(新)Nothing happens to me.

科学の欠点、限界、見落としている大事なもの

医学は人間理解をはなっから拒絶する

*障害という言葉のどこに差別があるか考える第22回

 青空を白い雲がゆっくりと流れています。いま、わッとどこかで子供たちの歓声があがりました。そして青空に吸い込まれるようにすッと消えていった・・・・・・ああ、思えば遠くに来たものです。最初に「障害という言葉に違和感をお覚えになるみなさんは実のところ、ひとを健常者(正常なもの)と障害者(異常のあるもの)とに分けること自体に引っかかっておられるのではないか」と疑念を提示してからここまで、みなさんと一緒にいろんなことを確認して参りました。ざっとふり返ってみますと  

  • 第1部.ひとをそのように正常と異常に振り分けることが不当な差別以外の何ものでもないこと。
  • 第2部.実際に科学がそうした不当差別をどのようにするか。
  • 第3部健康、病気、医療とは何か。
        医学の目的を「異常なひとを無くす」こととするのがいかに危険か。


 そしていまからそこに最後のちからをふり絞って第4部を追加します。ひとを正常と異常に振り分けようとすると、人間理解をはなっから放棄していることになる旨、確認します。


 つぎの質問に答えていくことからはじめます。


 ひとを理解するとはどうすることか


 もし誰かが泣いていてその理由がおわかりにならなければみなさんはそのひとに、事情が許すなら、「なぜ?」とお尋ねになるでしょう。


 彼は答えます。みなさんはそれをお聞きになって、「なるほど、そういうことなら、泣くのも当然である」とお感じになるとします。つまり、「なるほど、そういうことなら、泣くのは理にかなっている」とご納得になるとします。


 俺が泣いているのをみなさんがご理解になるというのは、俺が泣いているのをそのように理にかなっているとお受けとりになるということです。


 理解するとは「理にかなっている」と受けとることであるというこのことを翻せば、理解できないとは、「理にかなっていない」と受けとることだと申せます。最初みなさんは、なぜ泣いているか俺がご説明してもなかなか理解おできになりませんでした。みなさんはそのあいだ、俺が泣いているのは「理にかなっていない」とお受けとりだったわけです。ところがよくよくご説明申し上げているうちに、何かピンとくるところがおありだったのか、みなさん急にポンと膝をお打ちになって、俺が泣いているのを一転、「理にかなっている」とお受けとりになったという次第です。


 理解するとは「理にかなっている」と受けとること、理解できないとは「理にかなっていない」と受けとること、といま申し上げました。


 では、ここから一目散に結論めがけて走り出しましょう。


 ひとに正常異常を言うとはどういうことだったか、いま一度ご確認ください。


 ひとに正常異常を言うとは、ひとが《作り手の定めたとおりになっていない》のを問題とし、ひとが〈作り手の定めたとおりになっている〉のを正常、ひとが《作り手の定めたとおりになっていない》のを異常と呼ぶことでした。


 ひとを正常と見るというのは、〈作り手の定めたとおりになっている〉と見ることです。このように〈作り手の定めたとおりになっている〉と見るというのは、理どおりになっていると見ることと言い換えられます。理どおりになっていると見るとはもっと言えば、「理にかなっている」と見るということです。


 そして、「理にかなっている」と見るとは、先ほど確認しましたように、理解するということです。


 ひとを正常と見るとはすなわち、そのひとを理解することです。


 いっぽうひとを異常と見るとはどういうことでしょうか。それはひとを《作り手の定めたとおりになっていない》と見ることであり、それは、理どおりになっていないと見ることです。理どおりになっていないと見るとは、「理にかなっていない」と見ることであり、先に確認しておきましたように、理解できないとすることです。


 まさにひとを異常と見るとは、そのひとを理解できないとすることです。


 以上より、ひとを正常と異常に振り分けるというのは、ひとを「理解され得るもの」と「理解され得ないもの」とに分けることだと言えます。


 しかし第一部で確認し、それ以後くり返しクドクドねちねちと確認しつづけて参りました。異常なひとはこの世に存在しない、と。


 これはどういうことか。


「理解され得ないひと」はこの世に存在しない
ということです。かならずひとは理解され得るということです。


 ここからこう結論づけられます。ひとを異常と見るというのは、理解され得るはずのひとを不当にも「理解され得ない」と決めつけること、言い換えれば、そのひとを理解するのをはなっから拒むことである、と。

つづく


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