(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

2016-01-01から1年間の記事一覧

科学は存在を客観的なものに読み替えることで、存在同士のつながりを切断する

*科学は存在同士のつながりを切断してから考える第9回 しかし科学は存在を、「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに終始答えるものとは考えない。 先ほど、私が部屋のとびらに歩み寄る例をあげ、そのとびらが「私の身体と共に在るにあた…

存在は「他と共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに終始答えるものである

*科学は存在同士のつながりを切断してから考える第8回 ここまで、存在同士のあいだの「ひとつの絵に共に参加している」というつながりを切断する「絵の存在否定」を見てきた。 確認したのは次の三つである。 科学はその「絵の存在否定」を身体に施し、みな…

神の存在証明にもとづくデカルトの知覚論に科学は乗って

*科学は存在同士のつながりを切断してから考える第7回 いまこの一瞬に私が目の当たりにしている空の姿と、この一瞬の私の「身体の感覚部分」とを、それぞれがその瞬間に在る場所に在るのは認めるものの、「ひとつの世界絵に共に参加している」もの同士とは…

デカルトと科学は「絵の存在否定」から誕生した

*科学は存在同士のつながりを切断してから考える第6回 私がいま空の姿を目の当たりにしているとすると、その姿と、いまこの一瞬の私の「身体の感覚部分」とは、「ひとつの世界絵に共に参加している」と言える。が、それらふたつを、それぞれが現に在る場所…

劣っているけど、ふるいにかけられずにいるよ

*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第24回 「誰が生き残るのか」という問いへの答えは、「他を押しのける者」ではないように思われます。周りを見ましてみます。果たしてほんとうに「優れた者(強い者、適者)が生き残り、劣った者(弱い者、不…

みなさんの心とその中身の存在しか確実視しない

*科学は存在同士のつながりを切断してから考える第5回 が、私外部(外界)に実在する存在のコピー像を、脳が私内部(意識内)に作ることへと、知覚体験をすり替えると、このような疑いを抱くことになる。 私内部(意識内)に脳によって作られた、映像、音…

ジイジやバアバの言うこともあながち悪くないね

*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第23回 進化論は、「誰が生き残るのか」という問いを立て、それに「他を押しのける者」と答えるものです。けれども進化論が実際に立てるべき問いは、「跡継ぎがつぎつぎと続いていくのは何か」ではないかとい…

みなさんが見ている虹の姿をみなさんの内部に移し替える

*科学は存在同士のつながりを切断してから考える第4回 そして、「絵の存在否定」によって世界からみなさんがたの「身体の感覚部分」が除外されるこのとき、同時に、知覚体験も読み替えられる。 いま前方の光景が私に見えていることから、その光景と、この…

進化論とはこういうものだとずばり言ってみるよ

*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第22回 ドーキンス進化論を検証することを通して、進化論に触れてきました。そんな俺たちにはいまや進化論を、「生き残るのは誰か」という問いを立て、それに「他を押しのける者」と答えるものだと言えるよう…

みなさんを世界のなかに入れない

*科学は存在同士のつながりを切断してから考える第3回 科学は「絵の存在否定」によって、「身体の感覚部分」を身体から除外するだけではなく、世界からも除外する。 みなさんがふだん世界と思っておられるもののうちには、みなさんの「身体の物的部分」は…

利己至上主義は伝統だと思う?

*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第21回 さて、『利己的な遺伝子*1』を読んでいますと、是が非でも、この世を利己的行為一色にぬりつぶしたいという、進化論者の熱い気持ちがひしひしと俺には伝わってきます。そして、この熱い気持ちを、俺は…

絵の存在を認めない

*科学は存在同士のつながりを切断してから考える第2回 科学の手にかかると、身体からその一部分である「身体の感覚部分」が除外され、正体不明な意識なるものとされるに至る。 冒頭で科学は存在同士のつながりを切断してから考えると申し上げたように、科…

終わりにさしかかってきたよ

*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第20回 ここまで、ドーキンスの進化論的世界観を、利益と不利益がどのように見られているかという点に着目して見てきました。 生物個体には、「利益の与えあい」も利他的行為も無く、ただ利己的行為のみが存…

身体感覚を身体のなかに含めない

*科学は存在同士のつながりを切断してから考える第1回 科学の特徴は、存在同士をたがいに切り離してから考えるところにある。事のはじめに科学は存在同士のあいだの二種類のつながりを切断する。で、そのあとに、新たに考案したつながりで存在同士をつなぎ…

生存競争というのはイス取りゲームだね

*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第19回 じっさいドーキンス進化論の礎であるダーウィンは、マルサスの『人口論』を読んでいて進化論に思いいたったと言っています。 第3章で論じるのは、この世のすべての生物が、指数関数的な高い増加率を…

誰にも迷惑をかけないで利益を得ることはできないかな

*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第18回 また、これとは別のご指摘もあるかもしれません。 たとえば、俺たちの挙げた、利己的行為、利他的行為、「利益の与えあい」という三つのほかにも、利益の得かたには、単独で利益を得るとかいろいろあ…

進化論にも裏の顔があるんじゃないかな

*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第17回 しかし、ドーキンスのこの論理展開には、すくなくとも二箇所、明らかに無理がありました。理論と現実とが背反したときに、現実にあうよう理論を修正すべきところで、反対に、現実を理論にあうよう修正…

ドーキンス進化論をまとめるよ

*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第16回 さて、俺たちは、利益と不利益をコインの表裏のようにつねに表裏一体とする進化論の見方をあらため、いまやこの世界には利己的行為や利他的行為のほか、「利益の与えあい」もまた存在しているとみとめ…

進化論は仲間はずれをどうお考えなのかな

*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第15回 「第三者の押しのけ」とは何だとみなさんはお思いでしょう。 利己的な遺伝子 <増補新装版> 作者: リチャード・ドーキンス,日高敏隆,岸由二,羽田節子,垂水雄二 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店 発売日: …

利益と不利益をコインの表裏のように見るのはやめようよ

*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第14回 ドーキンスは利益と不利益をつねに表裏一体とみなします。したがって、他に利益を与えると「かならず」自分が不利益をこうむることになって、「他に利益を与え、他から利益を与えられる」関係がこの世…

利益の与え合いもまたぞろ読み替えるよ

*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第13回 彼が「利益の与えあい」をどのように読み替えるか、引用(ざっと読み流してください)をもって見ておきます。「利益の与えあい」は、「他に利益を与え、他から利益を与えられる」関係で、そこにはふた…

利益の与え合いなんてハナッから頭になかったよね

*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第12回 しかし、このように世界に広く、かつその隅々にまでみとめられる「利益の与えあい」もまた、ドーキンスにとっては、この世に存在するはずのないものにすぎません。 利己的な遺伝子 <増補新装版> 作者:…

忘れられていた行為が遅れてやってきたよ

*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第11回 以上、利他的行為は淘汰されてすでに無く、今現在、利己的行為しか存在しないにちがいないとする「進化論的理論」を、群淘汰論者やドーキンスが、生物個体に言うのを断念し、その代わりに、生物集団あ…

自然淘汰はお家騒動?

*コバエぶんぶん自然淘汰(下) 以来、自然淘汰と聞くと、俺が念頭にサッ、ササッと置くのはこの鈍感なコバエである。 ひょっとすると進化論者のなかには、こうしたコバエを見て、こうお考えになるかたもおいでかもしれない。「こんなに鈍感で死ぬ確率が高…

コバエは自然淘汰されなかった

*コバエぶんぶん自然淘汰(中) とっさには、阿波踊りを舞いだすカッコウで跳びあがることしかできなかった俺ではあるが、一匹のコバエが俺の耳もとスレスレを通りすぎたのだとつぎの瞬間には理解していた。その俺の目の前には、こちらにケツを向けながらゆ…

コバエはなぜ自然淘汰されないのか

*コバエぶんぶん自然淘汰(上) 或る学者は或る魚にこんな疑問をもったと言う(なんとも曖昧な書きかたで相済まない)。 この魚はなぜこんなふうなんだろ。こんなふうだと他の魚たちと比べて、活動するのに余計なエナジーが必要になるじゃないか。余計に食…

自力でやっている姿こそが美しいのに

*自力で窓を閉めることのできる人間は存在するか第4回 みなさんは普段、自分でものごとを為しているとお感じである。しかしそれは脳にそう感じさせられて欺かれているだけであって、みなさんが何を思い、何かを為すかはすべて、脳のさじ加減ひとつだと脳科…

自然淘汰は個体の死にやすさの問題ではなくて、跡継ぎ問題なんじゃないかな

*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第10回 では、ここで、群淘汰論者やドーキンスたちによる読み替えのきっかけとなった、生物個体には、利他的行為(他に利益を与え、自らは不利益をこうむる行為)は淘汰されてすでに無く、今現在利己的行為(…

自力で窓を開けていると脳に思わされているだけ

*自力で窓を閉めることのできる人間は存在するか第3回 が、こんなことを言っていると、こう言われそうである。 「お前さん、でもね、窓を開けようと思いたち、窓辺まで歩いて行って、窓を開けるようなとき、オレは終始、自分がやっていると感じるよ。すべ…

利他を利己に読み替えてよかったのかな

*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第9回 以上、群淘汰論者とドーキンスが、生物個体による利己的行為と利他的行為とをそれぞれ、この世に唯一存在すると彼らが信じる利己的行為にどう読み替えるのか確認しました。 利己的な遺伝子 <増補新装…