*障害という言葉のどこに差別があるか考える第12回
第1部で(現在は第2部)、正常異常の区別は実は機械に対してつけられず、当然ひとに対してもつけられないことを確認しました。そもそも異常な機械もひともこの世に存在しないとのことでした。にもかかわらず科学はひとを正常と異常に振り分け、両者のひとたちのあいだに不当な差をつける差別をするというわけでした。
いったいそのとき科学に不当にも異常と決めつけられるのは誰なのか。この問いを解明するため、いまから敢然と一歩踏み出します。
と勇壮なことを申しましたものの、いったい何から考えはじめればいいのでしょう。正直、俺は途方に暮れます。
ふと目をやった窓の外も、雨、です。
溜息しか出てきません。
そういえば、最近、よく雨が降りますね。
傍らでやわらかい声がします。ふり向くとそこには、俺を慰めようとするかのような微笑を浮かべておられるみなさんがいらっしゃいます。
おっしゃいます。
昨年の10月を覚えていますか? この街、ずっと雨が降っていましたね。あんなに降りつづいたこと、いままでありませんでしたよ。最近おかしくなっていますよね、気象。
俺は窓外に目を転じながら、みなさんにお返しする言葉を探します。必死に探します。が、お返しできそうな言葉はひと言たりとも見つかりません。いつもです、いつも俺は・・・・・・と、その瞬間、ある言葉に思い至ります。
うッ! いやこれだ! この言葉を用いて考察を進めていけばいいんだ!
そして、ようやく見つけたそのひと言を口に出すこともなく、ただ胸にしっかと抱きしめて、俺はもうみなさんを背に考察の道を駆け出しています。
みなさんへの感謝の念とともに俺が胸に抱えたそのひと言とは、「異常気象」です。
「異常気象」という言葉は最近とくによく耳にします。ニュースでも日常会話でも当たりまえのように用いられます。科学者が使っているのをお聞きになることもみなさんおありではないでしょうか。みなさん耳なじみの言葉です。
実は俺もいまその言葉をみなさんに向けて口に出す寸前でした。が、正常異常の区別は機械に対してつけられないと俺は言ったばかりではなかったでしょうか。ちょうど先ほど、当然ひとに対してもつけられないと力こぶ入れて申し上げたのはこの俺ではなかったでしょうか。なら、俺は気象に対しても正常異常の区別はつけられないとわきまえていなければならなかったのではないでしょうか。
なのに、その舌の根も乾かないうちにどう考えて俺は、昨年10月の雨つづきの日々を「異常気象」と呼ぼうとしたのでしょうか。考察し(て俺自身をとっちめてやり)ます。その結果、何かが見えてくると信じて。
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