(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

医学の根本原理が、人種差別に用いられる論理であることを確認する《1/3》

*医学は喩えると、空気の読めないガサツなおじさん第6回

目次
・医学がもとづく根本原理は
・出来事を一点のせいにするとは
・医学の根本原理は排外主義の論理

◆医学がもとづく根本原理は

 状況最小単位説と俺がよぶ、この世の根本原理について最初に確認しましたよね。大木であれ、俺の身体であれ、太陽であれ、音であれ、俺の過去体験記憶像であれ、何であれそれを捉えるというのは、「状況を捉えるということなんだってことでしたね(第1回から第3回)。で、いまさっき、その根本原理は当然ひとにも当てはまるってことを、統合失調症と診断された男性患者さんを例に確認したじゃないですか(第5回)。ひとを捉えるっていうのも、「状況を捉えるということなんだ、もっと正確な言い方をすれば、そのひとが渦中にいる状況(当人を状況の一部と見る。以下同様)を捉えるということなんだ、つまり、そのひとの身になることなんだ、って。


 でも医学はひとの身になろうとしないってことでしたね。じゃあその代わりに何をするのか


 ひとの身になろうとしない医学には当然、先の男性患者さんのようなひとたちのことは理解できないわけですけど、そのひとたちを例にするなら統合失調症で、理解され得ない人間なんだということにしておいてから、こうすると言えるんじゃないですかね。

  1. 統合失調症であることを、脳のなかの一点のせいにする
  2. 脳のなかにそんな一点があるのを、遺伝子変異一点もしくはウィルス一点のせいにする


 医学は、ひとの身になろうとしないで、すなわち、ひとが渦中にいる状況がどんなかを捉えようとしないで、そのひとの身体に起こる出来事をこのように、身体のなかの一点のせいにするんじゃないですかね? 身体にどんな出来事が起こるかを身体のなかの或る一点が決めるということにするんじゃないですかね?


 こんなふうに出来事を一点のせいにするというのが医学にとっての根本原理だと言えるんじゃないのかなあ。


 たとえば歩くとか話すとか食べるとかといった出来事なら、医学は脳一点のせいにするじゃないですか。脳が、歩くとか話すとか食べるとかといった企画を立案し、その企画を実現するために運動指令を、電気信号のかたちで、身体各所の筋肉に、神経を通じて送り、身体を動かすっていうふうに説明するじゃないですか、ね? ほら、「脳が運動を司る」といった言いかた、聞きますよね? で、医学はそうして脳という一点のせいにしたあと、今度は、脳がそんなふうに働くように出来ているのを、遺伝子一点のせいにするじゃないですか、ね?

脳科学の教科書 こころ編 (岩波ジュニア新書)

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脳科学の教科書 神経編 (岩波ジュニア新書)

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 病気という出来事についても見方はおなじじゃないかな。遺伝子変異とか、脳内物質の欠乏もしくは過剰、ウィルス、細菌、ガン、アレルゲンといった一点のせいにしますよね?


 医学はこんなふうに、身体に起こる出来事を一点のせいにします、ね? だけど、身体に起こる出来事を一点のせいになんかしてイイんですかね


 身体に起こる出来事を一点のせいにするというのは、さっきも言いましたけど、身体にどんな出来事が起こるかは、身体のなかの或る一点が決めるとすることじゃないですか。身体にどんな出来事が起こるかを一点が決めるだなんてこと、みなさん、言えると思います?


 状況・最小単位説をこれまで見てきてわかったのはむしろ、大木であれ、俺の身体であれ、音であれ、他人の脳であれ、何であれ、それを捉えるというのは「状況を捉える」ということなんだってことでしたよね? 「状況を捉え」てこそはじめて(「状況把握」をしてこそはじめて)、存在ひとつひとつの動向が明らかになってくるということだったじゃないですか。大木しか見ないというのでは、その大木のことすら捉えられないし、俺の身体にしか着目しないというのであれば、俺の身体のことすら捉え損なうってことでしたよね? 一点にしか着目しなければその一点のことすら捉え損なうって確認したんじゃなかったのかなあ。


 身体にどんな出来事が起こるかは身体のなかの或る一点が決めるだなんてこと絶対に言えないんじゃないですか、ね?


今回は記事を《1/3》《2/3》《3/3》の3つに分けてお送りします。


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