*障害という言葉のどこに差別があるか考える第18回
健康を正常であること、病気を異常であることと定義する科学にとって医学とは「異常なひとを無くす営み」です。
しかし、そもそも異常なひとはこの世に存在しないと先に確認しました。医療に求められるのが、「異常なひとを無くすこと」だとは考えられません。
医療に真に求められるのは、苦しまないでいられるようひとを手助けすることではないでしょうか。みなさんにとって健康とは苦しくない状態がつづくこと、病気とは苦しい状態が引きつづくこと、ではないでしょうか。
仮にみなさんが診察室で息がしにくいとおっしゃるとしても、それは異常を訴えておられるということではなく、単に苦しいと訴えておられるということであり、そのとき息がしやすくなるのをご要望になっているとしても、それは呼吸が正常になることをではなく、苦しまないでいられるようになることをお望みになっているということだと先刻、確かめたところです。
幻聴がするという訴えについても、同様に考えてみます。
家族から、よく電話で浪費をいさめられている男性患者は、電話でガミガミ叱責された後で、幻聴がすると訴えた。幻聴は、「小遣いばかり使って」「お菓子ばかり食べて、あんなに太っている」と自分を非難する内容だった(岡田尊司『統合失調症』PHP新書、2016年、95ページ、2010年)。
精神医学は、異常なひとなどこの世に存在しないにもかかわらず、幻聴がするという訴えを聞いて、不当にも男性の心(脳のはたらき)を《作り手の定めたとおりになっていない》ものと決めつけ、心が《作り手の定めたとおりになっていない》そのことを問題と考えて、精神異常と呼びます。そして、心を〈作り手の定めたとおりになっている〉ようにする(正常に矯正する)ことを目的とする治療、つまり幻聴を無くす治療を必要とします。
ですが、異常を正常に矯正するも何も、異常なひとはそもそもこの世に存在しません。ひとを不当にも異常と決めつけてまで、そうした治療をしなければならないとは思われません。
男性の幻聴がするという訴えをもう一度聞き直してみましょう。
電話で家族から浪費をいさめられたあと幻聴がはじまったとのことでした。男性は電話を切ったあと、家族と同じように周囲のひとたちも内心、男性のことを非難しているのではないかと疑うようになったのではないでしょうか。周囲のひとたちに「小遣いばかり使って」とか「お菓子ばかり食べて、あんなに太っている」と内心、非難されているのではないかと気にして苦しむようになったのではないでしょうか。
反面、男性には自信があったのではないかと俺は推測します。自分はそんなことを気にしたりするような人間ではないという自信が、です。そうした自信がある男性には、ひとに内心、非難されているのではないかと気にしているということ(現実)が、非難してくる声につきまとわれていることと解されたのではないでしょうか。
いま、幻聴がするという男性の訴えを理解しようと、男性の身になって想像してみました。これで男性の訴えを少しは理解できているのか、答え合わせのしようがなく、はっきりとはしませんけれども、ここでは当たらずとも遠からじと都合良く仮定して(自分に甘いのがいかにも格好悪いですが)話を進めることにしますと、男性の幻聴がするという訴えはまさに、ひとに内心、非難されているのではないかと気になって仕方ないその苦しさを訴えたものと申せるのではないでしょうか。幻聴がしなくなることを男性が望んでいたとしてもそれは、ひとに内心、非難されているのではないかと気にして苦しむのをやめられるようになりたがっていたということではないでしょうか。
男性にもし必要な医療処置があったとすればそれは、苦しまずにいられるようになることを目的とするものだったと思われます。
医療に真に求められるべきは、苦しまないでいられるようひとを手助けすることではないでしょうか。
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