*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.29
◆とんねるず木梨がすずめの声で交信しはじめる
では、先に進みましょう。小林さんはこのあと、すずめの鳴き声を聞いたと言っていました。その鳴き声を聞いているうち、「だんだんそれが日本語に聞こえ始めた」んだ、って。
それはこういうことだったのかもしれませんね。
友人ミックからフィル・コリンズまで、ありとあらゆるひとたちとテレパシーで交信できていると思い込んでいた小林さんは、そのすずめの鳴き声もまた、そうしたテレパシーの一種で、誰かからの交信かもしれないとふと思いついた。で、その鳴き声に「木梨か?」と訊いてみた(ひょっとすると、とんねるず木梨なら、すずめの鳴き声で交信しかねないと小林さんは考えたのかもしれませんね)。
すると偶然すずめが「チュン」と鳴いた。
だけど小林さんからすると、そんなときにすずめが偶然鳴いたりするはずはなかった。
いや、いっそ、小林さんのその見立ても、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そのとき小林さんには、すずめが鳴いたのが偶然であるはずはないという自信があったんだ、って。
そのとき偶然すずめが鳴いた(現実)。ところがそのとき小林さんには、すずめが鳴いたのが偶然であるはずはないという「自信」があった。このように「現実」と「自信」とが背反するに至ったとき、先ほども言いましたように、ひとにとり得る手は、つぎのふたつのうちのいずれかであるように、俺には思われます。
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A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
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B.その背反を解消するために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう修正する。
で、小林さんはこの場面でも後者Bの「現実のほうを修正する」手をとった。いますずめが鳴いたのが偶然であるはずはないとするその自信に合うよう、小林さんは現実をこう解した。
すずめがいま鳴いたのが偶然であるはずはない。さては、その鳴き声は木梨からの返事だな。木梨が「すずめの声で僕と交信を取り始めた」んだな、って。
いまの推測も箇条書きにしてみますね。
- ①「木梨?」と訊いたとき、すずめが偶然「チュン」と鳴いた(現実)。
- ②すずめが鳴いたのが偶然であるはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
- ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「さてはその鳴き声は、木梨からの返事だな。木梨がすずめの声でボクと交信しはじめたんだな」(現実を自分に都合良く解釈する)
2021年11月8,9日に文章を一部修正しました。
ちょうどいま見た事例も、先ほど同様、もうひとつ別の解した方で見ることができるのではないでしょうか。「勝手にひとつに決めつける」ものと見る見方です。
*今回の最初の記事(1/6)はこちら。
*前回の短編(短編NO.28)はこちら。
*このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。