(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

コバエはなぜ自然淘汰されないのか

*コバエぶんぶん自然淘汰(上)


 或る学者は或る魚にこんな疑問をもったと言う(なんとも曖昧な書きかたで相済まない)。


 この魚はなぜこんなふうなんだろ。こんなふうだと他の魚たちと比べて、活動するのに余計なエナジーが必要になるじゃないか。余計に食べなくちゃなんなくなる。これは、生きていくうえでは不都合だ。したがってこの魚は、他の魚よりも自然淘汰にひっかかりやすいんじゃないか。にもかかわらず、なぜこの魚は自然淘汰されず、今現在も存在してるんだろ、と。


 学者のそういった根本的な目の付けドコロというか、発想の根源というかを語っている文章を、寝っコロがってポテチを食べながら先日俺は読んでいて、いわく言いがたい不思議な気持ちになったのである。


 みなさんも不思議な気持ちにおなりになんない?


 ではこれから自然淘汰の話をしよう。


 いきなりで申し訳ないが、俺のアパートメントについてお話させていただく。


 俺のアパートメントは、いまでこそ俺の頭のようにピッカピカだが、以前はながらく、みなさんをけっして招待できないほどの状態をつづけていた。


 昔はよく夏にコバエが湧いたものである。と言っても、ひと夏に二度くらいだったか。


 いや、カッコウをつけないで言うと、ひと夏に三度か、四度か、まあ五度くらいだったか。


 自然淘汰の話をするんじゃなかったのかと訝しがるお気持ちをぐっとこらえて聞いてほしい。或る年の夏の日のことである。アパートメントでポテチを食べながら俺がいつものようにぼうっとしていると、小さな音が聞こえたと思う間もなく、飛行機の轟音が俺の耳もとを通りすぎたのである。

つづく


このシリーズは上・中・下の計3回でお送りします。