*短編集「統合失調症と精神医学と差別」から短編NO.25
◆ずっと抱いていた疑問が解けたとき
先の引用の直後をさらに見ていきますよ。先のほうで予告しておきましたように*1、小林さんが、立てつづけに可愛い女性に出会ったことをはじめとした、いろんなことに、ここまでずっと、「不自然さ」を感じつづけていたことがついに明らかになります。
どうも何かがおかしい、と僕はそろそろ気づき始めた。目に見えるもの、耳に聴こえるもの、周りのすべてのものが、どこかよそよそしく、不自然なのだ。何者かが、「この世界は僕のためにある」というシグナルを絶えず送り続けている感じなのだ。
「世界は僕のためにある」とは、二〜三日前から考えていたことだが、それがこんなにも違和感を与えるものだとは思っていなかった。僕の直面した世界は、いつも見知っている世界とはちょっと違うのだ。特にこの早稲田大学は。
会う女の子すべてが僕好みの可愛い女の子なのも、イスラエル人に会うのも、外でばったり寿里先生に会うのも、ゴミ箱の中身が僕と関係のある品々ばかりなのも、すべて偶然なのだろうか。
何者の仕業かはわからなかったが、僕をどこかしらへ導こうと壮大な芝居を演じているのではないか、そんな気がし始めた(小林和彦『ボクには世界がこう見えていた』新潮文庫、2011年、pp.113-114、ただしゴシック化は引用者による)。
出くわす若い女性がみんな可愛いのも、イスラエル人に会うのも(この考察ではとり挙げていません)、外でばったりお目当ての寿里先生に出会うのも、クズかごの中身が小林さんの愛用品ばかりで、しかも真新しいのも、すべて十分あり得ることですし、現にそれはあったこと(現実)ですよね。でも、小林さんからすると、そうしたことどもはみな、起こるはずがなかった。
いや、いっそ、小林さんのその見立ても、少々語弊があるかもしれませんけど、こう言い換えてみることにしましょうか。そのとき小林さんには、ほんとうならそうしたことどもが起こっているはずはないという自信があったんだ、って。
そして、そんな自信があった小林さんには、そうしたことどもが現に起こっているのが「不自然」と感じられてならなかった。なぜ、起こっているはずのないことが現にこうして起こっているのかと不思議に思われてならなかった。
このように「現実」と「自信」とが背反し、首をひねることになっているとき、ひとにとることのできる手はやはり、つぎのふたつのうちのいずれかであるように俺には思われます。
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A.その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう訂正する。
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B.その背反を解消するために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう修正する。
で、密かにずっと首をひねりつづけていた小林さんはここでついに、後者Bの「現実のほうを修正する」手をとった。すなわち、ほんとうならそうしたことどもが起こっているはずはないとするその自信に合うよう、現実をこう解した。
さては、誰かがわざとこうしたことを引き起こしているな。そうでもなければ、こうしたことどもが現に起こっているはずないもんな。何者の仕業かはわからないが、誰かが「僕をどこかしらへ導こうと壮大な芝居を演じている」な、って。
結果、小林さんは、その得体の知れない「何者か」の悪意に怯えはじめることになったのではないでしょうか。
いまの推測を箇条書きにしてまとめるとこうなります。
- ①出くわす若い女性がみんな可愛かった。イスラエル人に会った。外でばったりお目当ての寿里先生に出会った。クズかごの中身が小林さんの愛用品ばかりで、しかも真新しかった(現実)。
- ②ほんとうならそうしたことどもが起こっているはずはないという自信がある(現実と背反している自信)。
- ③その自信に合うよう、現実をこう解釈する。「さては、誰かがわざとこうしたことを引き起こしているな。そうでもなければ、こうしたことどもが起こっているはずはない。何者の仕業かはわからないが、誰かがボクをどこかしらへ導こうと壮大な芝居を演じている」(現実を自分に都合良く解釈する)
2021年9月28,30日に文章を一部修正しました。
*今回の最初の記事(1/6)はこちら。
*前回の短編(短編NO.24)はこちら。
*このシリーズ(全43短編を予定)の記事一覧はこちら。
*1:予告したのは下の記事で、でした。