2018-01-01から1年間の記事一覧
*科学が存在をすり替えるのをモノカゲから見なおす第2回 科学は事のはじめに「絵の存在否定」という不適切な操作をなし、僕が体験するもの一切を 現に僕が目の当たりにするみなさんの姿、現に聞くみなさんの美声、現に嗅ぎ味わうワンカップ大関の匂いと味…
*科学が存在をすり替えるのをモノカゲから見なおす第1回 先日、科学を科学たらしめる、おどろくべき科学の出発点についてひっしのパッチで語り直した。「科学の出発点をナミダナミダで語り直す*1」という(いかがわしい)タイトルで。科学が事のはじめに「…
*障害という言葉のどこに差別があるか考える第24回 別れは突然にやってきます。みなさんと俺のあいだにも。 お暇乞いするときがやって参りました。 この文章を通して確認しましたことを最後にふり返ります。 第1部.ひとを正常(健康なもの・健常者)と異…
*障害という言葉のどこに差別があるか考える第23回 ひとを正常と異常に振り分けることが、人間理解をはなっから拒むことである旨、確認しています。 簡単に言うと、こういうことでした。 ひとを正常と異常に振り分けるとは、ひとを「理解され得るもの」と「…
*障害という言葉のどこに差別があるか考える第22回 青空を白い雲がゆっくりと流れています。いま、わッとどこかで子供たちの歓声があがりました。そして青空に吸い込まれるようにすッと消えていった・・・・・・ああ、思えば遠くに来たものです。最初に「障害とい…
*障害という言葉のどこに差別があるか考える第21回 科学は健康を正常であること、病気を異常であることと定義し、医学を「異常なひとを無くす営み」と考えます。このように「異常なひとを無くす」ことを医学の目的にするのがいかに危険なことか、確認中です…
*障害という言葉のどこに差別があるか考える第20回 科学にとって、健康とは正常であること、病気とは異常であること、医学とは「異常なひとを無くす営み」です。 第1部と第2部では(いまは第3部のまっただ中)、科学によるそうした健康、病気の定義づけ…
*障害という言葉のどこに差別があるか考える第19回 科学は健康を正常であること、病気を異常であることと定義づけ、医学を「異常なひとを無くす営み」と考えます。 しかし第1部で確認しました。正常異常の区別は機械に対してつけられず、当然ひとに対して…
*障害という言葉のどこに差別があるか考える第18回 健康を正常であること、病気を異常であることと定義する科学にとって医学とは「異常なひとを無くす営み」です。 しかし、そもそも異常なひとはこの世に存在しないと先に確認しました。医療に求められるの…
*障害という言葉のどこに差別があるか考える第17回 僭越ながら先刻こういった旨のことを申し上げました。 科学は、健康とか健常を正常であること、病気を異常であることと定義する。そんな科学にとって医学とは「異常なひとを無くす営み」である。 しかし第…
*障害という言葉のどこに差別があるか考える第16回 第3部にちょうどいま足を踏み入れました。最初にここまで二点、確認してきましたところを簡単にふり返らせていだだきます。 ひとを正常(健康なもの・健常者)と異常(障害者)に分けることは不当な差別…
科学は存在を別のものにすり替える。 みなさんご想像いただけるだろうか? 誰かによばれた気がしてふと顔をあげてみると、部屋の窓ごしに a crow が見えた、と。それは、ちょうどその黒いかたまりが、道路をへだてた向かい側の電柱上から、バサっという音が…
*障害という言葉のどこに差別があるか考える第15回 先の第1部ではつぎのことを確認しました。 正常異常の区別は実は機械に対してつけられないこと、 当然、正常異常の区別はひとに対してもつけられないこと(そもそも異常なひとはこの世に存在しない)、 …
*障害という言葉のどこに差別があるか考える第14回 第1部(現在は第2部)で、正常異常の区別は実は機械に対してつけられず、当然ひとに対してもつけられないことを確認しました。そもそも異常な機械も異常なひともこの世に存在しないとのことでした。なら…
*障害という言葉のどこに差別があるか考える第13回 第1部(現在第2部)ではつぎのことを確認しました。 正常異常の区別は実は機械に対してつけられないこと、 当然、正常異常の区別はひとに対してもつけられないこと(そもそも異常なひとはこの世に存在し…
*障害という言葉のどこに差別があるか考える第12回 第1部で(現在は第2部)、正常異常の区別は実は機械に対してつけられず、当然ひとに対してもつけられないことを確認しました。そもそも異常な機械もひともこの世に存在しないとのことでした。にもかかわ…
*科学の出発点をナミダナミダで語り直す第8回 僕がいまこの瞬間、柿の木の姿を目の当たりにしているというのはどういうことだったか。たがいに数十メートル離れた場所にある柿の木の姿と僕の身体とがその瞬間、共に「柿の木を見ているという僕の体験の部分…
*科学の出発点をナミダナミダで語り直す第8回 「いまこの瞬間に僕が体験している世界のありよう全体」の隅々にまで「絵の存在否定」という不適切な操作を及ぼすと、僕が体験するもの一切は、僕の心のなかにある像であることになる(前記4.場所の追放)。…
*科学の出発点をナミダナミダで語り直す第8回 科学が事のはじめに「絵の存在否定」という不適切な操作をどのように為したか、拙い表現力で必死に説明してきた僕さん。最後の力をふり絞って、口をアワアワさせます。 科学が事のはじめに「絵の存在否定」と…
*科学の出発点をナミダナミダで語り直す第7回 科学が「絵の存在否定」という不適切な操作を為し、僕さんの左手を「左手機械」、すなわち「見ることも触れることもできず、音もしなければ匂いも味もしない元素の集まり」にすぎないものにすり替える次第を一…
*科学の出発点をナミダナミダで語り直す第6回 「絵の存在否定」という不適切な操作を科学がいかに、見る、聞く、匂う、味わう、触れる、といった知覚体験に為すかを見た僕さんは、まとめます。そして身体について語り出します。 科学はこのように「いまこ…
*科学の出発点をナミダナミダで語り直す第5回 絵、景色、についで、見るという知覚体験にも「絵の存在否定」をやってみせた僕さんですが・・・・・・ いま、見るという知覚体験について、科学がどのように「絵の存在否定」という不適切な操作を為すか確認した。…
*科学の出発点をナミダナミダで語り直す第4回 科学は事のはじめに「絵の存在否定」という操作を為すと訴える僕さん。その操作がどんなものか、絵、景色、と順にやってみせたあと、今度は、見るとか聞くといった知覚体験についてやってみせると言います。 …
*科学の出発点をナミダナミダで語り直す第3回 科学が事のはじめに為すという不適切な操作、「絵の存在否定」を絵に対してやってみせた僕さんですが・・・・・・ 「絵の存在否定」と呼ぶ不適切な操作を、絵を例にご説明申し上げたが、僕はみなさんにおわかりいた…
*科学の出発点をナミダナミダで語り直す第2回 科学の出発点を「絵の存在否定」と名づける僕さん。絵を例に、その操作について語り出します。 一枚の絵をご想像あれ。いやみなさんのお宅にかけてある絵をじかにご覧いただくことにしようか。 その絵は平面に…
*科学の出発点をナミダナミダで語り直す第1回 科学を科学たらしめるものについて、今回はキザに常体で語りたい。 科学を科学たらしめるもの、それは、科学の出発点である。いままでblog等で何度も語ろうとしてうまくいなかった、あの。 新年早々ふたたび挑…
*障害という言葉のどこに差別があるか考える第11回 正常異常の区別は実は機械に対してつけられず、当然ひとに対してもつけられないという結論に行きついたいま、ここまでを簡単にふり返らせてください。 この文章は僭越ながら、障害という言葉について、障…
*障害という言葉のどこに差別があるか考える第10回 機械がちゃんと動かない(作り手の望みどおりには動かない)ふたつの場面をみなさんにご確認いただきました。ひとつは、機械がちゃんと動かないことの非が作り手にある場面、もうひとつは、機械がちゃんと…