(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

科学はみなさんを宇宙海賊コブラに替える

*科学の出発点をナミダナミダで語り直す第6回

〔「絵の存在否定」という不適切な操作を科学がいかに、見る、聞く、匂う、味わう、触れる、といった知覚体験に為すかを見た僕さんは、まとめます。そして身体について語り出します。〕

 科学はこのように「いまこの瞬間に僕が体験している世界のありよう全体(三次元の広がり)」の隅々にまで、「絵の存在否定」という不適切な操作を為し、僕の体験するもの一切を、僕の心のなかにある像であることにする(前記4.場所の追放)。そして、心のなかにある像については、頭がイワシで首から下がキリンであるといったような空想された像以外はすべて、それに対応するものが、心の外に、「見ることも触れることもできず、音もしなければ匂いも味もしない元素の集まり」として実在するということにする(前記5.存在のすり替え)。


 身体についても例外ではない。


 科学が身体に対してどのように「絵の存在否定」をするか見るまえに、身体について少しご確認申し上げる。


 頭の頂きから下半身の末端までひと連なりになっているみなさんの身体感覚がある場所にいま、他に何があるか、とお訊きすれば、みなさんはこうお答えくださるだろうか。


 そこには、頭の頂きから下半身の末端までひと連なりになっている、見たり触れたりできるところの、身体の物的部分、とでも言うようなものがある、と。


 もしそうだとすれば、みなさんは、みなさんの身体感覚と、みなさんの「身体の物的部分」とが同じ場所を占めているとお考えだということである。


 ならばきっとみなさんは、そのように同じ場所を占めている「身体の物的部分」と身体感覚とをひとつとご覧になって、身体、とふだんお呼びでいらっしゃるにちがいない。


 実に僕もそんなみなさんと同じように、身体とは、同じ場所を占めている「身体の物的部分」と身体感覚とを合わせたもののことであると考える。つまり、身体のうちに身体感覚は含まれると考える。


 以後、「身体の物的部分」という言いかたに寄せて、身体感覚のほうも「身体の感覚部分」と呼ぶことをみなさん、お許しあれ。そしてドサクサにまぎれて、つぎのふたつのこともお許しにならんことを。

  1. 左手であれば、同じ場所を占めている「左手の物的部分」と「左手の感覚部分」とを合わせたもののことと考えること。
  2. いまこの瞬間、僕が自分の目のまえに左手をかざしていると仮定すること。


 2の仮定のなかの僕はその瞬間、「左手の物的部分の姿を目の当たりにしている。その姿は僕の眼前数十センチメートルのところにある。僕の「左手の感覚部分」もまたソコ、僕の眼前数十センチメートルのところに「左手の物的部分」の姿と同じ場所を占めてある。


 先に科学は「絵の存在否定」なる不適切な操作によって、僕が体験するもの一切を、僕の心のなかにある像であることにすると申し上げた。僕がこのとき目の当たりにしている「左手の物的部分の姿と、僕がその瞬間、同じ場所に感じている「左手の感覚部分」についても科学は、僕の眼前数十センチメートルのところにあるものではないことにし、僕の心のなかにある映像と感覚であることにそれぞれする(前記4.場所の追放)。で、眼前数十センチメートルのソコにはその代わりに、「見ることも触れることもできず、音もしなければ匂いも味もしない元素の集まりにすぎない左手が実在していると考える(前記5.存在のすり替え)。


 みなさんや僕にとって左手とは、同じ場所を占めている「左手の感覚部分」と「左手の物的部分」とを合わせたもののことであると先刻確認したけれども、科学にとって左手とはこのように、「見ることも触れることもできず、音もしなければ匂いも味もしない元素の集まり」にすぎない。そこに左手の感覚部分は含まれない。科学はこのように左手をただの物体にすぎないとし、さらには時計や掃除機といった機械と同一視する。そのうえで、機械に対してひとがよく用いる正常異常という区別を、左手に対してもつけられると考え進む(しかしこれがとんでもない不当差別と人間理解拒絶のはじまりになるというのは以前とっくりと書いたところである)・・・・・・


 科学が想定するこの「見ることも触れることもできず、音もしなければ匂いも味もしない元素の集まり」にすぎない左手をここでは「左手機械」と呼ぶことにしよう。


 科学は、僕の心の外に実在するこの「左手機械」から、それについての情報が神経をつたって僕の脳に行き、そこで心のなかの映像と感覚に変換されるとする。そして、前者の映像を、その瞬間に僕が現に目の当たりにしている僕の「左手の物的部分」の姿、いっぽう後者の感覚を、その瞬間に僕が感じている「左手の感覚部分」であるとする情報伝達変換論をブツ(科学の視覚論と体性感覚論をご覧あれ)。

脳科学の教科書 神経編 (岩波ジュニア新書)

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左手の感覚部分こうして、心の外に実在する「左手機械についての情報とするわけである。

つづく


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