*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.15
◆医学もCさんのように「現実修正解釈」をやってきた
だって、よく考えてみてくださいよ。Cさんはただ「現実修正解釈」をしているだけということでしたよね。どうですか。みなさんも、世間のひとたちも、ふだん、しきりに「現実修正解釈」をしませんか。
俺はしますよ。
学問はどうですか。たとえば、医学もそうした解釈をよくしませんか。ほら、いまさっき確認しましたよね。(精神)医学が、ほんとうは「理解可能」であるCさんたちのことを、不当にも「理解不可能」であるということにして差別するいきさつを? 箇条書きにしてふり返るとこういうことでしたね?
- ①(精神)医学には、Cさんたちのことを理解するだけの力がない(現実)
- ②にもかかわらず、(精神)医学には、(精神)医学の人間理解力は完璧であるはずだといった自信がある(現実に背反している自信)。
- ③その自信に合うよう、(精神)医学は現実をこう解釈する。「Cさんたちのことが(精神)医学に理解できないのは、Cさんたちが『理解不可能』だからだ」(現実修正解釈)
見ました? (精神)医学だって、こうして「現実修正解釈」を当たりまえのように、これまでずっとしてきたではありませんか。自分をしっかり反省できるひとなら誰しも、「現実修正解釈」をするCさんを見て、共感するはずですよ。「ああ、自分もそういう論理操作をしばしばするなあ。Cさんとおなじだな」って。
前々回から今回にかけ、計3回にわたり、「体感幻覚」「テレビ・ラジオ幻聴」「高校生幻聴」「車幻聴」を訴えるCさんに登場してもらいました。で、(精神)医学に統合失調症と診断され、「理解不可能」と決めつけられてきたそのCさんがほんとうは「理解可能」であるということを、7つの場面を挙げ、実地に確認してきました。
次回は約1ヶ月後、6月8日(月)21:00頃にお目にかかります。
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前回の短編(短編NO.15)はこちら。
前々回の短編(短編No.14)はこちら。
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