こること(「身体の物的部分」は機械ではないこと) 2.そのことをみなさん実…