*科学は存在同士のつながりを切断してから考える第12回
先ほど、存在を、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに終始答えるものから、ただ無応答で在るだけのものにすり替えるために、科学が存在の実際の姿から、存在の容姿を、ほんとうは当の存在には属していないものとして取り除き、私の意識内部に移し替えるのを見た。そうして移し替えられる容姿のなかには色も含まれる。色が存在から取り除かれる次第についても、部屋のなかにあるテーブルを引きつづき例とし見ていくことにする。
科学にとってこのテーブル表面は、ただ無応答で在るだけのものである。科学が考えるに、そのテーブル表面は、部屋の明かりが明滅しようが、太陽光がさんさんと部屋のなかにさし込んでこようが、または明かりがオレンジ色に変わろうが、何ひとつとして変わることのないものである。
ところが、テーブル表面は実際のところ、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに終始答えるものである。部屋の明かりが明滅すると、明るい姿を呈したり、薄暗い姿を呈したりする。太陽光がさんさんと部屋のなかにさし込んでくれば、黄色っぽい色を呈するし、部屋の明かりがオレンジ色に変わると一転、オレンジ色の姿を呈する。テーブル表面は、部屋の明かりが明滅しようが、太陽光がさんさんと部屋のなかにさし込んでこようが、または明かりがオレンジ色に変わろうが、何ひとつ変わることのないものだとする科学の見立てに反して、いまざっとあげたこのテーブル表面の実際の姿は、たがいに色が異なっている。
そこで科学はこのテーブル表面を、ただ無応答で在るだけのものとするために、このテーブル表面が実際に呈する、たがいに色が異なるこれらの姿から、たがいのあいだの違いを、ほんとうは当のテーブル表面には属していないものとして取り除き、私の意識内部へ移し替える。するとこのとき、色はテーブル表面の実際の姿から取り除かれる。
科学はこう結論づけるに至る。存在には色がない。色は、私の意識内部にあるものにすぎない(ただし現代科学は「脳のなかにあるもの」とする)。つまり、外界に実在しているテーブル表面がどのようにあるかということについての(視覚)情報が外界から光に担われて眼までやってきて、そこから視神経を通じ、脳まで行く。で、脳がこの情報をもとに、外界に実在しているテーブル表面のコピー像(映像)を私の意識内部に作りだすわけだが、その際このコピー像に、外界に実在しているテーブル表面にほんとうは属していない色という要素をつけ足すのだ、と*1。
【補足】
存在から、容姿、音、匂い、味、感触、を、存在にはほんとうは属していないものとして取り除くこうした作業をいちはやく、大科学者のデカルトはやってのけました。なかでも、『省察』の蜜蝋の比喩(下の翻訳書p.51から)が有名なようです。『哲学原理』でいえば、彼は第2部の項目4や項目11などでもこうした作業について触れています。
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*1:2018年8月31日、内容はそのままに表現のみ一部修正しました。