*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第12回
えっと、ここまで何をお喋りしてきたんでしたっけ?
こういうことでしたっけね? 箇条書きで挙げてみますね?
1.大木であれ、俺の身体であれ、他人の脳であれ、音であれ、俺の過去体験記憶像であれ、身体に起こる出来事であれ、何であれ、それを捉えるというのは「状況を捉える」ということである(状況・最小単位説)。
この「状況を捉える」というのは、「状況把握」をするということだ(現在までの状況の推移を把握すると同時に、そこから、現在以後の状況の推移を類推するということだ)って、一緒に確認しましたよ、ね?
2.この状況・最小単位説は当然ひとについても当てはまる。
ひとを捉えるというのは「そのひとが渦中にいる状況がどんなかを捉える」こと、でしたね。
じゃあ、「そのひとが渦中にいる状況がどんなかを捉える」ことというのを、みなさんがいつも使う言葉で言い換えると、どうなるのだったか、覚えてます?
そうですそうです、「そのひとの身になる」、でしたね。ひとを捉えるとは「そのひとの身になる」こと、でしたね。医学が統合失調症と診断し、永遠に理解され得ない人間であると決めつけてきた男性患者さんを例に、そのことを確認しましたよね。
3.医学はひとの身になろうとしない。
ひとの身になろうとさえしていれば、医学になら、その男性患者さんのことが完璧に理解できるはずなのに、医学はあろうことか、その男性患者さんのことを、永遠に理解され得ない人間と世間に説明してきたとのことでした。そのことから、医学にはそもそも、ひとの身になろうとする気はないんだ、すなわち、「そのひとが渦中にいる状況がどんなかを捉え」ようとする気はないんだってことがわかりました、ね? じゃあ、医学はその代わりに何をするのか。
4.医学は、ひとの身体に起こる出来事を一点のせいにする(医学の出来事観)
ってことだったじゃないですか、ね? で、その出来事観についてはこういうことを確認しました、ね?
A.出来事を一点のせいにするというのはどういう論理か。
- (a)出来事が好ましい場合には、すべてをその一点のおかげとし、その一点を過大評価すること。
- (b)出来事が好ましくない場合には、すべてをその一点におっかぶせ、その一点をとり除きさえすればいいとすること(排外主義の論理)。
B.しかし、身体に起こる出来事を一点のせいにすることはできない。物理学も化学も、出来事を一点のせいにできるなどとは教えてこなかった。
物理学も化学も、出来事を一点のせいになんかしないってことを、力学を例に確認しました、ね? 物理学や化学も、物理学や化学なりに、状況を捉えようとしてきたんだってことでした、ね? そのために、物理学や化学は数々の法則を編み出してきたんじゃないのかなって俺、たしか言いましたよね?
C.身体に起こる出来事を一点のせいにするというのは、その一点を「状況に関係なく当の出来事を起こすもの」(当の出来事を起こす原因)であることにし、その一点があれば、当然、当の出来事が起こってくるってことにすることである。
- (a)そんな一点(原因)はこの世に存在しない(そんな一点を特定したと言っているひとは、都合の良いデータしか見ていない)。
- (b)それでもそうした一点(原因)を特定しようとすると、つぎのことが起こる。
①いくつかの都合の良いデータしか見ないで、誰かがそうした一点(原因)を特定したことにする。
②追試でその説の真偽を確かめようとした他のひとたちが、その説には都合の悪いデータに出くわし、その説に異議を申し立てることになる。
③そこで医学は、誰かが挙げたその一点を、探し求めている一点(原因)の一片であることにしておいて、再度、特定作業をやり直す。
④以後、上記①から③のくり返しが何度も起こり、探し求めている一点(原因)の一片とされるものがやたらめったら増えていく(それら一片同士を都合良く結びつけて、当の出来事が起こるメカニズムであることにする)。
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