(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

科学は、みんなと同じではないものを不当に差別する

*身体をキカイ扱いする者の正体は第7回


 機械にしか用いることのできない正常異常という区分けを、機械ではない気候に用いることはできません。にもかかわらず俺は、近年の夏の気候などを指してつい異常気象と言ってしまいます。そうして思わず、気候を正常と異常に区分けするための基準を、勝手にこしらえてしまいます。


 その基準はどのようなものなのでしょうか。


 気候に正常異常という区分けを用いるとは、実際の気候を、その設計製造者である世界によって定められたありようを呈しているものと、世界によって定められたありようを呈し損なっているものとに分け、前者を、世界によって定められたありようを呈していることをもって問題無しと判定して正常と呼び、後者を、世界によって定められたありようを呈し損なっていることをもって問題有りと判定して、異常気象と呼ぶということでした。


 そのように気候を、世界によって定められたありようを呈しているものと呈し損なっているものとに区分けするための基準は何なのでしょうか。


 どうやら俺は、近年の夏の気候をつい異常気象と呼んでしまうとき、設計製造者である世界によって夏の気候は、「暑くてもせいぜい日中に30℃を少し超える程度で、9月頃には終了するもの」たるよう定められていると勝手に決めつけているようです。


 では、いかにして俺は、世界によって夏の気候はそのように定められていると考えるようになったのでしょうか。


「暑くてもせいぜい日中に30℃を少し超える程度で、9月頃には終了するもの」と言える夏を何度か過ごしているうちに、それこそ夏の気候のうちの多数派のありようであると思い込み、多数派のありようであるそのことをもって世界によって夏の気候はそのように定められていると決めつけてしまったのではないでしょうか。


 いま、機械にしか用いることのできない正常異常という区分けを、機械ではない夏の気候に用いるとはどうすることか確認しました。それは、夏の気候のうちの多数派のありようこそ世界によって夏の気候に定められたありようであると勝手に決めつけ、ひとつの例外もなくすべてが世界によって定められたありようを呈していると科学には考えられるはずの夏の気候を、その多数派に属していると思われれば(みんなと同じであれば)、世界によって定められたありようを呈していると判定して問題無し(正常)とし、かたやその多数派に属していないと思われれば(みんなと同じでなければ)、世界によって定められたありようを呈し損なっていると判定して問題有り(異常)とするということでした。


 ここまで以下のことを確認してきました。

  1. 機械にしか用いることのできない正常異常という区分けを、機械ではないものに用いるのは不可能である。
  2. にもかかわらず、その区分けを用いると不当な差別をすることになる
  3. その不当な差別は、みんなと同じかどうか(多数派に属しているかどうか)といった勝手な基準でもってなされる。


 科学はみんなと同じかどうか(多数派に属しているかどうか)を基準にするこの要領で、脳、眼球、肺、胃、膵臓、肝臓、腎臓、血液、神経、遺伝子、免疫機構や、行動、感情、睡眠、言語活動、記憶などについて、正常と異常に区分けていきます。


 肝臓という臓器についてなら、こういうふうにです。


 科学なら、肝臓には、その設計製造者である世界によって定められたありようを呈しているものしかないと考えるべきところで、その多数派のありようこそ世界によって肝臓に定められたありようであると勝手に決めつけます。


 そして、多数派に属している肝臓たち(みんなと同じ肝臓たち)を、世界によって定められたありようを呈していると判定して問題無しとし、正常な肝臓と呼ぶ(正常に機能していると言う)いっぽうで、多数派には属していない肝臓(みんなと同じではない肝臓)を、世界によって定められたありようを呈し損なっていると判定して問題有りとし、異常と呼ぶ(機能不全もしくは機能障害を起こしている)というわけです。


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このあたりのことは、後日、書き直しました。


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