*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.63
当該女性は、テレビでアナウンサーが話しているのを聞き、劣等感を覚えたのかもしれない。たとえば、自分の至らなさを痛感させられたり、自分が失敗した場面を思い出させられたりしたのかもしれない。
けれども、当該女性からすると、そうした場面で自分が、そんなふうに劣等感を覚えたりするはずはなかった。
言い換えるとつまり、そのとき当該女性には「自信」があった。劣等感を覚えたりなんかしていない「自信」が。
当該女性は、アナウンサーの言っていることを聞いて、劣等感を覚えた。それが「現実」だった。ところが、当該女性には、そんな劣等感を覚えたりなんかしていない「自信」があった。
そのように「現実」と「自信」が背反するに至ったとき、ひとにとることのできる手は、やはり、つぎのふたつのいずれかであるように思われる。
- ①その背反を解消するために、「自信」のほうを、「現実」に合うよう、修正する(現実にもとづく自信修正)。
- ②その背反を解消するために、「現実」のほうを、「自信」に合うよう、修正する(自信にもとづく現実修正)。
で、その局面で、当該女性は、あのAさんとおなじく、後者②の「自分にもとづく現実修正」の手をとった。劣等感を覚えたりなんかしていないという「自信」に合うよう、「現実」を修正し、劣等感を覚えているのではなく、「テレビでアナウンサーがわたしの欠点やらなにやらを話している、噂話をしている」と解することになった
いま、(精神)医学に、理解不可能と決めつけられ、「妄想」扱いを受けてきた、当該女性の「テレビでアナウンサーがわたしの噂話をしている」という発想を理解しようとして、みなさんがどのように類推するかを見てきました。
その類推は当たっているでしょうか。
俺にはわかりません。
おそらくみなさんにも。
でも、当たらずとも遠からじ、という気がするのは俺だけでしょうか。当該女性のそうした発想が、どうやら(精神)医学の説明に反し、理解不可能なんかでは全く無さそうだという手応えを、みなさん、得ることができたのではないでしょうか。
*前回の記事(短編NO.62)はこちら。
*このこのシリーズ(全64短編)の記事一覧はこちら。