*障害という言葉のどこに差別があるか考える第1回
最近、障害という字が、障がいとか障碍と表記されているのをしばしば見かけます。障害という言葉が障害者をさして「害」と言っているとの批判を受けてのことだと聞きました。
ほんとうでしょうか。寡聞な俺は何も詳しいことは存じ上げません。
ただ、科学の言うこと、為すことが何事もすんなりとは理解できず、ああだこうだと考えあぐねてきた俺なんかにはこう思われます。
いや、俺の思うところを聞いていただくまえに、ひとつ大事なことを先にお伝えしておきましょう。
みなさんに先にお伝えしておきたいその大事なことというのは、ひとを中傷したり愚弄したりする意図はここにはまったくないということです。
そんなことは改めて口にするまでもないことですけれども、話題の内容が繊細なものであるうえ、俺の表現力も残念ながらきわめて拙劣ときています。誤解が生じて嫌な思いをされるかたが出ていらっしゃっては困ります。そこで、ひとを中傷したり愚弄したりするようなことは申し上げないと、こうして念のため、まえもってお伝えする次第です。
さて、障害という言葉について俺がどう思うか、お聞きいただこうとしているところでした。お気に障ったら申し訳ありません、俺はこう思います。
障害という言葉が、障害者をさして「害」と言っているとはちょっと俺には思われない。通信各社は電波障害が発生していると発表し、電波の通信が・何か障害物によって・妨げられている*1、ことを知ってもらおうとする。その場合、障害という言葉は、「Aが・障害物によって・妨げられている*2」ことを意味する。それとおなじで、障害者の障害という言葉もまた、ひとの身体にほんらい起こるべき出来事が・身体内の何か(病気の原因と呼ばれるもの)によって・起こるのを妨げられている*3、障害者の身体状態をさすのではないか。
つまり「Bさんには障害がある」と言えば、Bさんの身体では「ひとの身体にほんらい起こるべき出来事が・病気の原因によって・起こるのを妨げられている*4」と言っていることになるのではないか。
以上が、障害という言葉について不肖俺が考えますところです。
不躾なことを申し上げるようでたいへん心苦しい限りですが、障害という言葉を障がいとか障碍と書き換えることにさして意味は無いように思われます。
とは申し上げましたものの
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