(新)Nothing happens to me.

科学はボタンをかけ違えたまま来たのではないでしょうか。

コバエは自然淘汰されなかった

コバエぶんぶん自然淘汰(中)

 とっさには、阿波踊りを舞いだすカッコウで跳びあがることしかできなかった俺ではあるが、一匹のコバエが俺の耳もとスレスレを通りすぎたのだとつぎの瞬間には理解していた。その俺の目の前には、こちらにケツを向けながらゆるやかに飛んでいる小さなコバエ(コバエが小さいのは当たり前だが)の姿があった。


 そしてそのケツのこちら側には、ときすでに色めきたった俺がいたのだった。ポテチのあぶらでギトギトになった指もふかずにやおら立ち上がって、コバエのケツを俺はもう追いかけていた。


 そうっと息を殺して中腰で


 尾行するサツのように慎重に


 ドロボウよろしくヌキ足サシ足シノビ足。


 しばくするとコバエはTVの真っ暗なブラウン管の上に止まった。俺もブラウン管の前に立ち止まって、あぶらのついた手を、黒色の広がりのうえのその小さなグレーにそろそろと寄せていった。


 が、ヤツは動かなかった。


 俺の手が近づくのに任せているようにすら見えた。いや、たしかに余裕と度胸が感じられた。その悠々とした姿に俺はキッとなった。


 もうそろそろ飛び立つんじゃないかと思ってもまだヤツはじっとしていた。そして、もう逃げ出さないとさすがにヤバイんじゃないかと思ったときには、真っ暗なTV画面の上にあぶらまみれになって潰れていたのだった。


 俺はコバエのことを悪くとりすぎたと思った。俺に対する挑戦的な気持ちがコバエにあったのではなかった(たぶん)。単にコバエが鈍感なだけだったのである。  いやこれはもう、鈍感すぎた、と言ってよい。


 コバエにとっての俺の手は、言ってみれば、俺にとっての鎌倉の大仏様の手に相当する。ちがうだろうか。いや、ちがわない。ちがうのは、俺の手が危害をくわえられたわけでもないのに殺生をする罰当たりな身体の一部であるいっぽう、大仏様の手は俺なんかであってもツブそうとしない大いなる慈悲の一部だってことであるが、失礼極まりなことに、そうしたちがいを無視してたとえれば、コバエを追いかけてツブそうとする俺の手は、俺の背後からスキを狙うようについてきて、俺が立ち止まったところで頭上から振り下ろされてくる大仏様の手のようなものである。が、さすがにこれには、いつもぼうとしている俺だって気づく。


 なのに、俺の手が近寄ってくるのに気づかないコバエってヤツは   


 このあと、鈍感なコバエは、或るものは飛行中に簡単にツブされ、或る集団はキッチンの壁で休息をとっているところをたやすく掃討された。そして、シンクで大量発生している現場をとうとう押さえられ、根こそぎ壊滅されたのだった。


 後日集団でまた立ち現れたが。


 俺のもとから夏とともに立ち去るまえに、コバエ集団はそのあと何度か壊滅と復活をくり返したのである。

つづく


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