(新)Nothing happens to me.

科学はボタンをかけ違えたまま来たのではないでしょうか。

神の存在証明にもとづくデカルトの知覚論に科学は乗って

科学は存在同士のつながりを切断してから考える第7回

 いまこの一瞬に私が目の当たりにしている空の姿と、この一瞬の私の「身体の感覚部分」とを、それぞれがその瞬間に在る場所に在るのは認めるものの、「ひとつの世界絵に共に参加している」もの同士とは認めず、「ひとつの絵に共に参加している」ことはないもの同士と考える。すると、「ひとつの絵に共に参加している」ことはないもの同士である、空と、私の「身体の感覚部分」とがただばらばらにあるだけということになる。それらふたつを足し合わせても、空が私に見えているという世界絵は出てこず、一転、この瞬間、私には空が見えていないことになる。ところが、現にこの瞬間、私は空の姿を目の当たりにしている。それはまぎれもない事実である。そこで科学は、現にいま私が目の当たりにしている空の姿を、私の脳によって私内部(意識内部に作りだされたコピー像であることにする。そのコピー像に対応するほんとうの空が私の外部(外界に実在して、それこそ見ることのかなわないものだと考える。


 このように科学では、現に私が目の当たりにしている物の姿、現に聞いている音、現に嗅いでいる匂い、現に味わっている味がことごとく、私の脳によって私内部(意識内部)に作りだされたコピー像と解される。それらコピー像に対応するほんとうの存在が私外部(外界)に実在するものとされる。しかしこう考えると、次のような疑問が湧いてくる。脳は私内部(意識内部)に勝手な像(映像、音、匂い、味)を作りあげるだけで、実はその像に対応する存在など私の外部(外界)には実在しないのではないだろうか。それどころか、外界自体、実在しないのではないだろうか。デカルトがいちはやく突き詰めて明らかにしたように、意識(私内部)とその中身の存在しか確実視できなくなるわけである。


 では、外界についてどう考えればいいのか。意識(私内部)とその中身の存在しか確実視できなくなることを誰よりも早く身をもって明らかにしたあとデカルトは、神に向かった。 神の存在を証明し(たと彼は確信し)、その神は誠実で、私の外部(外界)について、あやまった判断をするよう意識(私)を作ることはないとした。したがって、脳によって私内部(意識内部)に作りだされる像に対応する存在が外界には実在すると私が判断するのに間違いはないと結論づけた。そうして、見る、聞く、匂う、味わう、触れるといった知覚をこう説明した。

 わたしたちの外部〔引用者注:外界のこと〕にあるもの、つまり感覚〔引用者注:意識内部に作られた像のこと〕の対象〔引用者注:意識内部の像に対応する、外界に実在する存在のこと〕に関係づけられる知覚は、これらの対象によって引き起こされる(少なくともわたしたちの考えが偽でなければ)。これらの対象が、外的感覚の器官〔引用者注:眼、耳、鼻、口といった感覚器官のこと〕のなかに何らかの運動を起こして、神経を介して脳のなかにも運動を起こす。これらの運動によって、精神〔引用者注:意識のこと〕が対象を感覚するのである。たとえば、松明の光を見、鐘の音を聞くとき、この音とこの光は、二つの異なる作用〔能動〕である。それらは神経のある部分に、そして神経を介して脳のなかに、二つの異なる運動を起こし、ただこのことによって、精神に二つの異なる感覚を与える。 この二つの感覚を、わたしたちは原因と想定される主体〔引用者注:意識内部に作られた像に対応する、外界に実在する存在のこと〕に関係づけ、松明そのものを見、鐘を聞いていると考える。単に松明や鐘からくる運動を感じているとは考えない*1


 科学の知覚論を先に簡単に見たけれども、デカルトのこの知覚論こそ、科学のそうした知覚論の先がけだと言える。ただしデカルトは、私内部(意識内部)に脳によって作りだされる像に対応する存在が外界に実在することを、神の存在を証明することでもって確実であることにしておいてから、こうした知覚論を説いたが、科学は、デカルトのとほとんど異ならない知覚論を説きはするものの、脳によって私内部(意識内部)に作りだされる像に対応する存在がほんとうは外界には実在しないのではないかという疑いについてどう考えるのか、態度を明らかにはしていない。そんな疑いに思考の労を費やすのは無駄だと考えているといったところなのだろうか*2

つづく


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*1:『情念論』谷川多佳子訳、岩波文庫、2008年、23〜24頁、1649年

情念論 (岩波文庫)

情念論 (岩波文庫)

 

*2:2017年5月に表現を一部修正しました。