(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

「テレビでアナウンサーがわたしの噂話をしている」を、「妄想」にすぎないと考えないみなさんは、どのように理解しようとするか(10/10)【統合失調症理解#20】

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.63


 みなさんはすでに知っている。「異常」なひとなどこの世にただのひとりたりとも存在し得ないというのが事実であることを。したがって、誰かを「異常」と判定するのが差別以外の何ものでもないということを。


 ひとを正常と異常に分けるそうした人間観こそが、優生思想と呼ばれてきたものの正体であるということを。

 

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異常なひとなどこの世に存在し得ないこと(ひとを異常と判定することが差別である理由)について説明した記事はこちら。

優生思想とは、健康を正常であること、病気を異常と定義づける医学の根本姿勢のことであることを説明した記事はこちら。

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 理解不可能な人間などこの世に過去ひとりも存在しなかったし、これからも存在することが決してないということを。


 医学は、健康、病気を定義づけるのに、それぞれを、正常であること、異常であることとしてきました。やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことによって、「正常か、異常か」を争点にしてきました。正常、異常という言葉の意味を確認してみようともしかなった医学は、異常ということなどこの世に存在し得ないということに気づかなかった。誰かを異常と判定することが、ほんとうなら他のみんな同様「正常」と見なされてしかるべきそのひとのことを、「異常」と決めつける差別であることに思い至らなかった。


 そして、そうした無知が、ひとを理解したいという気持ちをこれっぽっちももっていない人間たちには、ちょうど都合が良かった。ひとを見下したい気質の人間たちには都合が良かった。


 みなさん、自分の胸に手を当ててしばし考えてみてください。


 ふだんのみなさんにとって、健康という言葉は、「苦しんでいない」ということを意味するものであるいっぽう、病気という言葉も、「苦しんでいる」ということと、その苦しみが「手に負えない」ということを意味するくらいのものでないでしょうか。ふだんみなさんが、やれ健康だ、やれ病気だとしきりに言うことによって争点にしてきたのは「正常、異常」ではなく、「苦しくないか、苦しいか」だったのではないでしょうか。


 理解不可能な考えや思いなど、ありはしません。






9/10に戻る←) (了)                 






*参考記事です。


*前回の記事(短編NO.62)はこちら。


*このこのシリーズ(全64短編)の記事一覧はこちら。