*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第21回
さて、『利己的な遺伝子*1』を読んでいますと、是が非でも、この世を利己的行為一色にぬりつぶしたいという、進化論者の熱い気持ちがひしひしと俺には伝わってきます。そして、この熱い気持ちを、俺は、文章冒頭で申しましたように、ホッブスからも感じるわけです。
文章冒頭で、哀しいほど何も知らない恥ずべき俺が、ドーキンス、ヒューム、ホッブスを一本につらぬく伝統でもあるのだろうかと愚かな疑問をつい露呈したのを思い出してください。ホッブス(1588〜1679)の絶対王政を権威づける有名な論理にも、この世は本来、利己的行為一色の世界であって、利他的行為や「利益の与えあい」というのは非本来的なものにすぎないとする利己的行為至上主義が見られるように、愚かな俺には思われます。
こういうことです。
ホッブスは国家権力と国民の関係を根拠づけたと言われています(申し訳ありません、また聞き、いやまた読み、です)。
- 作者: T.ホッブズ,Thomas Hobbes,水田洋
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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人間は自然状態では(人間は本来、という意味)、「万人の万人にたいする闘争状態」に陥る。そこで、それを避けるために各人のあいだをとりもつ最低限のルール(利他的行為や「利益の与えあい」がこれに当たるでしょう)をつくり、各人はたがいに契約してこれを国家に預け、以後国家がこのルールを各人に強いるが、国家からのこうした命令に各人は背けない。
そうホッブスは考えたと聞きます。
この考え方のはじめに出てくる、人間同士は本来、「万人の万人にたいする闘争状態」に陥るとする、特徴ある、いっぷう変わった考えかたは何でしょうか。これは、こう言っているように聞こえはしませんでしょうか。すなわち、人間とは本来、利己的行為のみを為す存在である。本来、利他的行為も「利益の与えあい」もしやしないのだ、と。しかし利他的行為や「利益の与えあい」無しには万人の万人による争いとなるため、人間は仕方なしに利他的行為や「利益の与えあい」をするのだというのがホッブスの考えかたなのではないでしょうか。利己的行為は人間の本性であるが、利他的行為や「利益の与えあい」は非本来的なものであるにすぎないと言っているように俺には聞こえます。もちろんホッブスのこうした見解が現実をあるがままに捉えるためのものではなく、あくまで王権を正当化するための理論にすぎないのは重々承知しております。したがって、ホッブスの世界観に、ドーキンス進化論にみとめられるのと同じ、利己的行為至上主義を見るのは、愚かな俺の愚かな思いちがいでしかないのかもしれません。
が、まるで、人民は野蛮な愚かモノと言われているようで・・・・・・。いやいや、愚かな俺の愚かな感想はもうよしましょう。
以上、ドーキンスがこの世を、遺伝子同士による「押しのけ合いの世界」であると結論づけるにいたるまでの論理展開をその出発点から順にたどってきました。そして俺たちは、この世界を進化論がやるように利己的行為 それが生物個体によるものであれ、生物種によるものであれ、あるいは遺伝子によるものであれ 一色にぬりつぶすのは不適切であるということを確認しました。
では、最後に、ドーキンス進化論という魅力にみち満ちた大密林を冒険するこの旅を通して俺たちが得ましたところを、簡単な二言三言くらいに凝縮して、筆(筆!!)をおくことにしようと思います。
ただこの二言三言については、しっかりみなさんにご紹介してから送り出してやりたいと思っております。あと少々お時間をいただきますが、ご了承ください*2。
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*1:
- 作者: リチャード・ドーキンス,日高敏隆,岸由二,羽田節子,垂水雄二
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*2:2018年8月9日付記。利己的行為という言葉にかかっていた〈〉と、利他的行為という言葉にかかっていた《》を、とり外しました。