(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

統合失調症の「メッセージを受けとる」「世界は僕のためにある」「テレパシーで交信した」を理解するvol.1(統合失調症理解#14)(3/5)

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.21


 いま、こう推測しましたよ。


 野坂がとんねるず石橋を殴打した(現実)。ところが、小林さんには、野坂がとんねるずに不利益を与えようとしたはずはないという「自信」があった。そのように「現実自信とが背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。

  • A.「現実」に合うよう、「自信」のほうを修正する。
  • B.「自信」に合うよう、「現実」のほうを修正する。


 では、もしその場面で小林さんが前者Aの「現実に合うよう、自信のほうを修正する」手をとっていたら、どうなっていたか、まず想像してみましょうか。もしとっていたら、小林さんはつぎのように「自信」を改めることになっていたかもしれないと思いません?


 そうか、野坂は実はとんねるず石橋に不利益を与えることを辞さないひとだったのか。ボクは野坂のことを誤解してたな。ガッカリだな、って。


 でも小林さんがそこで実際にとったのは後者Bの「自信に合うよう、現実のほうを修正する」手だった。野坂がとんねるずに不利益を与えようとしたはずはないとするその自信に合うよう、小林さんは現実をこう解した。


 野坂は、みずから醜態をさらすという犠牲を払って、逆に、とんねるずを応援しようとしているのではないか。


 いまの推測を箇条書きにしてまとめてみますよ。

  • ①野坂がとんねるず石橋を殴る(現実)。
  • ②野坂がとんねるずに不利益を与えようとしたはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
  • ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「野坂は、みずから醜態をさらすという犠牲を払って、逆に、とんねるずを応援しようとしているのではないか」(現実修正解釈


 さあ、いま、小林さんは現実修正解釈をしたのではないかと俺、言いましたね。そんなふうに、「自信」に合うよう、「現実」を修正することを、みなさんはふだん、ひと言で簡単にこう言いません?


 現実を自分に都合良く解釈する、って。


 小林さんはまさに「現実を自分に都合良く解釈」したのではないかというわけですよ。だけど小林さんには「現実を自分に都合良く解釈している」という自覚はなかった(箇条書き②の自信が、現実に背反していることに気づかなかった)。で、そんな小林さんにはむしろ「真実が不意に見えてきた」のだと思われた。つまり、「メッセージを受けとった」ように感じられた、ということなのではないでしょうか。


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