「ワトスソ、肝臓が故障しているとか、脳が壊れているといった言いかたをキミは最近よくするね。もはや身体の検査は、身体が故障していないか調べることだし、躁鬱病や早発性痴呆は脳の故障であると言わんばかりだ。さしずめ方向がわからなくなってボクが徘徊をくり返しでもすれば、脳の位置情報計測機能の故障とでも考えるんだろうな」
なに言ってるんだ、ホーズム、身体を検査するのは、事の複雑さは別としてだがね、機関車を検査するのと同じじゃないか。病気とは故障、治療とは修理、だよ。
「なんともすばらしくわかりやすいものの見方だ。感心するよ。ドイツ仕込みだね」
そうだろうとも。最新動向を日々勉強しているんだ。
「でも、ボクはこうも思うよ。キミは先ほど、**伯爵はおそらく肝臓を故障しているにちがいないと言った。伯爵の肝臓に、作り手の定めたとおりになっていないという問題が有ると言ったのと同じだ。ある事件のときは、K男爵の脳は壊れていると言った。男爵の脳には、『作り手の定めたとおりになっていない』という問題が有ると見たわけだ」
またややこしいことを言いはじめたね。
「黙って最後まで聞きたまえ、ワトスソ。肝臓や脳が、何の定めたとおりになっていないとそのときキミは思ったのか。肝臓や脳の作り手をキミは何と考えたのか。キミは科学者だ。科学はこの世の万物は自然によって作られ、一瞬たりとも逃れることのできない定めを与えられると考える。実際、科学はその定めを法則と呼び、ひとつひとつ解明しようとしてきた。そんな科学の使徒たるキミが、肝臓や脳の作り手と考えたのはそう、自然、だ。キミは**伯爵の肝臓やK男爵の脳に、『自然の定めたとおりになっていない』という問題が有ると見たのだ」
きみには悪いがね、故障とか壊れるといった表現がいったい何を意味するのか、いままで深く考えてみたことはないよ。
「じゃあ、いま共に考えよう。キミは**伯爵の肝臓やK男爵の脳に、『自然の定めたとおりになっていない』という問題が有ると見た。しかし**伯爵の肝臓にしろ、K男爵の脳にしろ、そもそもだね、『自然の定めたとおりになっていない』という問題が起こることは可能だったろうか」
いや、それは可能だったろう。現に、医師である私はそう判断したんだ。
「『自然の定めたとおりになっていない』というのはどういう状態だね? それは『自然法則どおりになっていない』ということ、すなわち奇蹟を呈しているということじゃないかね?」
いくらキリスト教徒だと言っても、私は科学者だ。奇蹟の存在なんて認めやしないよ!
「そうだ、科学は奇蹟の存在を認めることができない。肝臓にも脳にも、『自然の定めたとおりになっていない』という問題、すなわち奇蹟が起こり得るとは考えられないのだよ、ワトスソ。肝臓も脳もその他身体のどの部分も故障したり壊れたりすることは絶対にないのだ。もちろん、肝臓や脳がどうなったってひとは平気だ、困ったことにならないと言っているのではないがね」
いやはや驚いたよ。科学が磨き上げてきた単純明快で素晴らしいものの見方を否定するひとがいるとはね。そんなこと言っていると、学者みんなに笑われるぞ。
「ボクもキミたちエリートのことはよくわかってるよ。キミたちの胸のうちには偏見がある。自然によってひとはみな同じになるよう定められているとする偏見がね。キミたちはキミたち独自の勝手な基準で、世のありとあらゆる少数派を、みんなより優れているものと、みんなより劣っているもの、そのどちらかに振り分ける。そして、みんなより劣っているとしたほうを、自然によってひとはみな同じになるよう定められているとする偏見にもとづいて、『自然の定めたとおりになっていない』という問題の有るものと決めつけるのだ。昨日もキミのお友だちが滔々とそうした論理で同性愛を精神病であると論じ立て、矯正の必要性を訴えていたよ。ワトスソ、これは実に立派な差別だ!」
差別だなんて大げさな! 屁理屈はそれくらいでよせよ、もう聞き飽きた。
「では最後にひとつ予言しておこう。あと半世紀もしないうちにキミたちはこうした差別を浄化と呼んで、社会の隅々にまで推し進めるようになるだろうとね。キミたちは、困っているひと、苦しんでいるひと、他民族などをこの世から消し去ろうとするだろう。キミたちがほんとうに為すべきは、苦しんでいるひとに手をさし伸べ、癒すことだというのにね」
この記事を書いたあと、つぎの3記事で、機械にすら異常ということはあり得ない旨、確認しています(2018年7月21日付記)。