(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

ひとに対して正常異常の区別はつけられるか①作り手

*障害という言葉のどこに差別があるか考える第5回

 機械に正常異常を言うとは、機械が《作り手の定めたとおりになっていない》のを問題とし、機械が〈作り手の定めたとおりになっている〉のを正常、機械が《作り手の定めたとおりになっていない》のを異常と呼ぶことでした。


 ひとに正常異常を言うときも事情は同じと考えられます。


 ひとに正常異常を言うとは、ひとが《作り手の定めたとおりになっていない》のを問題とし、ひとが〈作り手の定めたとおりになっている〉のを正常、ひとが《作り手の定めたとおりになっていない》のを異常と呼ぶことではないでしょうか。


 しかし、ひとという作り手がいる機械とはちがって、ひとには作り手は存在しません。である以上、ひとには〈作り手の定めたとおりになっている〉ということもなければ、《作り手の定めたとおりになっていない》ということもまたないとしか考えられません。ひとに対して正常異常の区別をつけるのは不可能です。にもかかわらずひとを正常と異常に振り分ければ、両者のひとたちのあいだに不当な差をつけていることになります。このように不当な差をつけてひとを分けるのはそれこそ差別です


 いま、正常異常の区別は、作り手の存在する機械に対してはつけられても、作り手の存在しないひとに対してはつけられず、それでもひとを正常と異常に振り分ければ、不当な差別をしていることになると確認しました。ですが、ひょっとするとつぎのような反論が寄せられるかもしれません。


「厳密に言えば、お前さんの言うとおり、ひとには作り手は存在しないけれどもね、よく考えてごらん。われわれ人類は頭をちょいと使いさえすれば、ひとに架空の作り手を想定することもできるのだよ。宗教はこの世の森羅万象を神に作られたものと考えてきた、ね? 科学はそれに張り合うかのように、この世の万物をだね、自然によって作られ、一瞬たりとも逃れることのできない自然法則という名の運命を与えられたものと考える。そう考えて科学は、輝かしい実績を出してもきた。そんなふうにひとの作り手を、自然、と考えるくらいの知恵がお前さんにもほしいよ」


 そうした架空のお叱りに応えるべく、ひとの作り手を自然と想定すれば、一転、ひとに対しても正常異常の区別がつけられるようになるのかつぎに点検してみようと考えています。

つづく


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