(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

みなさんは治療を受けるかどうかお決めになる際、損得計算をなさる

*身体をキカイ扱いする者の正体は第11回


 機械にしか用いることのできない正常異常という振り分けかたを、機械ではない身体に用いるというのは、「世界によって定められたありようを身体が呈していないことを問題にすることでした。世界によって身体はみんな同じになるよう定められているとする偏見にもとづいて、「みんなのと同じではない」身体を勝手に、「世界によって定めらたれありようを呈していないという問題の有るものに仕立て上げることでした。


 しかしいま、パーキンソン病と診断されることになるみなさんが診察室で手足が震えるとおっしゃるのは、「世界によって定められたありようを呈していない」という問題が手足に有ると訴えられるということではなく、苦しいこと(もしくは快くないこと)を問題になさることであると申しました。


 視野狭窄の場合はどうでしょうか。


 視野狭窄があると、一度に見える範囲が限られて不便だし、見るという楽しみも奪われるとお考えのかたがおられるかもしれません。また歩いているときに何かに当たったり、躓いたりする危険が増えるとおっしゃるかたもいらっしゃるでしょう。視野狭窄の認められるかたがいまおひとり、ご自分の視野がひと並みの広さになることをお望みであると仮定してみます。それは何を望みであるということなのでしょうか。


 いまのご指摘にありましたように、身に覚える不便や危険が減ったり、見るという楽しみを経験できるようになったりすることをお望みである、すなわち、大げさな言い方になってしまうかもしれませんが、苦しみが減り、あわよくば快い体験ができるようになることをお望みであるということではないでしょうか。


 このかたが問題にしておられるのも苦しさ(もしくは快くないこと)ではないでしょうか。


 最後に、息がしにくい場合についても考えてみます。


 息がしにくいとき、みなさんはどのような医療処置をお求めになるでしょう。息がしやすくなることを目的とする処置をお求めになるのではないでしょうか。


 では、息がしにくいとか息がしやすいというのはどういうことでしょう。


 息がしにくいというのは、科学が言うように、異常であるということしょうか。すなわち、「世界によって定められたありようを呈していない」という問題が身体に有るということでしょうか。いっぽう、息がしやすいというのは、正常である、すなわち「世界によって定められたありようを呈していない」という問題が身体に無いということでしょうか。息がしにくいときに息がしやすくなることを医療処置の目的にするというのは、身体に有る「世界によって定められたありようを呈していない」という問題を解決すること(異常状態から正常状態になること)を目的にするということでしょうか。


 いや、息がしにくいというのは単に、苦しい(もしくは快くない)ということではないでしょうか。また息がしやすいというのも、苦しくない(もしくは快い)ということであって、息がしにくい状態から息がしやすい状態になることを医療処置の目的にするというのは、苦しみが減り、あわよくば快くなることを目的にするということではないでしょうか。


 みなさんが息がしにくいと医師に訴えられるときに問題とされているのは苦しみではないでしょうか。そうであってこそみなさんは、治療の副作用を気にもされるのではないでしょうか。医師から勧められた医療処置でも、受けるとたしかに息はしやすくなるが、息がしにくいというのとはまた別の苦しみを新たにこうむることになる可能性もあるものには(受ける倦怠感が強烈で衰弱し、以後何かというと体調が悪くなって寝込むことが増えるようになる等々)、慎重な姿勢をお見せになるのではないでしょうか。


 こうお考えになるわけです。


 その医療処置を受ければ、息がしにくいという苦しさはたしかに無くなるけれども、その代わりに、別の苦しさをこうむることになる。言ってみれば、この医療処置を受けるのは、息がしにくいという当初の苦しさと、この処置を受けることで新たにこうむる苦しさとを交換するようなものである。だとすれば、この医療処置を受けるべきかどうか見極めるためには、息がしにくいという当初の苦しさと、この医療処置を受けて新たにこうむる苦しさのどちらが大きくなるか損得計算する必要がある。もし新たにこうむる苦しみのほうが大きくなるのなら、その処置を受けると何重もの損をすることになるだけではないだろうか。


 そのうちから三つだけあげるとこうだ。


 ひとつ目の損とは、当初の息がしにくいという苦しさより、新たにこうむる苦しみのほうが大きくなることそれ自体である。


 息がしにくいという当初の苦しさより、新たにこうむる苦しさのほうが大きくなればその分、心肺停止という出来事が身体に起こる可能性も高まると思われる。これがふたつ目の損である。


 仕事やスポーツでくたくたになったときの経験からして、苦しさが増せば増すほど、苦しさが減じるのはむつかしくなり、逆に苦しさは増していきやすくなると推測できる。息がしにくいという当初の苦しさより、医療処置を受けて新たにこうむる苦しさのほうが大きくなれば、そのぶん、苦しさが減じていくのがよりむつかしくなり、逆に苦しさがより増していきやすくなる(いろんな病気を併発する)、というのが三つ目の損である、と。


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悔い改めて、こうした内容を、後日、下のように書き直しました。


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