*短編集「統合失調症と精神医学の差別」の短編NO.63
◆思い出された実例「授業中に先生がわたしのことを話している」
幻聴がしょっちゅう聞こえるようになって一七年が経った。今年(二〇〇四年)の夏で一八年に入る。高校生のとき、授業中に先生がわたしのことを話しているような気がした。授業が終わった後に聞いてみると、「それは空耳だよ」という返事だった。(略)大学一年のときには、自分が人に良く言われているような幻聴が始まっていた。合唱部にいたのだが、部活から家に帰るときに「おしゃれっぽい、かわいい、きれい……」などと聞こえたような気がして、解放感でいっぱいでフワフワとしていた。(略)
大学二年生のころになると、幻聴がわたしのことを非難しはじめた。春休みに女の子三人で横浜に旅行したことがある。中華街で歩いていたときのことである。一人が肉まんを食べていて、「もういらない」と言ってそれを道端に置こうとした。そのとき「そんなことすると片付ける人に悪いから、地面に置かずにごみ箱に捨てよう」と言いたかったのだが、そのときなぜか言えなかった。一緒に旅行するくらいの仲ではあったが遠慮して言えなかったのだ。そしてわたしの友人が肉まんを下に置いた瞬間に「デブ、ブス……」という声が聞こえはじめた。わたしは合唱部で副指揮者をしていたので、「デブ、ブス、副指揮者はダメだ、頼りがいがない」とも聞こえた(浦河べてるの家『べてるの家の「当事者研究」』医学書院、2005年、pp.64-66、ただしゴシック部分のゴシック化は引用者による)。
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その事例を詳しくとりあげた短編はこちら
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いま挙げた実例の方を以後、Aさんとお呼びすることにします。ここでは、最初に触れられていた授業中の出来事だけに注目してください。
「アナウンサーがわたしの噂話をしている」と考えるようになった女性の場合、テレビでアナウンサーが話しているのを聞いているとき、そのアナウンサーがほんとうは口にしていない「当該女性についての噂話」が、当該女性の耳には入ってきたということでした。いっぽう、いまのAさんの場合は、先生が授業中話しているのを聞いているとき、その先生がほんとうは口にしていない「Aさんに関すること」が、Aさんの耳に入ってきたということでした。
どちらの場合も、話者の語っていないことが、話者から聞こえてきたわけでした。
では、以前Aさんのこの体験をどう解したのだったか。
俺たちの推理はこうでした。
ひょっとするとAさんは、授業中、その先生に、たとえばですが、「最近Aは授業態度が良くないなあ」とか「Aは最近勉強をさぼってる」などと思われているのではないかと気になったのではないか。
だけど、Aさんからしてみると、その場面で、自分がそんなことを気にしたりするはずはなかった。
言い換えると、そのときAさんには「自信」があった。そんなことを気にしたりなんかしていない「自信」が。
いまこう言いました。ふり返ります。
先生の授業を聞いている最中、先生に悪く思われているのではないかと気になった。それが「現実」だった。ところが、Aさんにはそのとき、そんなことを気にしたりなんかしていない「自信」があった。そうして「現実」と「自信」が背反するに至った。
そういった背反が起こったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのいずれかであるように思われます。
- ①その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう、修正する(現実にもとづく自信修正)。
- ②その背反を解消するために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう、修正する(自信にもとづく現実修正)。
で、Aさんはその局面で、後者②の手「自信にもとづく現実修正」をとった。先生に悪く思われているのではないかと気にしたりなんかしていないという「自信」に合うよう、「現実」を修正し、自分が気にしているのではなく、先生が授業中に「最近Aは勉強をさぼってる」とかと言ったのだと解することになった。
以上が、Aさんについて俺たちがまえに為した考察でした。みなさんがいま理解しようと努めている、くだんの女性の身に起こったのも、これとよく似たことだったのではないかというのが、みなさんの見立てです。
みなさんはこう類推します。
*前回の記事(短編NO.62)はこちら。
*このこのシリーズ(全64短編)の記事一覧はこちら。