*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.21
いま、こう推測しました。
野坂がとんねるず石橋を殴打した(現実)。ところが、小林さんには、野坂がとんねるずに不利益を与えようとしているはずはないという「自信」があった。そのように「現実」と「自信」とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。
- A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
- B.その背反を解消するために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう修正する。
では、もしその場面で小林さんが前者Aの「自信のほうを訂正する」手をとっていたら、事はどうなっていたか、まず想像してみましょうか。もしとっていたら、小林さんはつぎのように「自信」を改めることになっていたかもしれないと思いません?
そうか、ボクは野坂のことを誤解してた。野坂は実はとんねるず石橋に不利益を与えることを辞さないんだ、って。
でも小林さんがそこで実際にとったのは後者Bの「現実のほうを修正する」手だった。野坂がとんねるずに不利益を与えようとしているはずはないとするその自信に合うよう、小林さんは現実をこう解した。
野坂は、みずから醜態をさらすという犠牲を払って、逆に、とんねるずを応援しようとしているのではないか。
いまの推測を箇条書きにしてまとめてみます。
- ①野坂がとんねるず石橋を殴る(現実)。
- ②野坂がとんねるずに不利益を与えようとしているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
- ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「野坂は、逆に、とんねるずを応援しようとしているのではないか」(現実修正解釈)
さあ、いま、小林さんは「現実修正解釈」をしていたのではないかと俺、言いました。そんなふうに、「自信」に合うよう、「現実」を修正することを、みなさんはふだん、ひと言で簡単にこう言いません?
現実を自分に都合良く解釈する、って。
小林さんはまさに「現実を自分に都合良く解釈」していたのではないかというわけですよ。だけど小林さんには「現実を自分に都合良く解釈している」という自覚はなかった(箇条書き②の自信が、現実に背反していることに気づかなかった)。で、そんな小林さんにはむしろ「真実が不意に見えてきた」のだと思われた。つまり、「メッセージを受けとった」ように感じられた、ということなのではないでしょうか。
2021年9月18,19,22日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/5)はこちら。
*前回の短編(短編NO.20)はこちら。
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