科学は存在を別のものにすり替える。
みなさんご想像いただけるだろうか?
誰かによばれた気がしてふと顔をあげてみると、部屋の窓ごしに a crow が見えた、と。それは、ちょうどその黒いかたまりが、道路をへだてた向かい側の電柱上から、バサっという音が聞こえてきそうな躍動感を示して飛び立ったところだった。
The crowはこちら目がけてまっしぐらにやってきた。
さあ、僕におなりになったつもりでみなさん、ありありと目のまえに思い描かれよ。
電柱に止まっているときは、親指の先くらいの大きさでしかなかったその黒い姿が刻一刻と大きくなってきて、窓際までやって来たときにはついに、僕(大頭)のウイッグくらいの大きさになっていたのを(the crowは上の階、窓外の手すりにでも着地したらしかった)。
The crowは実寸が終始不変だったにもかかわらず、このように一瞬ごとに「姿」の大きさを劇的に変えていった。いやもし逆に、「姿」の大きさが終始不変だったら、僕は刻一刻とthe crowの実寸が縮んでいってるのを目の当たりにすることになったはずだ。実にこの場合、実寸を一定に保つには、「姿」は刻一刻と大きくなっていくしかなかった。
じゃあもう一度、いまご想像いただいたところを巻き戻し、今度はスロー再生でじっくり見てみるとしようか。
どうだろう、みなさん、黒い姿が一コマごとに大きくなってくるのを、ご覧になれているだろうか。
まさにthe crowの姿は、僕の身体がコレコレ離れたところで、コレコレのほうを向いていれば、姿をコウする、といったふうに、「僕の身体と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに一瞬ごとに答えている。そうして一瞬ごとに実寸を一定になるよう保っている、と言えるんじゃないだろうか。
科学はまったく正反対に考えるわけだけど。科学はthe crowを、僕が窓辺で見ているあいだ、終始不変であることにする。すなわち、無応答で在るもの(客観的なもの・絶対的なもの)であることにする。
ほら、みなさん、部屋のなかをぐるりとお見まわしになっているとき、ご覧になってる部屋の姿が刻一刻と変化してるのに、部屋は終始ちがいひとつすら示していないとお考えになるようなことがおありだろう。ソレとまったくおなじ考えかたを科学はするということである。
存在(物体、音、匂い、味、身体感覚)を、「他のものと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに一瞬ごとに答える相対的なものから、無応答で在るもの(絶対的なもの・客観的なもの)へとすり替える科学のこうした作業を「存在の客観化」とよび、春眠あかつきを覚えられなくなったころ、語り直そうとモクろんでいる次第である*1。
- 作者: バートランドラッセル,Bertrand Russell,高村夏輝
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
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補足:ここに書いたようなことを考えているとき、若い頃ひとりぼっち(!)で読んでいた『知覚の現象学』にて、著者メルロ=ポンティが、ゲシュタルト心理学の「地と図」や、ミュラー・リヤー錯視などをあげ、語っていたのが思い起こされ、いっちょ久方ぶりに読み返してみるかと意気アガるものの、今回も僕がけっきょく手にとるのは同書ではなく、ポテチになりそうな気配であると言わねばなるまい。
- 作者: モーリス・メルロ=ポンティ,竹内芳郎,小木貞孝
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*1:2018年8月3日と同年11月3日に、文章を一部修正しました。