(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

身体も「チーム・柿の木」のメンバーである

*科学が存在をすり替えるのをモノカゲから見なおす第8回


 僕が柿の木に歩みよっている場面をみなさんに、ご自分ごとのように想像していただきながら、つぎのことを確認した。

  • 1.柿の木

 柿の木は「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに一瞬ごとに答えるものである。

  • 2.柿の木把握

 柿の木を捉えるとは、柿の木、僕の身体、太陽、雲、道、他人の身体、音らが、「どのように応答し合いながら共に在るか」を把握すること(「状況把握」すること)である。


 柿の木についで、僕の身体についても同様のことをここでちょっとご確認させていただけるだろうか。


 頭のてっぺんちょから足のつま先までひと連なりになっている僕の「身体の感覚部分」がある場所に、見ることも触れることもできる僕の「身体の物的部分」もあると、まえのほうでお話しし、身体とはこのようにおなじ場所を占めている「身体の感覚部分」と「身体の物的部分」とを合わせたもののことであると申し上げたのをみなさん、きっとご記憶になっておられることだろう。


 道草を口いっぱいにほおばりながら、そのとき僕はモゴモゴとこうつづけた。

 僕のこの「身体の物的部分」は、いま柿の木を遠望している僕自身にたいしては、まるごとひとつがみな「見えないありよう」である姿をとって、僕の「身体の感覚部分」とおなじ場所を占めていると言える。もしこのとき僕が足元にでも視線を落としていれば、僕の「身体の物的部分」は足元の、僕のほうを向いた面の、上ッ面のみ「見えるありよう」を呈し、それ以外はすべて「見えないありよう」をとった姿で、僕の「身体の感覚部分」とおなじ場所を占めていたろうけれど。(第4回より引用)


 僕が柿の木に歩みよっていたときのことを、僕の「身体の感覚部分」と「身体の物的部分」のふたつに話しをしぼって確認する。


 僕の右足だけを考察にもちいる。右足は、僕が柿の木に歩みよっているあいだ、地面から離れて、前方に移動しては、着地する、といった動作をくり返した。


 そのとき、「右足の感覚部分」と「右足の物的部分」は終始おなじ場所を占めながら(このふたつを合わせたものが右足)、離陸、前方移動、着陸をくり返したわけだけど、これは「右足の感覚部分」が、「右足の物的部分」を引き連れて行ったということなのだろうか?


 それとも逆に、「右足の物的部分」が「右足の感覚部分」を引き連れて行ったのか?


 いや、事実はそのどちらでもない、とみなさんお考えになるんじゃないか?


「右足の感覚部分」と「右足の物的部分」とがおなじ場所を占めながら、離陸、前方移動、着陸、をくり返したというのは、

  • A.「右足の感覚部分」が、「『右足の物的部分』と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに一瞬ごとに答えると同時に、
  • B.「右足の物的部分」のほうも、「『右足の感覚部分』と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに一瞬ごとに答えてのこと、


 すなわち、「右足の感覚部分」と「右足の物的部分」とが、「応答し合いながら共に在って」のことだったと、みなさんお考えになるんじゃないだろうか。


 ただしこれはあくまで、「身体の感覚部分」と「身体の物的部分」のふたつに話しを限定しての確認である。このふたつと「応答し合いながら共に在った」ものは、他にもたんとある。


 みなさんが先ほどひそかにご想像なさったように、僕の右足は、足元に不意に犬か何かのウンコちゃんが姿を現したのに「応答して」、とっさに着地点を変更したのではなかったか?


 もちろん、それだけじゃない。まさに、柿の木、僕の「身体の感覚部分」僕の「身体の物的部分」、太陽、雲、道、他人の身体、音らが、「応答し合いながら共に在った」わけである。よって、「身体の物的部分」をもっと細かくしていえば、柿の木、僕の「身体の感覚部分」、僕の脳、神経、目玉、心臓、胃、すい臓、肝臓、血液、血管、その他の「身体の物的部分」、太陽、雲、道、他人の身体、音らが、「応答し合いながら共に在った」ということになる


 したがって、この例の場合をかりていえば、僕の脳を捉えるというのは、柿の木、僕の「身体の感覚部分」、僕の脳、神経、目玉、心臓、胃、すい、肝臓、血液、血管、その他の「身体の物的部分」、太陽、雲、道、他人の身体、音らが、「どのように応答し合いながら共に在るか」を把握する(状況把握をする)ことだということになる。脳をいくら詳細に見たって、「状況把握」ができていないんじゃ何にもならない。つまり、僕のような「状況把握」のヘタクソな人間(周囲に広く注意できない人間)にはまともに、脳は捉えられないということになる*1

つづく


前回(第7回)の記事はこちら。


このシリーズ(全18回)の記事一覧はこちら。

 

*1:2018年7月3日と同年10月26日に、内容はそのままで表現のみ一部修正しました。