*科学の出発点をナミダナミダで語り直す第1回
科学を科学たらしめるものについて、今回はキザに常体で語りたい。
科学を科学たらしめるもの、それは、科学の出発点である。いままでblog等で何度も語ろうとしてうまくいなかった、あの。
新年早々ふたたび挑む。
科学の出発点を僕は、髪をサラっとかきあげたりしながら、絵の存在否定と呼ぶ。
デカルトは、いま脇目もふらず科学が自信満々にバク進している道を最初に切りひらくにあたって、この「絵の存在否定」なる操作を為すところからはじめた(アウグスティヌスのようなキリスト教のセンパイがそれとなく、時と紙面越しにこの操作をやってみせるのをデカルトはじっと見ていたのではないか、なんて勝手に空想している)。で、ありとあらゆることが疑われるなか、唯一絶対に疑えないものがあると言い、「われ思うゆえにわれ在り」こそそれであるとした(詳しくは後方で)。
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そう僕は考える。
デカルトがそうして切りひらいた道をいつからか先頭をきって疾駆している科学は、結果的にこの「絵の存在否定」をみずからの原点に持つことになったというわけだ。
さて、近代哲学と科学が共有するこの西欧神話的出発点について語ろうと努めたひととして、寡聞ながら僕は、反哲学を標榜したハイデガーやメルロ=ポンティの名をココに挙げることができる。みなさん、お時間があるときに、ハイデガーなら、『存在と時間』第12節(世界=内=存在を、内=存在そのものを手引きとして素描する)を、かたやメルロ=ポンティなら、『知覚の現象学』で、机のうえにあるのが見えるリンゴの姿は、私の前方にあるその机のうえにあるのであって、意識内にあるのではないといったようなデカルト批判がなされるところ(そんな部分があったはずだが・・・・・・記憶がアヤフヤで申し訳ない)をご覧になっては如何だろう。
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要するに、科学の出発点というのは、主観と客観を対比させて考える図式が生み出されるに至ったきっかけのことであるが、まあ、四の五の申すのはやめにして、早速みなさんを本題のなかにお連れしよう。
科学の出発点を僕はカッコウをつけて「絵の存在否定」と呼ぶと申した。なら、絵、から話しはじめるべきだ。みなさんそうお思いにならない?
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