*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.30
◆「理解可能」なひとを「理解不可能」であることにする
ところが、(精神)医学には、おのれの人間理解力が未熟であるという自覚はこれっぽっちもありません。むしろ反対に、(精神)医学の人間理解力は完全無欠であるはずだという根拠のない自信すら、揺るぎなくあります。で、その自信に合うよう、(精神)医学は現実をこう解してきました。
音大生さんは、完全無欠な人間理解力をもった(精神)医学にすら理解できないということから、「理解不可能」な人間だと考えられる、って。
いま、こう言いました。
(精神)医学は、人間理解力が未熟で、音大生さんのことが理解できない(現実)。しかしその(精神)医学には、(精神)医学の人間理解力は完全無欠であるはずだという「自信」がある。
このように「現実」と「自信」とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように、やはり俺には思われます。
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A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
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B.その背反を解消するために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう修正する。
では、そこで(精神)医学はそのどちらをとるのか。とるのは、先ほどの音大生さんとおなじく、後者Bの「現実のほうを修正する」手である。(精神)医学の人間理解力は完全無欠であるはずだとするその自信に合うよう、(精神)医学は、現実をこう解する。
音大生さんは、完全無欠な人間理解力をもった(精神)医学にすら理解できないということから、「理解不可能」な人間だと考えられる。
こうして(精神)医学は、おのれの人間理解力が未熟であることを認めるのが嫌さに、ほんとうは「理解可能」である音大生さんのことを、「理解不可能」と決めつけ、差別してきたというわけですね。
いまの推測を箇条書きにしてまとめてみると、こうなります。
- ①人間理解力が未熟な(精神)医学には、「理解可能」である音大生さんのことが理解できない(現実)。
- ②(精神)医学には、(精神)医学の人間理解力は完全無欠であるはずだという自信がある(現実と背反している自信)。
- ③その自信に合うよう、(精神)医学は、現実をこう解釈する。「音大生さんは、完全無欠な人間理解力をもった(精神)医学にすら理解できないということから、『理解不可能』な人間だと考えられる」(現実修正解釈)
2021年11月9,10日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/8)はこちら。
*前回の短編(短編NO.29)はこちら。
*このシリーズ(全48短編を予定)の記事一覧はこちら。