*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.30
いまこう推測しました。
音大生さんは、「まわり」のひとたちにどう思われているか、気になって仕方がなかった(現実)。しかしその音大生さんには、自分が「まわり」のひとたちにどう思われているかを気にしているはずはないという「自信」があった。このように「現実」と「自信」とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。
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A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
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B.その背反を解消するために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう修正する。
で、音大生さんはその場面で後者Bの「現実のほうを修正する」手をとった。すなわち、自分が「まわり」のひとたちにどう思われているかを気にしているはずはないとするその自信に合うよう、現実をこう解した。
わたしのことを「まわり」のひとたちがしきりにとやかく言っているのが聞こえてきて、うるさい。
箇条書きにしてみとめてみます。
- ①「まわり」のひとたちにどう思われているか、気になって仕方がない(現実)。
- ②自分が「まわり」のひとたちにどう思われているかを気にしているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
- ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「わたしのことを『まわり』のひとたちがしきりにとやかく言っているのが聞こえてきて、うるさい」(現実修正解釈)
以上、音大生さんは、「まわり」のひとたちにどう思われているか、しきりと気にする自分の「心の動き」に囚われるあまり、精神科医への応答が上の空になって、返答が途切れ途切れになっていたのかもしれないということですよ。
どうですか、みなさん。音大生さんのありようは「理解不可能」なんかではなさそうだと、思いませんでしたか。
いやもちろん、いま音大生さんのことを完璧に理解できたと言うつもりは俺には全然ありませんよ。むしろ、誤ったふうに決めつけすぎたのではないかと気が揉めているくらいですよ。
でも、そうは言ってもさすがに、音大生さんが「理解可能」であるということ自体は明らかになりましたよね? みなさんのように、申し分のない人間理解力をもったひとたちになら、音大生さんのことが完璧に理解できるはずだということは、いま極めてハッキリしましたね?
(精神)医学には音大生さんのことが理解できません。だけどそれは単に、(精神)医学の人間理解力が未熟であるということを意味するにすぎないとわかりましたね?
2021年11月9日に文章を一部修正しました。
*前回の短編(短編NO.29)はこちら。
*このシリーズ(全48短編を予定)の記事一覧はこちら。