*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第9回
以上、群淘汰論者とドーキンスが、生物個体による利己的行為と利他的行為とをそれぞれ、この世に唯一存在すると彼らが信じる利己的行為にどう読み替えるのか確認しました。
- 作者: リチャード・ドーキンス,日高敏隆,岸由二,羽田節子,垂水雄二
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2006/05/01
- メディア: 単行本
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復習します。
この読み替えをすることになったきっかけは、「進化論的理論」と現実の不一致でした。「進化論的理論」によると、生物個体による利他的行為(他に利益を与え、みずからは不利益をこうむる行為)は淘汰されてすでに無く、生物個体には今現在、利己的行為(みずからの利益を得、他に不利益を与える行為)しか見当たらないはずでした。ところがじっさいのところ、生物個体による利他的行為はいまこの世に存在しています。「進化論的理論」と現実はこのようにくい違いました。
不肖俺の考えでは、こうして現実と理論がくい違うときにひとがとる手は二つあると先に書きました。ひとつは理論を現実にあうよう改める手、もうひとつは理論に現実をあわせる強引な手です。
群淘汰論者やドーキンスは、後者の手をとりました。利他的行為は(すでに)無く、利己的行為しか存在しないはずだとする「進化論的理論」を、生物個体については言えないと見るや、生物集団もしくは遺伝子に当てはめなおし、事実をこれといって観察したわけでもないのに、生物集団あるいは遺伝子には、利他的行為は一切無く、利己的行為しか存在しないと決めつけました。そして、生物個体による利己的行為や利他的行為は、生物集団もしくは遺伝子による利己的行為に該当するがゆえにこの世に存在しえているのだとしました。つまり、生物個体による利己的行為と利他的行為とをともに、生物集団もしくは遺伝子による利己的行為に読み替えました。
しかし、利己的行為しか存在しないとする「進化論的理論」をこのように換骨奪胎して死守するという理論の処理の仕方は適切でしたでしょうか。
この読み替えをするきっかけになったのはいまも確認しましたように、生物個体には今現在、利他的行為はすでに無く、利己的行為しか存在しないにちがいないとする「進化論的理論」が、現実と一致しないことでしたが、そもそもそれは単にその理論があやまっているというだけのことではないでしょうか。もしそういうことなら、生物個体による利他的行為が現にいまこの世に存在していても不思議に思う必要はなく、生物個体による利他的行為もこの世に存在しているという現実にただ納得しさえすればよいだけです。生物個体による利己的行為と利他的行為とを生物集団または遺伝子による利己的行為に読み替える必要はありません。群淘汰論者やドーキンスがやったように、利他的行為はすでになく、今現在利己的行為しか存在しないにちがいないとする「進化論的理論」を、生物集団または遺伝子に当てはめなおして死守し、この世を生物集団または遺伝子による利己的行為一色にぬりつぶす理由はまったくどこにもありません*1。
前回(第8回)の記事はこちら。
それ以前の記事はこちら。
序
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
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*1:2018年7月21日に、利己的行為という言葉にかけていた〈〉と、利他的行為という言葉にかけていた《》とを削除しました。