(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

劣っているけど、ふるいにかけられずにいるよ

*進化論はこの世をたった1色でぬりつぶすんだね第24回


「誰が生き残るのか」という問いへの答えは、「他を押しのける者」ではないように思われます。周りを見ましてみます。果たしてほんとうに優れた者(強い者、適者)が生き残り、劣った者(弱い者、不適者)が消え去っているでしょうか。その「優れた者」(強い者、適者)として、たとえば資本家や大企業の重役を目で追ってみても、俺にはCEOやウォールストリート(金融街)だけが生き残り、俺のような「劣った者」(弱い者、不適者)が消え行っているようには見えません。


 たしかにCEOやウォールストリートには他を押しのける強い力があるように思われます。しかし、彼らの強みはむしろ、他者に利益を与えることができるところにあるのではないでしょうか。彼らが強いのは、他に利益を与えることができるために、他から利益を与えられることが可能な点にあるのではないでしょうか(俺なんてひとに提供できる利益をほとんど持っておらず、他者からの見返りをほとんど期待できません)。彼らは他者に支えられてあります。CEOが会社に来ても、誰もおらず、自分でお茶を入れ、自ら企画立案し、電話をとり、営業をこなすなどということはないでしょう。CEOが会社に行けば、そこには、CEOに利益を与え、代わりにCEO(会社)から利益を与えられる従業員がいます。彼ら従業員なしに、CEOたることは不可能ですし、彼ら従業員があってこそのCEOです。またCEOが代表をつとめる会社と「利益の与え合い」をする顧客も必要です。 周囲を見回してみてください。果たしてほんとうに「劣った者(弱い者、不適者)」とやらは消え去っているでしょうか。「誰が生き残るのか」という問いへの適切な答えはほんとうに「他を押しのける者」でしょうか。


 不思議です。ひとは年齢をかさねるにつれ、自分がひとりで生きてきたのではないこと、ひとりでは生きていけないことを自覚するようになって、感謝のココロをもつにようになると言われます。自然のめぐみや他者のありがたさに気づき、感謝できるようになることを成熟とみる暗黙の了解が人間社会にはあるような気すら俺にはします。そしてじっさいのところ、多くのかたたちが、自然のめぐみや他者のありがたさを自覚し、感謝するという、俺の言うところの、おかげさまのココロを日々はぐくんでいかれるようにお見うけします。で、こうした「おかげさまのココロ」をはぐくんで来られておもちのかたは、「誰が生き残るのか」という問いに、「生かされる者」と即答されるように俺には思われます。が、そのわりには、進化論の、「誰が生き残るのか」という問いへ「他を押しのける者」と答える進化論の答えかたにたいし、科学者のなかからこれといって違和感が表明されることがないのは不思議な気がするというわけです。みなさんはどうですか。どうお感じになられますか。


 ところで、最後の最後に俺はまた、しでかしてしまっています。今回、進化論について学んできましたところを二言三言にまとめると言いながら、グダグダと書きすぎています。まことに申し訳ありません。


 では、ながながとみなさんにご紹介してきました、まとめの「二言三言」をここで送り出してやることにし、これをもって、ドーキンス進化論を主題とするこの文字の集会をお開きとすることにいたしましょう。みなさん、ながいあいだお付きあいくださいまして、ありがとうございます。


 いつまでも、お元気で。では。


 進化論とは、「誰が生き残るのか」という問いを立て、それに「他を押しのける者(優れた者、強い者、適者)」と答えるものである。  しかし、進化論が真に立てるべき問いは、「跡継ぎがつぎつぎと続いていくのは何か」である(この問いを問い続けることがそのときどきでこの問いに答えることである)。  また、「誰が生き残るのか」という問いにたいする適切な答えも、「他を押しのける者」ではなく、「生かされる者」である

(了)


前回(第23回)の記事はこちら。


それ以前の記事はこちら。


第1回


第2回


第3回


第4回


第5回


第6回


第7回


第8回


第9回


第10回


第11回


第12回


第13回


第14回


第15回


第16回


第17回


第18回


第19回


第20回


第21回


第22回


このシリーズ(全24回)の記事一覧はこちら。