(新)Nothing happens to me.

次回は4月1日(月)21:00にお目にかかります

伝統的な快さ苦しさの定義

科学するほど人間理解から遠ざかる第24回 

 快さを感じているというのは、「今どうしようとするか、かなりはっきりしている」ということであり、かたや苦しさを感じているというのは、「今どうしようとするか、あまりはっきりしていない」ということであるといったように快さや苦しさを理解することは、事のはじめに「絵の存在否定」と「存在の客観化」というふたつの不適切な操作をなす西洋学問にはできないとのことでした。


 では、快さや苦しさを西洋学問ではどういったものと誤解するのか。いろんな誤解の仕方がきっと西洋学問にはあるのでしょうけれども、それらすべてを調査するのは、実力をおもちのみなさんにお任せすることとして、ここではふたつの解し方だけを見ようとしています。


 いまから最初に見るのは、自覚症状という医学用語が口にされるとき採用されている、みなさんにお馴染みのものです。


 伝統的で、広く世間に流布している見方と言えるのではないでしょうか。


 先に、身体について確認を済ませておきました。みなさんにとって身体とは、おなじ場所を占めている「身体の感覚部分」と「身体の物部分」とを合わせたもののことです。身体のうちに身体の感覚部分は含まれます


 けれども西洋学問では、身体は元素の集まりでしかないことにされ(西洋学問では「見ることも触れることもできず、音もしなければ匂いも味もしない」と考えられます)、機械と見なされます(身体機械)。そして「身体の感覚部分、心のなかにある、「身体機械についての情報」と解されるとのことでした。


(身体については下の記事で確認しました)


 いまから見ていくひとつ目の解し方では、「身体の感覚部分」を、心のなかにある、「身体機械についての情報」とするその見方にもとづいて、つぎのように快さと苦しさがそれぞれ定義づけられます。


 西洋学問ではひとを正常なものと異常なものとに二分します。話のいちばんはじめに申しましたように、前者、正常なものを健康とか健常と、後者、異常なものを病気とか障害者とよぶとのことでした。


 ここでは論の展開上、結論だけ申し上げることにしますが、実際のところ、異常なものはこの世に存在し得ません。異常な機械も、異常な気象も、異常なひとも、これまでこの世に存在したこともなければ、これから存在することも絶対にありません。機械も、気象も、ひとも、たったひとつの例外もなくみな正常であると言うよりほかありません。


(異常なひとは存在し得ないということを確認したのは下のシリーズ)


 しかし西洋学問では、医学の名のもと、一部のひとたちを異常と判定してきましたし、これからもそうしつづけるだろうと、どなたも強い確信をもって予測なさるのではないでしょうか。実に西洋学問ではこのように、どのひとのことも正常としか判定できないにもかかわらず、一部のひとたちを、権威の名のもと、不当にも異常と決めつけ差別します。それが差別であるとはおそらく気づかずに、でしょうけれども。


 さて、医学は「身体機械」の状態をこうして正常と異常に二分するのにあわせて、「身体の感覚(部分)」のほうも、快さの感じと苦しさの感じのふたつに分けます。で、「身体の感覚部分」を、心のなかにある、「身体機械についての情報」とする見方にもとづいて、快さの感じを、心のなかにある、「身体機械が正常であることを知らせる情報」と、かたや苦しさの感じを、心のなかにある、「身体機械が異常であることを知らせる情報」とそれぞれします。


身体機械についての情報」が、「身体機械」各所から発したあと、電気信号のかたちで神経をつたって脳まで行き、そこで「身体の感覚(部分)」に変換され、心のなかに認められるといった情報伝達なるものを西洋学問では考えると何度も申し上げてきましたが、「身体機械についての情報」には「身体機械が正常であることを知らせる情報」と「身体機械が異常であることを知らせる情報」のふたつがあって、「身体機械」の状態が正常であれば、前者の「身体機械が正常であることを知らせる情報」が電気信号のかたちで「身体機械」各所から出たあと、神経をつたって脳に行き、そこで、快さとよばれる「身体の感覚(部分)」に変換されて心のなかに認められるいっぽう、「身体機械」のどこかが異常であれば、当の箇所から出た「身体機械が異常であることを知らせる情報」が、電気信号のかたちで神経をつたって脳に行き、そこで苦しさとよばれる「身体の感覚(部分)」に変換されて心のなかに認められる、と解するといった次第です。


 どうでしょう。自覚症状という医学用語を自家薬籠中の物としているひとには、いま俺が言っていることがビシビシ響くのではないかとみなさん、お感じになりませんか。


 自覚症状があるとひとが言うとき、そのひと言で、「身体機械某所が異常であることを知らせる情報(心のなかに)認めているといった意味合いのことを言おうとし、自覚症状がないと言うときには、「身体機械」某所が異常であるにもかかわらず、「身体機械某所が異常であることを知らせる情報(心のなかに)認められていないといったようなことを言おうとしているのではないでしょうか。


 以上、快さの感じを、心のなかにある、「身体機械が正常であることを知らせる情報」、苦しさの感じを、心のなかにある、「身体機械が異常であることを知らせる情報」とそれぞれする、西洋学問の解し方を最初に確認しました。

つづく


前回(第23回)の記事はこちら。


それ以前の記事はこちら。

第1回(まえがき)


第2回(まえがき+このシリーズの目次)


第3回(快さと苦しさが何であるか確認します。第7回②まで)


第4回


第5回


第6回


第7回


第8回(西洋学問では快さや苦しさが何であるかをなぜ理解できないのか確認します。19回③まで)


第9回


第10回


第11回


第12回


第13回


第14回


第15回


第16回


第17回


第18回


第19回


第20回(最後に、西洋学問では快さや苦しさを何と誤解するのか確認します。)


第21回


第22回


このシリーズ(全32回)の記事一覧はこちら。