(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

異常な人間はこの世にただのひとりも存在しないということ(2/3)

*短編集『統合失調症と精神医学の差別』の短編NO.2


 この場合、「機械がちゃんと動かない」のは、機械工作に長けているひとからすると、当たりまえと映るのではないでしょうか。そのひとには、「ははぁん、作り手はこんなふうにこの機械を設計して、ほう、こんなふうに部品を組み合わせたんだな。なるほどなるほど、そりゃあ、機械が動かないのは当然だな」と思われるのではないでしょうか。


 となると、この場合、「機械がちゃんと動かない」のは、「作り手が意図せず定めたとおりになっている(作り手の定めたとおりになっている)」ことを意味しているということになりますね?


 で、もしその「作り手の定めたとおりになっている」ことを問題無しととるなら、そのように「機械がちゃんと動かないのは正常であるということになりますね(冒頭で復習した正常の定義  要点は①「作り手の定めたとおりになっている」、②「問題無しととる」、のふたつでしたね  を思い返してみてくださいよ)?


 いま答えが出ましたね。前記1「作り手が機械を、ちゃんと動くように作ることができていないとき」、「機械がちゃんと動かないのを異常と判定することはできませんね。


 では、前記2「作り手が機械を、ちゃんと動くように作ることができているときはどうでしょうか。「機械がちゃんと動かない」のを異常と判定することはできるでしょうか。


 でも、「作り手が機械を、ちゃんと動くように作ることができている」のに、「機械がちゃんと動かない」といったようなことは、ほんとうにあるのでしょうか。それはいったいどういった場合なのでしょうね。イマイチはっきりしませんね。


 まず、これがどんな場合かはっきりさせることからはじめましょうか。


 ほんとうに「作り手が機械を、ちゃんと動くように作れている」のなら、機械はかならずちゃんと動くはずですよね? ちゃんと動きはしないのに、「機械を、ちゃんと動くように作れている」んだと主張しても、誰も真に受けてはくれませんね?


 だとすると、この場合、「機械がちゃんと動かない」理由は、たったひとつしか考えられないのではないでしょうか。


 使用者が機械を、ちゃんと動くように使えていない、コレしか考えられないのではないでしょうか。テレビの電源ボタンを押したけれども、コードをコンセントに差し込んでいないといったような場合ですね。コードをコンセントに差し込んでいなければ、当然、テレビはつきませんね。


 さて、いま考察している前記2とは、「使用者が機械を、ちゃんと動くように使えていない場合」だとわかりましたね。テレビの電源ボタンを押したけれども、コードをコンセントに差し込んでおらず、画面がつかないといったような場合である、って。


 コードをコンセントに差し込んでいなければ、電源ボタンを押しても、テレビがつかないのは当然です。つかないようにテレビは作られていますよね。


 なら、この場合、「機械がちゃんと動かない」のは、「作り手の定めたとおりになっている」ことを意味しているということになりますね?


 で、もし、その「作り手の定めたとおりになっている」ことを問題無しととるなら、このように「機械がちゃんと動かないのは正常であるということになりますね(正常の定義にあった要点ふたつを思い出してくださいよ)?


 いま、ふたつ目の答えも出ましたね。前記2「作り手が機械を、ちゃんと動くように作ることができているとき」もまた、「機械がちゃんと動かないのを異常と判定することはできませんね。





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*今回する確認を、もっと簡単な別のやり方でする回はこちら。


*前回の短編(短編NO.1)はこちら。


*このシリーズ(全64短編を予定)の記事一覧はこちら。